青森山田高校サッカー部の名将・黒田剛がプロへ。たった1年で前年15位だったFC町田ゼルビアをJ2優勝へ、さらに、2024年はJ1で大躍進中。今回、著書『勝つ、ではなく、負けない。』刊行を記念して、チームオーナーの藤田晋との対談をお届けする。2回目。
人生で最後の勝負
黒田 藤田さんに初めてお会いしたのは2022年12月頃です。 フットボールダイレクターの原靖さんと3人でした。
藤田 今だから言えるのですが、黒田さんの監督就任については 外野からネガティブなことを言ってくる人が結構いました。クラブ内からもそういった意見もありました。
共通して言えるのは「高校サッカーしか知らないんじゃないか」というもの。要は狭い世界しか知らない、プロでは通用しないという意見でしたね。でも、実際に黒田さんにお会いして思ったのは都会的で洗練されていた、あるいは視座が高いというか。とても学校の先生だとは思えなかったですよね、普通に東京都港区でよく会っている人って感じでしたね(笑)。とにかく、視点の高さ、知見の広さを強く感じました。
黒田 YouTube やネットでも見ていましたが、藤田さんの印象はIT系の社長の中でも重鎮のお一人です。やっぱり凄く緊張もしましたし、なかなか時間を作るのも大変だということを聞いていました。だから最初にお会いした時に感じたのは、意外にも凄くフランクだったこと。また、話しやすさ、目線を下げてというか、ビジネス色を感じさせないように配慮して気さくに接してくれたということが印象に残っています。
原さんが僕らの話を上手く引き出すための空気感や姿勢を作っ てくれたのもプラスでしたね。だから、お酒もどんどん進んでいって最初の15分ぐらいで、お互いに酔っ払っていた感じはしましたけど(笑)。
藤田晋が感じた、黒田剛の視座の高さ
藤田 最初は世間話からでしたよね。ちょうど2022年にカタールワールドカップ(以下、W杯)が開催されていた時期だったので、日本代表の話題になったんですよ。代表の試合に対するコメントなども、本当に視座が高いというか。もしも自分が日本代表の監督だったらこうする、というような話がとにかく面白かった。
黒田 その時の話はもう覚えてないですけどね......。
藤田 クロアチア戦でPK負けしたことに憤慨してましたよ(笑)。
黒田 PKね、そう、それは覚えています(笑)。あの試合は決勝トーナメントの1回戦で、ノックアウト方式なので負ければ終わり。当然PKの想定はされているはずです。例えば、高校サッ カー選手権やインターハイは、決勝戦以外は延長戦もなく後半戦が終わればすぐにPK戦なので、徹底的に準備はします。
ところが、日本代表なのにPKについて研究がなされていないような印象を受けたんですね。キッカーをそのタイミングで選手たちに決めさせる光景を目にしましたが、悪い意味で「目から鱗」でした ね。外国ではそういった例もあるようですが。
PK戦に向けて綿密な準備や対策を講じているようには見えなかった。これが4年間の準備なのかと。過去のW杯での敗戦が活かされていないと思えたし、PKは「運」の勝負と解釈されていた。私の中でのPK戦は「心理戦」で、やらなければならない駆け引きはいくらでもありますから。勝利の確率を上げる作業はとことん追求すべきだと感じています。
(2010年の)南アフリカW杯の時と同じく、またもPK負け......何をやっているんだという思いから、藤田さんにそんな話をした記憶がありますね。過去の反省を活かせず、同じ過ちを繰り返すことが、私は一番嫌いなんですよ。
藤田 PKへの拘りやサッカーに対する分析が、他の人とは違う。
これが僕が感じた視座の高さの一つです。この時ゼルビアの現状も伝えさせていただいて、2022年シーズンがポポヴィッチ監督体制3年間の最終年でしたが、結果は15位......。
黒田 2022年シーズン15位という結果のチームなのでいろい ろな改革をすべきだと思いました。監督就任後の翌2023年のシーズンでは新しい選手を19人も加えて、スタッフも大きく変えようとしていました。以前からクラブは優勝や昇格というものに喉から手が出るほど飢えていました。自分を招聘してくれて、だからこそ覚悟とチャレンジャーの気持ちを持ってその仕事を全うしていくべき。ただ、監督として目標設定がリーグの上位を狙うだけでは話にならない。
責任を持って、しっかりとやるべきことを整理をした上で、「J1昇格」じゃなくて、その上の「J2優勝」を目標に掲げました。
藤田 監督はこういったところからして、一切ブレていない。一貫しています。
黒田 見る人から見ると無謀だと思った人も多かったかなと。当時、SNSなどでも懐疑的な言葉がいっぱい出てきていました。でも、自分の中には青森山田でやってきた約30年間の実績があり、勝利またはタイトルというものを24時間365日、徹底して突き詰める日々でした。しかも、あの雪国という環境で。雪のない地域と比べて数倍もの厳しい試練を乗り越えてきたという自負があって、それは本当に揺るぎないものだと感じていました。
人生、何歳からだってチャレンジはできる
藤田 最初から自信のようなものがあったんですか?
黒田 なんていうんでしょうか......今だから言いますが、根拠があるかないかは別として確信とまではいかなくても、実はそれなりに自信があったんです。新しい戦力を加えたことによって、刺激的に自分を奮い立たせてくれるメンバーが集まってくれた。ただ、自分がプロの世界でキャリアを積んだことがない、そこは唯 一の未知数であり、とても不安でした。
自分が順応できるのか、戦えるだけの物差しをしっかりと確立できるのかどうか。それさえできれば、絶対に戦える! だからこそ、優勝という目標を掲げてやるべきだと。どこにも負けないマネジメントをして、揺るぎない覚悟と決意を持って臨もうと決めていました。
藤田 僕のスタンスは基本的には自分の好きなように考え、自分のアイデアで好きにやってもらうというもの。そしてダメだったら僕自身が責任を持つというものです。そうでないと途中でいろいろ言われて最後に責任を取れと言われても、本人も困ります。 だから、最後まで支援するというのが僕の基本スタンスです。監督からは無茶な要求は一つもなかったですしね。
黒田 今回のお話を藤田さんから受けた時、私は52歳。このまま青森山田で、そして育成の世界で退職までの13年間、強豪チームの監督として過ごすこともできました。 ただ、本当に自分の人生はこれでいいのか......。青森山田をここまで作り上げてきたという自負もありつつ、そろそろ監督を次に引き継いでいかなければならない時期だということも深く考えていたタイミングでもありました。何度も何度も悩み、考えました。
ただ、こんなに有り難く魅力的なお話が自分の人生に不意に訪れたのです。
教員生活30年、ここまで必死にやってきた自分を「プロ監督」として必要としてく れたのです。過去に前例がほぼないだけに不安要素はいっぱいでしたよ。でも、今この船に乗らなかったら次はあるかわからない。 自分の前に現れたこの船に今乗り込まないと一生後悔するかもしれない。人生、何歳からだってチャレンジはできる。自分自身が後悔しないために、これが人生で最後の勝負だと思って腹を決めました。
※次回に続く