イマジネーションで歌詞をつむいでいたデビュー当時の稲葉。日常生活のすべてから言葉を生んでいる今の稲葉。「音楽なしで、僕は生きていかれない」と打ち明ける稲葉のメロディ、自己プロデュース、ソロ・ワークだからこその創作とは――。
35年の軌跡、ソロの矜持
2024年7月21日。関東地方が梅雨明けした週末。横浜駅から炎天下の街に続々と人が流れでてきた。気温は34度。噴きだす汗も気にせず目指すのは2023年に開館したばかりのKアリーナ横浜。武道館の倍の2万人を収容する巨大な会場だ。この日ここで「Koshi Inaba LIVE 2024 enⅣ」が開催された。
「皆さんの前で歌うことによって、曲に命がふき込まれます」
ステージで稲葉浩志は言った。
enⅣは稲葉が新作『只者』を携えての全国アリーナツアーだ。
楽曲はレコーディングだけでは完成しない。聴かれ、歌われて進化し熟成されていく。稲葉の言葉に1曲目から総立ちの2万人が沸きに沸いたアンコールのMCでは、「今夜、皆さんが夢のなかでも素敵な気持ちでいられるように僕は歌います」と口にした。
「B’zには素晴らしいギタリストで作曲家の松本さん(松本孝弘)がいるので、僕は歌と作詞に徹することができます。一方ソロでは作曲し、プロデューサーの目線で自分を俯瞰します」
そう話す稲葉は激しいロックシンガーのイメージが強い。Kアリーナでも高音域が会場全体の空気をピリピリと揺らしていた。しかし歌詞は必ずしも激しい内容ではなく、内省的な告白も目立っている。迷い、苦しみ、悩み、悔やみ、そして希望を見る。そんな情緒的な歌は魂の叫びに聴こえ、リスナーの胸を震わせる。
自分を纏うすべてに音楽の種子がある
『只者』のリリースがアナウンスされた時、多くのファンはよろこびつつ、タイトルには首を傾けた。稲葉が“只の人”のわけがない。
「リスナーの皆さんから只者じゃないと言われるとは思いました。でも、僕は決して特別ではありません。それは正直な気持ちです」
当の本人は真顔で言う。
「だれにでも人生のターニング・ポイントはありますよね。僕もいくつもの節目を経てきました。ヴォーカリストになろうとした時とか、初めてソロ・アルバムをつくった時とか」
そんな節目で別の選択をしていたら――と、ふと思う。
「ひとつでも違うジャッジをしていたら、今こうして歌っていなかったかもしれません。過去をふり返っても意味はない。過去は選び直せないとわかっているのに、時々違う人生も想像してしまいます」
そんな気持ちも歌詞に昇華させてきた。
「ふつうの目線で力強く歌う」
そう自分に言いきかせてパフォーマンスしていた時期もある。
「自分をふつうだと思っていても、実際には他の人とは違います。だからありのままを意識すれば、自然と周囲と違う自分になれると考えた。でもいつのまにか、意識しなくてもふつうでいられるようになりました」
自分は何者でもない。開き直ると、アーティストとしてもふだんの生活も楽になった。
「等身大でやれますから。根が只者でも、創意工夫、切磋琢磨を重ねれば、作品をつくったり、何万ものファンの皆さんの前で歌ったりできる。自分自身が生きるテーマでもあります」
そんな心情を知り『只者』を聴くと、より説得力を増す。
ほんとうは何にでもなれたはず、無邪気な衝動はまだどこかで燃えているのか、僕はまだ星追う者のひとり、あとどのくらい迷える心抱えて歩くのか、いつだって今日が最後の日だと思う、少しずつでいい新しい自分になってみたい、無理に自分をデカくみせない……。
稲葉は願望や逡巡を飾らずに歌う。嘘の混じらない彼の言葉にリスナーは熱狂する。だれもが自分に感じていることなのかもしれない。稲葉に背中を押されて暮らしているのかもしれない。
