『⽔曜どうでしょう』のミスターであり、映画監督、クリエイティブオフィスキュー会⻑でもある鈴井貴之氏。そんな鈴井氏が12年前に住まいを構えたのが北海道・赤平の森の中。ともに暮らす犬たちのリーダー・ネイマール(ゴールデンレトリバー 7歳 オス)の視点から、その暮らしを紹介する。今回は網膜剥離で緊急手術を受けた時のエピソード。2023年10月4日発売の新刊『RE-START 犬と森の中で生活して得た幸せ』の一部を再編集してお届けする。【鈴井貴之氏の記事】
網膜剥離で失明の危機
事件です。
この本を作っている最中、お父さんの目が見えなくなってしまったんです。ついこの前のことです。札幌のショッピングモールに行った時のこと。中にあるペットショップへ、ボクたちの新しい歯ブラシを買いにいった時に目の中に黒い点々がいくつも見えたんだって。最初は大したことはないのかな? と思っていたらしいけれど、車の運転をしていると段々と目が霞んできた。歳も歳だし、そんなこともあろうかと初めは軽く考えていたみたい。でも翌朝にも目の霞は良くならず、霞むというよりも左目の視界の3分の1程度が見えなくなっていた。
これはまずいなと思ったらしく札幌のお家の近くの眼科へと向かったんだ。
そこでの診断は『網膜剥離』。
網膜剥離ってボクサーとかで聞くよね。誰かに殴られた覚えもないし喧嘩した覚えもない。もう若くないからそんなことするわけもないよね。
診断された時はまだ心当たりがなかったらしい。
お医者さんには50歳を過ぎたら外圧ではなくとも加齢で網膜剥離になることはある、珍しいケースではないと言われたみたい。
手術をしなければ治らない。手術をしてから2週間ぐらいはうつ伏せ状態で安静にしなくてはならない。網膜を安定させるために眼球の中にガスを注入する。それが抜けるのに2週間くらいかかるって言われたそうだ。
お父さんは仕事のスケジュールを確認して、10日後ぐらいなら手術ができるとお医者さんに答えたけれど言われたのは、
「そういう話じゃなくてすぐに手術が必要です」
すぐ?
「今日にでも」
今日?
「このままにしておけば1週間ぐらいで失明します」
失明!?
その日のうちに紹介された大学病院で手術をすることになったんだって。しかも最低でも1週間の入院が必要と言われたので、自宅に戻るとお父さんは着替えなど身の回りのものを急いでスーツケースに入れて病院へ向かったんだ。会社からはマネージャーさんも来て大事になったみたいだよ。
家を出る時、ボクらに向かってお父さんは「いい子にしてるんだよ」と言ったけど不安げな表情だったのをボクは覚えているよ。
お医者さんからの説明では、硝子体(しょうしたい)手術というもので、白目に3、4ヶ所穴を開けて細い器具を入れて操作する手術らしい。もちろん麻酔はするだろうけれど目に穴を開けるというのは聞くだけで怖いよね。お医者さんは何度も口にしている表現だろうけれど初めて聞くお父さんは背筋がゾクゾクとしたらしいよ。手術の時間は1時間半程度と言われたらしい。
「なんの心配もいりません。一般的には網膜復位の成功率は90パーセントですがこの大学病院の成功率は95パーセントです」
お父さんは口には出さなかったけれど、
「5パーセント失敗してるやん!」
と道産子なのに関西弁でサイレントツッコミをしたんだって。
本来ならば1週間程度入院をしてうつ伏せ状態を保たなければならないのだけれど、個室の病室が1泊しか眼科病棟では用意できないこと。それに起床が7時と早いということで、お父さんはお医者さんに頼み込んで1泊だけで退院することになったんだって。うつ伏せ状態という条件だけだから「自宅で守ります」と頼んだらしいよ。必死に頼み込んだ本当の理由は、病院だと飲酒、喫煙ができないかららしい。目は不調でもあとは健康体だから病院での生活は耐えられないと思ったらしいよ。
