PERSON

2024.04.16

パリ五輪・大岩剛監督、幼馴染の「名波は代表コーチに適任だと思う」

AFC U23アジアカップが4月16日にスタートした。パリ五輪出場権を賭けた大会へ挑むU-23日本代表チームを率いるのが大岩剛監督だ。サッカー強豪地である静岡県清水に生まれ、何度も日本一に輝き、プロ入り後も名古屋、磐田、鹿島でリーグと天皇杯でそれぞれ4度優勝している。鹿島での監督時代の話を訊いたインタビュー2回目。同級生の日本代表コーチ・名波浩についても伺った。【#1

5人の交代枠やVAR導入で戦術論は大きく変わった

――2000年、名古屋グランパスから、ジュビロ磐田へ移籍。当時の磐田はアジア王者に輝き、数多くの日本代表が在籍する個性派集団でしたね。そして、2003年からは鹿島アントラーズに。鹿島では2007年からリーグ3連覇を達成しています。時代を代表するふたつの強豪クラブの印象について教えてください。

「名古屋でも天皇杯を2度獲っています。いい日本人選手も在籍していたけれど、どちらかといえば、ピクシー(ドラガン・ストイコビッチ)などの外国人選手に引っ張ってもらっての優勝だったと思います。そして、移籍したジュビロはベテランから若手まで、日本代表クラスの選手が揃う選手層の厚いチーム。そんな選手が中心となって生まれた戦術が他チームとは異なり、圧倒的な強さを誇っていたと思います。タイトルは2000年のリーグ優勝だけですが、シーズンを通して、ほとんどの試合でゲームを支配するような戦いができたと思っています。鹿島も才能豊かな選手が揃っていたうえに、いわゆるジーコスピリッツがあり、強いメンタリティを持つクラブ。名古屋、磐田、鹿島とそれぞれチームの在り方がまったく違いましたね」

――だからこそ、刺激も多かったのではないでしょうか?

「そうですね。それぞれに魅力がありました。でも、同じチームを作れるかといえば、それは不可能に近いと思います。なぜなら、そこにいる選手が違うわけだから。ただ、監督という仕事をするうえで、今、手元にいる選手でどういうことができるのか、いかに積み上げていくのかを考えるうえでは、キャラクターの違う3つのクラブでの経験はとても参考になります」

――フランス人のベンゲル、鹿島ではブラジル人指揮官のもとでプレーされたわけですが、彼らの組織づくり、マネージメントの方法論も異なりますか?

「ブラジル人とヨーロッパの人とは考え方がすごく違うと感じました。それぞれに良いことがあるので、自分の仕事に活かしていきたいですね。ただ、もう20年、30年前の話になるので、まったく同じようにはできません。たとえば、戦術で考えても、現代サッカーは非常に複雑化しています。かつてのスタイルはオールドスタイルと言ってもいいほど。ここ数年、選手交代の最大数が3人から5人に変更されたことで、まったくサッカーが変わりました」

――新型コロナウイルスの蔓延により世界中でリーグ戦が中断。再開後の過密日程を消化するために、選手の怪我リスクを考慮し、2020年に最大交代人数を変更されたわけですが、一時的な措置から、恒久化されることになりました。

「多くの選手を交代させられることで、強度の高いサッカーを継続できるようになったと思います。3人だけだと、後半は違うサッカーをしなくちゃいけなくなるケースもありましたが、5人となれば、考え方が変わります。また、VAR(ビデオ・アシスタント・レフリー)の導入も大きな変化ですね。僕が鹿島の監督時代には、どちらもありませんでしたから。ルールの変更、戦術の多様性、あとは選手のアスリート化というのもまったく変わっているので、過去の経験を参考にしつつも、今何ができるのかっていうことをものすごく重要視しています」

大岩剛監督

名波浩はサッカーをよく見ているし、記憶力が抜群にいい

――2010年に現役を引退。翌年から鹿島のコーチに就任し、2017年シーズン途中から監督に。1勝すれば、リーグ優勝が決まる状況で、終盤2試合でスコアレスドローとなり、優勝を逃しました。最終節ではジュビロ磐田と対戦、磐田の監督だったのが名波浩さんでしたね。

「小学生の頃から知っている、幼馴染のような存在のふたりが監督として対戦するというのもなかなかないよね(笑)。でも、相手が名波だとか、磐田というのではなく、ただ自分の力不足を痛感するそういう試合でした」

――名波さんは今、日本代表のコーチですが、話をする機会はありますか?

「はい。同じ建物(高円宮記念JFA夢フィールド)のなかにいますから、よく話します」

――お互いの愚痴を言い合える関係でもありますよね?

「確かにそうかもしれませんね(笑)。チームメイト、監督同士、そして、日本代表のスタッフとして、ふたりの関係性は変わっているので、話の内容も変わってきますよ。ただ、改めて思うのは、名波は本当に日本代表というものをよく知っているし、理解しているということですね。代表という存在の意味というか……」

――名波さんも長く代表選手でしたから。

「しかも10番を背負ってきた選手です。サッカーが変わっても、背番号10は特別なものだということは変わらないと思います。ほかの選手にはないプレッシャーもあっただろうし、世間からの風当たりも違うはず。だからこそ、選手にとってもいいアドバイスができると思います。そして、彼自身も監督を経験しているから、森保一さんに対するコーチとして、どういうアプローチがよいのかというのも理解できる。適任だなと思います。まあ、僕は(そのことを)A代表の選手と話をしたことがないし、森保さんと話したこともないので、推測でしかないけれど」

――なるほど。

「名波も現役時代、(フィリップ・)トルシエ監督ともめて、間にコーチが入ったということも経験しているから。今、コーチとして選手に厳しいことを言ったり、ドライな振る舞いをしなければいけないことも理解している。その難しさを、彼との会話のなかで、僕は感じている。だから、適任だと思います」

――大岩監督にとっても、そういう幼馴染が近くにいることは、力になりますか?