「ソロの前作『Singing Bird』から10年の間に暮らしのなかで思ったことをメモし、見た風景をふくらませて歌詞にしました。街で見た出来事、報道番組で知ったこと、こういうインタビューの場で考えたこと……。あらゆることは、ポテンシャルを秘めています。僕は意識的にアンテナを張り巡らせるタイプではありませんが、それでも感度はよくなっている気はします。情緒的にもなっています」
生活のすべてに音楽の種子はある。それが歌詞へと育つ。
「春のある日歩いていると、小さな専門学校で入学式が行われていました。お母さんとお嬢さんが記念写真を撮っていた。いいシーンで、こみ上げてきた。その体験から『シャッター』というバラードが生まれました。不意に出合った風景が歌詞になることが増えています」
日常の何気ない風景から作品が生まれ育まれていく、そんな“体質”になるまでには、長い年月が必要だった。
アルバム『只者』によってまだ見ぬ自分に出会えた
「B’zの3枚目のアルバム『BREAK THROUGH』くらいまで、イマジネーションだけで歌詞を書こうとしていました」
当時はレコード会社のプロデューサーからレクチャーされたこともあった。
「女性はどんな時に男をかわいいと感じると思う?」
「どんな時でしょうか?」
稲葉は逆に聞き返した。
「小さなこだわりを見せる時だよ。例えば紐の靴しか履かない男を歌うと、女性は歌詞の主人公をかわいいと感じる」
こうした会話を重ねた。
「女性は精神的に大人だから、男の子供っぽさに触れると、くすっと笑って好意を持ってくれる。バカね、と思ってくれる。このようにかつては少し背伸びして歌っていた曲も、今は本心として客席に届けられます」
B’zでは松本に委ねているサウンド面は、ソロでは自分主導で制作している。
「アコースティックギターと鍵盤でラフにつくったデモテープをもとに作曲します。在宅が長かったコロナ禍には音源がたまっていきました。思考のスイッチが入ると音が生まれてきます。作風はあるのか、ないのか。わからないままつくっています」
デモテープができると、アレンジを依頼する。
「ソロ作は複数のアレンジャーにお願いします。ツアーも一緒にまわっているベーシストの徳永暁人さんとは長い付き合いで、いつも意見交換しています。今作の中の『空夢』は12年前に徳永さんとつくった曲で、今回はキーを変えコードを変え、アレンジし直してもらいました」
徳永はZARDの「永遠」や倉木麻衣の「Winter Bells」も手がけている。「ブラックホール」や「Starchaser」などロック曲はカナダ人ドラマー、シェーン・ガラースを起用。パワフルな重いサウンドをつくっている。「空夢」や「シャッター」のようなバラード系は、山木秀夫で情緒的なリズムを録った。徳永自身が弾くベースラインは、まるで肉声のように歌う。
「いつも想像のできないプレイを聴かせてくれるのが山木さんです。ジャズのアプローチで、僕の音楽に味つけしてくれます。メロディが山木さんのフィルターを通すと、まったく新しい作品に聴こえます」
今回のプロジェクトでは、新たな血も入れた。
「『NOW』と『BANTAN』の2曲、蔦谷好位置さんにプロデュースしてもらいました」
蔦谷はJUJUの「ありがとう」やエレファントカシマシの「風に吹かれて」などを手がけてきた。今の日本のポップシーンを牽引するひとりだ。
「お願いします!」
稲葉はただそれだけを蔦谷に言い、あとは身を委ねた。
「ソロだからこそのチャレンジです。蔦谷さんに僕からは何もリクエストせず、敢えてまな板の上の鯉の気持ちでお任せしました。完成したサウンドのアプローチも音色もとても新鮮でした。蔦谷さんのおかげで、まだ見ぬ自分と出会えました」
音楽は稲葉の仕事。しかしそれ以上に、人生に深くかかわるものでもある。
「音楽が人生を彩ってくれました。僕自身子供のころはリスナーとして、ポリス、クイーン、キッス……など、いろいろな音楽に囲まれてきました。ロック・ミュージックを人生のサウンドトラックにして生きてきたんです。その体験が今の自分をつくっています。経済的な意味だけではなく、僕は音楽がなければ生きていかれません」