まあ、1泊で帰ってきてくれたからボクたちもいつも通りに散歩もしてもらえた。本当は安静にしていなきゃならないけど、1時間くらいいいだろうと散歩に連れていってもらったんだ。ボクは知らないけれど誰かに聞いたのは、昔、お父さんは舞台で怪我をして手を7針縫ったんだって。病院では10日後に抜糸で来てくださいと言われたんだけれど、当時、尊敬していた俳優の松田優作さんの自伝に自分で抜糸したというエピソードがあり、それを見習い病院に行かず自分で抜糸したらしいよ。そういうところがあるんだよね、お父さんは。破天荒というか無茶苦茶。やめて欲しいな。
でもボクたちの散歩以外は寝室にこもりっきり。通信販売で買ったマッサージ用のベッドでうつ伏せ状態でいたからお医者さんとの約束は守っていたみたい。マッサージ用のベッドは顔を埋める穴が空いているでしょう。穴から下を見られるから便利なんだって。ただ目が片方しか見えないから読書とかはできなかったそうで、目は使わないで1日中ラジオを聞いて過ごしていたみたいだよ。
話を戻すけれど、手術はその日の夜、18時から行われたんだって。病室から看護師さんに車椅子を押してもらい手術室へ。手術室は地下にあったんだって。大学病院だから内科、外科、全て合わせて17室も手術室はあったみたい。朝は通勤ラッシュ並みにストレッチャーが並ぶんだって。でも夜の18時だから、そこにはお父さんしかいない。だだっ広い前室が不安を掻き立てたらしいよ。
眼科の手術ではベッドに横たわるのではなく、リクライニングの大きなマッサージチェアみたいなのに座らせられるんだって。
顔を上に向けられ、左目だけがくり抜かれたビニールのような感触のマットを被せられる。唯一見えていた右目を隠されるので何も見えなくなり不安はギアアップしたそう。
まずは麻酔。最初にクリーム状のものを目の周りに塗られ、次に眼球に注射で麻酔液を入れられる。目に針が刺さるんだって。ヒェ〜怖いよね。しかも5回も。不安はもうレッドゾーン。さらには眼球に麻酔液をこれでもかと流し込まれる。それをお医者さんが手のひらをお父さんの目に押し当て、グリグリ、グリグリと押し回して麻酔液を眼球の裏にまで入り込むようにするらしいんだけれど、お父さんはここで緊張の糸が切れたみたい。今まで抱いていた恐怖心や不安感が吹き飛んで面白くなっちゃったそうだ。
だってね、パン生地をこねるみたいに他人の目をコネクリ回すんだって。想像もしていなかったから、その予想外の行為が面白過ぎて笑いそうになったんだって。目だよ目。目だからね。
手術は4本の細い管を白目に刺し眼球の中の剥がれた網膜を張り直すんだ。液体を入れられたり、コネクリ回されたり、レーザー照射されたり、もう盛り沢山。局部麻酔だから意識はあるみたい。見えないまでも状況は耳、鼻、肌を通じて感じられたみたいだよ。マイナス思考になると恐怖心と不安感が戻ってきそうだったので、麻酔も効いて安心したお父さんは、その手術を
どうにか楽しもう。
と考えたらしいよ。視界はなくても眼球の中の世界は見えたみたい。刺された4本の管が動く様子。レーザー光線はまるで線香花火のように舞い散る。時々注入される液体で目の中にあるものが蠢(うごめ)き、それはまるで万華鏡のようだったらしい。その不可思議な映像美の世界を楽しんだみたい。というかそう考えないと苦しかったのかもしれないね。
不安な状況もポジティブに捉えれば
面白くなる。
1時間半と聞いていた手術時間は結局、3時間近くにも及んだらしい。術中のお医者さんの会話で、
「僕、このあと今日、車で函館まで行かないとならないんだよね」
とおっしゃっていたのが気になったと言っていた。手術が終わったのは午後9時近く。函館にはきっと午前2時頃に着いたんじゃないのかな。お父さん言ってたよ。
「先生、遅くまですいませんでした。ありがとうございます」
術後は痛みもなくただただ左目が見えないということだけ。病室に戻り遅い夕食をとり、うつ伏せで眠りについたそうです。
長い1日だったみたい。
まず、午前中に札幌の自宅近くの眼科に行き『網膜剥離』と診断される。大学病院を紹介され緊急手術を受ける。その日の朝の時点ではこんな大事になるとは思っていなかったみたい。万が一の場合は失明。お父さんが一番に思ったのは
赤平に通えるのか?