「もちろん。学ぶことが本当に多いですね。彼はものすごい量の試合を見ているんです。それは同時に選手を見ているということ。代表選手だけでなく、我々の五輪世代の選手も見ている。しかもものすごく細かいところまで見ていて、ワンプレーも見逃さない記憶力は、昔からすごかったけれど、監督に助言する立場としては、とても魅力的だと思いますね」

大岩剛監督
大岩剛/Go Oiwa
1972年6月23日静岡県生まれ。1995年名古屋グランパス加入。天皇杯を2度獲得し、2000年に移籍したジュビロ磐田でもリーグ優勝を経験。2003年に所属した鹿島アントラーズでは、リーグ3連覇。天皇杯で2度優勝している。2010年現役引退後、鹿島のコーチに就任。2017年監督に昇格。2021年12月パリ五輪を目指す、U-21日本代表監督に就任した。

レジェンド小笠原満男を特別扱いしなかった理由

――話を鹿島時代に戻しますと、2018年はAFCチャンピオンズリーグで優勝しました。その年の年末に現役引退を発表した小笠原満男さん(現・鹿島アントラーズアカデミー・テクニカルアドバイザー)が引退会見で、「いろんなことも剛さんだから我慢できたこともある」と話していました。

「そんな話、初めて聞きました(笑)」

――小笠原さんは、2018年シーズンはベンチ外になることもありましたね。クラブのレジェンドである小笠原さんの存在の重さを理解しているからこそ、起用についての采配の難しさはありましたか?

「満男は『特別扱いをしてほしくない』と思っていただろうし、僕もそう考えていました。元チームメイトであり、コーチ、そして監督として、彼と仕事をしてきたわけですが、僕がやるべきことは、現場を重視するという当然のこと。クラブは、1年間シーズンを戦うわけです。選手のコンディションもそうですが、チームの状況、成績にも波があります。そういうなかで、いかにネガティブなことを減らしていくかが大事になってくる。名波がよくいっているけれど、選手の6割は監督のほうを向いている。2割はどっちつかずで、残りの2割は逆を向いている。そういう選手が必ずいるんですよ。そういう選手をいかに減らすか、増やさないようにするかっていう作業をしなくちゃいけない。公平に選手を評価し、多くが納得できる選手を試合に起用することも重要だと考えています」

――指導者として選手が向いている方向が見えるものですか?

「そうですね。選手を見ているとどのグループに属しているかはわかります。この選手はこっち(監督のほう)を見ているかどうかは。当然、決勝戦の前だったり、優勝のためにという目標が明確だと、チームは絶対にひとつになります。でもシーズン中の勝敗などによって、こっちを向いている選手の割合は変化します。これは指導者なら誰もが感じていることだと思います」

――一定数は自分のほうを見ていない選手がいるのも当然だと。

「そうですね。これはサッカーに限らず、どんな組織でも同じだと思います。でも、そういう人間はいなくちゃいけないとも感じています。なぜなら、全員がイエスマンばかりだと良くないのといっしょで、同じ方向を向いている人間ばかりだとダメなこともあると考えます」

――監督としては、向いていない人もひっくるめて、引っ張っていかなければならない。

「そうですね。なぜなら、同じバスに乗って進んでいるんだから。僕は自身の発言や行動、振る舞いで、同じバスに乗ってもらうこと、それを意識してもらうことが大事になってくる。そのうえで大切なのが、ベンゲルが示してくれた姿勢です。どんな選手も公平に扱う。それは選手に限らず、スタッフも含めてです」

――総勢50人は越えますね。

「そうですね。トップチームのコーチやメディカルスタッフ、広報などすべての人間は基本的に監督を見ています。そういうなかで、特定の選手のご機嫌をとっていたり、かたや広報にはキツい態度をとっているとか、そういうブレた振る舞いをすれば、誰も僕を信頼してくれなくなりますから」

――そういうスタンスだからこそ、小笠原満男であっても、特別扱いはしない。でも、レジェンドを起用せず、勝てないと批判も集まりました。

「いろんな声があったけれど、監督としての仕事はできたと思っています。正直な話、複雑な心情もありました。本人は口にしなかったけれど、(負傷した)膝のこともわかっていましたし、年齢を重ねて、かつてのようにプレーできないジレンマは、僕も引退前に経験していたことだから」

――ACLの決勝戦第2戦。スコアレスドローで迎えたアディショナルタイム。このまま試合が終われば優勝が決まる場面で、最後の交代で小笠原満男を起用しなかった。この采配には賛否があったと思いますが。

「確かに満男を起用する選択肢も当然ありましたよ。そういうなかで、ACL決勝戦。何が起きるかわからない。アディショナルタイムだろうと、ね。確かに第1戦を2-0で勝利しているから有利な立場ではあったけれど。あの10万人のスタジアムで1点入れられたら、どうなるかわからない。そういうなかであって、守備的な選手を投入するのも選択肢だったけれど、自分たちがやってきた前からハイプレスをかけるという戦いを続けるために、FWの選手を送り出した。最善の結果を導く選択ができたと思います」

――試合終了後、大岩監督と小笠原さんが抱き合っている様子を見て、ふたりの絆の強さを感じました。

「多分ね、試合を終わらせてくれと言えば、満男にはそれができたと思います。でもきっと彼のことだから、そういう起用は納得できなかったかもしれませんね(笑)」

※3回目に続く

TEXT=寺野典子

PHOTOGRAPH=杉田裕一

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