料理人として最前線を走りつつ、妻亡き後、シングルファーザーとして3人の子供を育ててきた笠原将弘氏。長女25歳、次女23歳、長男19歳と、子供たちが自立した今、親としての接し方は少し変わってきたという。その理由、そして、想いとは?
お弁当づくりは子供のことだけを考える贅沢な時間
「性別は違えど、同じ人間」を信条に、娘たちにも息子にも同じように接してきたという笠原氏だが(詳しくは前編)、唯一違ったのが、お弁当づくり。長男の高校時代は、毎朝5時半に起きてお弁当をつくり続けたという。
「娘たちの時はそこまで余裕がなくてできなかったけれど、長男の時は、これがお弁当をつくる最後の機会だなと思ったんですよね。やっぱりどこかに、子供たちのことをお義姉さんに任せっぱなしの自分に対して、負い目があったのかもしれません。
といっても、たいしたことはしていませんよ。高校生男子だから見た目よりボリューム優先だし、つゆが垂れるのがイヤだと言われてプラスチックの密閉容器を使っていたから、色気なんてまるでない。娘たちはすでに社会人と大学生でしたが、リクエストがあれば、彼女たちの分もつくりましたよ。そっちは、曲げわっぱのお弁当箱に、彩りよくおかずを詰めて、料理人らしくしてね(笑)」
もっとも、多忙を極める身だ。店を閉めた後、深夜まで営業しているスーパーに駆け込んで食材を買い、翌朝5時半に起きて料理をするのは、かなりハードだったに違いない。
「いや、今思えば、あの時間は自分にとって贅沢な時間でした。僕は、店に行ってからはもちろん、1日中料理のことばかり考えているような人間。でも、弁当をつくっていたあの時間だけは、『アイツは今日、誰といっしょに食べるんだろう』とか『彼氏・彼女はできたのかな』と、子供たちのことだけを考えられましたから」
高校を卒業したら、手も口も出さず黙って見守る
長男は、2023年に高校を卒業、地方の大学に進学するため、家を出た。娘たちは同居しているものの、長女は化粧品関連、次女は飲食関連の会社で働いているなど、すでに自立している。これまでも「人間としてダメなことは教えるけれど、よけいな口は出さない」というスタンスをとってきたが、子供たちが高校を卒業するのを機に、大人として扱うようにしたという。
「手は出さないまでも、高校生までは、子供たちが悪いことをした時はガツンと怒っていました。今は“友達親子”がもてはやされて、怒らない親もいるようだけど、やっぱり子供にとって親は『怒ると怖い』存在じゃないとね。ただし、毎日毎日、ネチネチと怒るのは逆効果。子供も、『また怒っている』くらいにしか思わなくなるから。ふだんうるさいこと言わない親が、激怒するからこそ効くんですよ。『やばい、親父を怒らせた』って。
でも、それも子供が高校を卒業したら終わり。自分も高校卒業を機に社会に出ましたからね。まだまだ未熟で、危なっかしいところはあるけれど、大人として扱おうと決めていました。失敗したり、傷ついたりすることもあるだろうけれど、それも青春の特権。いろいろ経験するなかで学んでいくだろうから、親は口も手も出さず、見守るだけでいいんですよ」
長男が突如「料理人になりたい」と宣言
長女も次女も、大学時代は「賛否両論」でアルバイトをさせていただが、現在は長男も、長期休暇で帰京するたびに、店で働いているという。これもまた、自身の子供時代に倣ってのことだ。
「僕は小学校高学年くらいから、お駄賃をもらいながら父の焼鳥屋を手伝っていました。あれで、働いてお金を得ることの大変さが身に沁みたし、学校では教えてもらえないようなことをたくさん学べた。だから、子供にも絶対にバイトをさせようと思っていたんです。
もちろん、自分の子供だからって特別扱いはなし。むしろ、厳しいくらいじゃないかな。従業員たちにも、『名前なんて呼び捨てでいいし、怒っていいからな』と言っています。でも、けっこう楽しそうにやっているんですよ。僕抜きで、みんなでごはんに行ったり。僕が若い頃は、年上って煙たい存在だったし、気軽に話しかけたら怒られたりしましたけど、今はそういう感覚はないんでしょうね。初対面でもすっと打ち解けてしまう。コミュニケーション力は、今の若者の方が上な気がしますね」
店でのバイトも影響したのか、長男は、笠原氏のYouTubeに出演した際、料理人を目指すと宣言。
「周りに焚きつけられて、ノリで言っちゃったんでしょう。まだそこまで本気じゃないと思いますよ」と言いながらも、「この春から寮を出てひとり暮らしをしているんだけど、けっこう自炊はしているようで、『今日はこんなのつくった』って家族のグループLINEに送ってきますね」と、嬉しそうに話す笠原氏。次女も飲食業界に進み、将来カフェを開くのが夢だという。長女はまったく違う業界に入ったものの、「将来、お父さんのめんどうは私がみる」と、周囲に言っているようだ。「放っておいても、子供は育つ」。まさにその通りになっている。
理不尽なことを学んでいくのが社会
「最近は子供たちと大人の会話ができて楽しい」と笠原氏。今もいっしょに暮している娘たちは、仕事の悩みから恋愛まで、いろいろ話してくれるという。時には娘たちから、仕事のグチがこぼれることもある。そこで笠原氏が口にするのは、「やりたいことをやらせてもらえないのは当たり前。社会に出たばかりなんだから、お前が合わせろ」という言葉。
「思っていた仕事と違うとか、周りと合わないという理由で、すぐに仕事を辞めてしまう若い人が増えているようだけれど、それは甘いよね。入ったばかりで何もできない新人が希望通りの仕事をさせてもらえるわけなんてないし、世の中、自分と合う人ばかりなんて方がおかしい。うちの店で、新人がカウンターに立って料理をつくっていたらイヤでしょう?
だいたい世の中は、理不尽なことの方が圧倒的に多いわけです。それを学んでいくのが社会なのに、途中で降りちゃったら何も残りませんよ」
違うと思っても、何年間かはそこで努力し続ける。それで力がつけば、周りが認めてくれ、黙っていても、自分に合わせてくれるようになる。それは、笠原氏が社会に出た頃は、当たり前だった考え方だ。
「昭和の時代ってめちゃくちゃなことも多かったけれど、みんなタフだった。親や先生たちが子供を怒らないとか、イヤなことは無理にやらなくていいとか、今は子供たちに優しすぎる気がします。でも、世の中の理不尽がなくなったわけではないからね。何かを成し遂げたいなら、タフネスを身につけた方が絶対にいい。うちの息子が本当に料理人を目指すなら、和食、そば、てんぷら、それぞれ一番きついと言われている店に2年ずつ修業に出して、メンタルを鍛えてもらいますよ(笑)」