トヨタ自動車、資生堂、ソニー、アサヒビール、エイベックスなどの大企業のWeb制作を一手に引き受けてきた実績を持つWeb制作会社、ベースメントファクトリープロダクション。コロナ禍でも新規事業を伸ばし、現在は自らの肝煎りで開発したタッチ名刺「MEET」が絶好調だ。その代表取締役の北村健氏は、中卒でディスコDJをつとめたのちの創業という変わったキャリアの持ち主。やんちゃだったという半生と、だからこそ勝ち取ることのできたビジネスの数々を語る。第2回は、音楽制作会社から、Web制作会社に舵を切ったインターネット黎明期を語る。
「〇〇だったらいいのに」そう思った瞬間こそ、ビジネスチャンス
1997年に音楽制作会社としてベースメントファクトリープロダクションを創業。国内有名アーティストの曲をリミックスしながら、自身の楽曲を米国ニューヨークのレーベルから発売していたという北村健氏。
Web制作会社にシフトチェンジしていくそのきっかけは、北村氏が1990年代前半からから独学で作り続けてきたコンピューターミュージックにあった。
「クラブミュージックの歴史は欧米がメインで、日本で活動していてもほとんど意味がないと考えていたぼくたちは、日本ではなく海外に向けて発信する必要がありました。
自分たちの楽曲を沢山の人に聞いてもらうためには、ぼくらのプロダクションのWebサイトを持つことが必要だなと思ったんです。
当時のWebサイトといったらテキストが基本で、小さい写真が1、2枚あるかどうかという簡素なものばかりでした。ただぼくらはコンピューターミュージックを作っているなかでITにも詳しくなっていて、すぐに動きのあるWebサイトを作ることができたんです」
当時、北村氏が使っていたのは、2020年にサービスを終了したAdobe Flashの前身のMacromedia Flash。マクロメディア社(現アドビシステムズ社)による動画や音楽などのWeb制作表現のために重要な役割を果たしたソフトだ。
1990年代後半当時は、Windows95が発売され一般家庭にパソコンが普及し始めた時代。その後、インターネットが世の中に浸透し始めるなかで、このFlashを使ったWebページ表現と情報伝達手法は画期的だった。マクロメディア社から開発者・表現者として評価され、日本の企業から「われわれにも、このようなWebサイトを作ってもらえないか」という依頼が殺到する。
「当時は、大手企業がマクロメディア社に『Flashの技術を使ってかっこいいサイトを作れる制作会社を紹介してくれないか』と相談しているような時代でした。それで、マクロメディア社がぼくたちを紹介してくれるんです。今で言えばアドビシステムズ社に『いいデザイナーはいないか』と聞くようなもので、考えられませんよね(笑)。それほどに、Flashの特長的な技術を扱える人がいなかったということ。これってもしかして大きなチャンスなのでは?と、そう思い始めてから、ぼくらのスイッチも切り替わりました」
そこからソニーやトヨタ自動車をはじめとする大手企業のWebクリエイティブを担当。こうしてベースメントファクトリープロダクションは、Web制作会社と呼ばれるように姿を変えた。さらにWebサイト制作を通して、クライアントである企業の課題解決にも向き合うようになっていく。
「インターネットというものがだんだん人々の生活の中で大切なものになっていく。けれどまだ黎明期ですから、どうしてもデザイン的に見づらいな、というサイトが世の中にはたくさんありました。なかでも企業の申し込みとかアンケートフォーム、あれ、昔はすごく回答が面倒くさかったですよね?」
企業アンケートにWebで答えようとした時に、たくさんの質問に答えて送信ボタンを押しても「エラーです」と返ってきたり、はじめから入力し直さなければならなかったりという経験をした人も多いだろう。さらにどこがエラーなのかもわからないので、結局、面倒になって申し込みや回答をやめてしまう。こうした操作性の悪さにより、当時の企業は多くの機会を失っていたのだ。
「もったいないよな、と思いました。申し込もうとしている人をそんなことで逃すなんて。『どこがエラーかわかればいいのに』とか『一度に20問も聞くのではなくて、1問1問聞いて、エラーがあれば1問ごとに教えてくれればいいのに』と思いましたね」
北村氏はすぐさまそのアイディアを実用に落とし込んだ。1ページにつき質問は1問にし、例えば、半角入力箇所で全角数字を記入してエラーが出た場合に、なぜダメなのかをその場で示せば、ユーザーは即座に半角で入力し直すことができる。
その繰り返しで入力間違いのない状態で最後まで進むので、最終的に最後の送信ボタンを押してエラーが返ってくることは絶対にない。このシンプルな考え方によって、申し込みやアンケートの回答率が3倍以上に増えたという企業事例を続出させた。
大企業の場合、数%でも申し込み率がアップすれば、大きな収益に繋がることを意味する。北村氏が取り組んだ課題解決は、それまで取り逃していた利益を根こそぎ取り戻す、企業にとっては決定的な一手だったのだ。そこから、さまざまな企業にベースメントファクトリープロダクションの名が知れ渡っていくことになる。
次に北村氏が取り組んだのは、イベントチケットの購入フォームの制作。操作性がよく、わかりやすいデザインになっていることから、問い合わせセンターに電話をする人が大幅に減った。電話口で働く人数を減らすことができ、企業側のサポートセンターにおける人件費削減にも大きく貢献することに。
今では当たり前とされている、カッコいいだけではない、わかりやすいデザインと操作性のいいWebサイト。それは企業にとって膨大な利益をもたらすと、当時のデジタル業界に気付きを与えるきっかけを作ってきたのも、ベースメントファクトリープロダクションならではの仕事だった。
「『〇〇すればいいのに』『〇〇があればいいのに』っていうのは、ぼくらの大事なアイディアで、それを全部実現できたらビジネスになる、そう思ったんです。そこからぼくのモットーは『〇〇だったらいいのに、を実現させる』になりましたね」
「ほぼ休業状態」のピンチを救った次の仕事
好調に仕事を重ねていくが、しかし時代の流れのなかでピンチも幾度もあった。その都度、お世話になったクライアントや人に救われているのだという。
「2008年にはリーマンショックで企業の多くが宣伝費を削ることになりました。まっさきに削られたのはWebサイトの制作費です。さらに追い打ちをかけるようにスティーブ・ジョブスがAdobe Flashのことを批判し、Apple製品のOSにAdobe Flashプレイヤーが使われなくなった。ぼくらはFlashでずっと制作してきましたから、大ピンチですよ。
でもそんな時にお世話になった企業の方から『今、資生堂がコーポレートサイトのリニューアルを考えているから、行ってみろ』と教えてくださった。“美”を売る企業なのだから、コーポレートサイトもわかりやすく美しいサイトにすべき。そうプレゼンをして選考していただき、なんとか会社のピンチを乗り越えられた時もありましたね。
そして資生堂のコーポレートサイトをやらせていただいたところから、より企業の大規模サイトやシステム構築に入っていくことになります」
第3回は、コロナ禍でのさらなる躍進、そしてタッチ名刺「MEET」の誕生秘話を北村氏が語る。