だったそう。つまりは車の運転。片方が見えなくても運転はできるのか? できるというかしていいのか? すぐにスマートフォンで検索したらしいよ。
普通免許の場合、片眼0.7以上、視野150度以上であれば可能だと知って少し安堵したみたい。
翌日、診察を受け午前中には札幌の自宅に戻ってきた。ボクらはお父さんに何が起きたのかは分からない。でも家に帰ってきたお父さんは随分と嬉しそうだった。何度も
「帰ってきたよ」
を繰り返し口にしていた。
バタバタと手術を受けたみたいだけれど、それからはもうひたすらうつ伏せ生活を強いられていた。ずっとうつ伏せ状態でいたので「腰が痛い、腰が痛い」と連呼していた。目の中に注入されたガスが抜けるまでの約2週間、ずっとうつ伏せでいなきゃならない。同じ姿勢でいるので目よりも体の方が辛かったみたい。
手術から2週間。まだ左目の視界は歪んで視力も回復してはいないみたいだけれど日常生活はおくれるようになった。車の運転も普通にできるようになったみたい。でも完全に回復するには半年から1年もかかるみたい。大変だね。経験したことのない不自由で厄介な2週間だったそうだけれど、それもお父さんはポジティブに捉えている。
経験できない経験をした。
昔のお父さんならきっとこの2週間も嘆いていたと思う。時間の無駄だ。いろんなところに迷惑をかけてしまう。後悔、後悔、後悔。でも今のお父さんは、
それもそれ。
と割り切っている。
無駄といえば全てが無駄である。
充実した時間はどれだけあったのか?
不慮の事態で予定がずれた時を無駄とするかもしれないが、ならばどれだけ夜、繁華街で泥酔し記憶をなくしてきたのだろうかとお父さんは自問する。その時は快楽に溺れ楽しんでいたかもしれないけれど、それこそが時間の無駄ではないのか? そのことを棚に上げ不意に起こるハプニングを後悔するのはどうなのだろう。違うだろう。もっと沢山時間を無駄にしていたことがあるはずだ。だから、
無駄という概念は捨てるべきだ。
無駄とするか否かは自身の受け止め方で左右される。
無駄と考えることは意味をなさない。
とお父さんは眼帯をしながら僕に言ってきた。ちょっと怖かった。でもそう思うよ。じゃなきゃボクたち犬はどうなるの? 1日の半分以上を寝ていて、ご飯を食べてウンコをして、散歩に連れていってもらって飼い主に愛想を振り撒く。毎日、それしかしていないよ。ボクたちの人生は無駄? ボクたちは無駄に生まれてきたの? そうじゃないでしょう。ただ尻尾を振っているだけかもしれないけれど、それは無駄じゃないよね。
無駄という概念自体が無駄なんだ。
遠回りでも横道に逸れても、そのことは、
経験として蓄積される。
マイナスであると思っているのは、その時点でのことに過ぎない。マイナスと思っていることも経験として蓄積されている。無駄と思えたことものちに人生の手札となっているんじゃないのかな。犬の分際で偉そうにすみません。ワン!
実はね、後々にお父さんが記憶を辿っていくと、この網膜剥離の原因を思いだしたんだって。それはね目の調子が悪くなる1週間前、雪の中でボクたちと遊んでいる時、テンションが上がった1頭がお父さんの顔面に激突アタックしたんだ。その時、お父さんは左目に痛みを覚えうずくまったんだって。すごく痛かったらしいよ。
その激突した犯人はタケフサでした。お父さんは犬によって網膜剥離したんです。タケフサはやんちゃだからな。大型犬を飼うって大変だねえ(他人事)。
※続く
鈴井貴之/Takayuki Suzui
1962年北海道⾚平⽣まれ、ʼ90年に札幌で劇団「OOPARTS」⽴ち上げ。その後、構成作家・タレントとして『⽔曜どうでしょう』(HTB)などの番組の企画・出演に携わる。映画監督として『銀⾊の⾬』などこれまで4作を発表。2010年からOOPARTSを再始動、現在6作の舞台公演を⾏っている。
ネイマール/Neymar
鈴井家の犬たちのリーダー。ゴールデンレトリバー(7歳 オス)。新刊『RE-START 犬と森の中で生活して得た幸せ』では「語り部」として登場している。