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2024.01.10

【野村克也の育成術】人間は「無視・称賛・非難」の順で試される

戦後初の三冠王で、プロ野球4球団で指揮を執り、選手・監督として65年以上もプロ野球の世界で勝負してきた名将・野村克也監督。没後3年を経ても、野村語録に関する書籍は人気を誇る。それは彼の言葉に普遍性があるからだ。改めて野村監督の言葉を振り返り、一考のきっかけとしていただきたい。連載「ノムラの言霊」29回目。

第29回野村克也連載/人間は、『無視、称賛、非難』の順で試される

仕事に慣れてきた頃の指揮官の影響

「サラリーマンは上司を選べない。サラリーマンでもプロ野球選手でも、自分が仕事に慣れてきた頃の、上司の影響を強く受けるように思う」

長嶋茂雄は立大時代、監督の砂押邦信に伝説の「月夜の千本ノック」で鍛えられた。長嶋自身も巨人監督時代の1979年に「地獄の秋季伊東キャンプ」で松本匡史、江川卓、角盈男らを鍛え上げ、それが1981年の巨人の日本一につながった。

森祇晶(西武)は巨人現役時代、日本一V9監督・川上哲治の「石橋を叩いて渡る」采配のもとで育った。その後、森は監督時代に「送りバントを多用して、野球が面白くない」と周囲から批判を受けたが、9年間で実に8度のリーグ優勝という金字塔を打ち立てた。

星野仙一は中日監督時代、明治大学時代の監督・島岡吉郎の「人間力」野球を実践していた。

仰木彬(近鉄、オリックス)は、三原脩(西鉄、大洋=現・DeNAほか)の「三原マジック」に多大な影響を受けている。

野村克也が現役時代の上司は「親分」鶴岡一人だった。

「ワシが似たところは、選手への接し方だ。箸にも棒にもかからぬ二流は無視、そこそこの選手は称賛、一流は勘違いしないように非難して、常に緊張感を持たせ、さらなる高みを目指させた。また、選手をほめるときは、マスコミ経由というところを参考にした」

一方、「反面教師」にした部分もあった。軍隊帰りの鶴岡は「精神野球」の最たるものだった。失敗すればビンタ、正座。また、すべてが「結果論」に終止した。勝てば喜び、負ければ怒る。原因と結果を連動させない。

野村はそんな精神野球に嫌気がさし、「気力、体力、知力」を結集して、「考える野球」を標榜するようになる。

「称賛」は一流への足がかり 

野村の入団はテスト生、ブルペン捕手からのスタートだった。2年目にはクビの宣告を受けた。

「どうしてもクビと言うのなら、電車に飛び込みます」

親会社の電車に飛び込まれたら困る。球団はクビを撤回した。

野村はプロ3年目に129試合に出場してレギュラーの座を奪取。

それでも、球場入りしてきた鶴岡監督にあいさつをしても、無視され続けていた。意図的なのか無意識なのか、聞こえているのかいないのか。

しかしプロ4年目、球場でのすれ違いざまだった。

「鶴岡監督、おはようございます」

「ノム、最近ようなったな」

「(鶴岡監督が自分をほめた?)」

正捕手、4番打者になってからも無視され続けていた野村を、人をほめない大監督・鶴岡がほめた。

「自分もそこそこの選手になったと考えていいのだろう。自信とは不思議なもので、対戦投手がみな格下に見えたものだ」

野村はこの1957年、30本塁打をマークして、初めて本塁打王のタイトルを獲得するのである。

古田敦也も鉄平も、ほめて育てた

時は流れ、野村はヤクルト監督時代の1990年、新人だった古田敦也に言った。

「キャッチング、フットワーク、スローイングの一連の動作。ワシのユニフォーム生活28年のなかでナンバーワン捕手や」

その言葉をかけられた後、古田は史上初の「新人捕手ゴールデングラブ賞」に輝いた。スターダムにのし上がった古田の、以降の活躍は説明するまでもない。

2009年、野村は首位打者レースを快調にひた走る鉄平に、独特な言い回しでほめた。

「安物の張本勲やな」

張本は通算3085安打、首位打者7度の日本記録を持つバットマンである。

結果的に野村の監督最終年24年目。「無視、称賛、非難」の3段階評価は、教え子たちの間でも浸透していた。

「まだ非難(一流)とまではいかなくても、無視ではなく、称賛されるまでになったのか」

金銭トレードで中日から楽天に移籍したプロ9年目、鉄平は「感慨深かった」と当時を述懐した。

一流には厳しく接して、さらなる高みをめざさせる

野村の現役時代の西鉄(現・西武)監督・三原脩は味方の中心選手、中西太や稲尾和久を“ほめ殺す”タイプの監督だったそうだ。

逆に20年以上も南海(現・ソフトバンク)の監督を務めていた鶴岡一人は、相手の「怪童」中西太の豪打、「鉄腕」稲尾和久の快投をほめ倒し、味方の中心選手をけなしまくった。

「中西こそプロ中のプロや。それに引き換え、お前、一流は打てんのう。ゼニはグラウンドに落ちているが、お前はゼニにならんのう」

プロ野球選手はグラウンドで活躍してこそお金が稼げるもの。現在なら立派なパワハラ発言だが、野村は現役を引退してから鶴岡が自分を認めてくれていたと分かったようだ。

監督時代の野村は選手に対する辛口、ボヤキで鳴った。プロ2年目以降の古田敦也、ゴールデングラブ賞7年連続7度受賞の飯田哲也は異口同音に語る。

「野村監督にほめられた記憶はありません。とても厳しい監督でした」

それは古田も飯田も、早くから一流と認められていた証である。

まとめ
ビジネスパーソンもプロ野球選手も指揮官の評価や言葉を気にしている。「無視、称賛、非難」の3段階評価は、部下を育成するための有効な手段の1つなのかもしれない。

著者:中街秀正/Hidemasa Nakamachi
大学院にてスポーツクラブ・マネジメント(スポーツ組織の管理運営、選手のセカンドキャリアなど)を学ぶ。またプロ野球記者として現場取材歴30年。野村克也氏の書籍10冊以上の企画・取材に携わる。