『⽔曜どうでしょう』のミスターであり、映画監督、クリエイティブオフィスキュー会⻑でもある鈴井貴之氏。そんな鈴井氏が12年前に住まいを構えたのが北海道・赤平の森の中。ともに暮らす犬たちのリーダー・ネイマール(ゴールデンレトリバー 7歳 オス)の視点から、その暮らしを紹介する。2023年10月4日発売の新刊『RE-START 犬と森の中で生活して得た幸せ』の一部を再編集してお届けする。【鈴井貴之氏の記事】
『オオスズメバチ』に刺された
ボクが生まれる前のこと。10年前の話らしい。森で生活を始めて間もない頃、季節は夏の終わり。畑に食べ頃になったスイカを取りに行ったらしい。
スイカの隣にはメロンも植えてあった。そこで聞いたこともない音がしたんだって。「ガシャガシャ」何者かがメロンを食べている。よくメロンを見ると半分に欠けていて、中には30匹くらいの黄色い奴がいたんだって。「ハチもメロンを食べるんだ」と悠長なことがまずは浮かんだらしいけど、すぐにまずいと思って、静かに横にあるスイカを抱えてその場を去ろうと動き出した。
次の瞬間「ブーン」という音が近づいてきた。
「まずい」
と思ったらしいけど後頭部に、
強い衝撃を受けてよろけた。
何が起きたか分からなかったんだって。だって頭の後ろを誰かに殴られたんだから。でも誰もいない。ただ「ブーン」とハチが飛んでいる音がした。
「え? こんなに強い衝撃なの」
と驚いたみたい。
『オオスズメバチ』に刺されたとしたら大変だ。ハチは刺すと匂いを分泌して仲間を集める。仲間が集まってくる。お父さんは走って家の中へ逃げた。なんとか二次被害は免れたけれど、次に大きな不安が襲ってきた。
アナフィラキシーショック。
短い時間で表れるアレルギー症状で、これで血圧低下、意識障害を引き起こし、場合によっては死に至ることもあるんだって。近所でも数年前に死んだ方がいるという話を聞いていたから、お父さんは相当焦ったみたい。
しかも発症するまでの15分以内に治療しなければならない。制限時間は15分しかない。
救急車を呼ぼうにも消防署から森へ来て、森から病院へ行くには15分以上はかかってしまう。病院までは車で12、3分。今自分で出れば15分以内には行ける。
でも受付やら何やらしていたら時間は過ぎる。そう考えたお父さんは、まずは車で病院へ向かった。車中、ハンズフリーで札幌の事務所に連絡をし、事務所から病院へ連絡を入れてもらいすぐに治療してもらうよう手筈をつけた。
気持ちは焦っても安全運転を心がけなきゃならない。もしも意識が低下してきたらどうしよう。万が一、命に関わるような事態になったらどうしよう。ここ近年で最大の危機に瀕したらしいよ。
なんとか病院に着き、すぐに解毒治療や点滴をしてもらい難を逃れたらしいけれど、この経験が相当こたえたらしく、その後は何かと『オオスズメバチ』を目の敵にしている。駆除のためにハチ用の捕獲器があるのだけれど、それを森の中に10個以上も毎年設置しているし、殺虫スプレーは敷地内の至るところに置かれている。
それにエピペンという注射も玄関に置いている。これはアナフィラキシー症状を一時的に緩和させる補助治療剤なんだって。刺されたら太い注射器を太ももに刺して治療する。病院に行って指導を受けて手に入れたみたい。さらにはアレルギー検査もしてもらったらしい。結果的には『オオスズメバチ』に刺されてもお父さんは大丈夫みたいだけど、
最悪の事態を考え準備する。
この程度で大丈夫、は自然界には通用しない。
森に来るまでお父さんは何事も「なんとかなるさ」とタカをくくっていたみたい。でも自然の中ではそれは通用しない。最悪を想定し、しっかりと準備しておかなければならないんだって。
この町はね、田舎なの。森まではバスも来ない。タクシーもない。あるのはハイヤー。タクシーとハイヤーの違いっていうのはね、タクシーは流しやアプリ、タクシー乗り場で利用できるよね。一方、ハイヤーというのは電話をかけて呼ぶシステムなんだって。しかもそのハイヤーは午前1時から朝の6時までは営業していないみたい。交通手段が空白になる時間帯があるの。だからお父さんはいつもお酒を飲む時、指差し確認をしている。
お酒を飲んでしまったらもう車の運転はできない。朝まで森から出る手段はない。
「大丈夫。もう大丈夫だな」
と確認してからお酒を飲むんだ。都会生活では信じられないよね。社会が止まることはない。24時間稼働しているのが当たり前だと思い込んでいる。でも森はそうじゃない。
社会から孤立する時間がある。
でも、その不自由さがあるから準備を怠らないのかもしれないね。
お父さんがボクにお話をしてくれるのは大抵、お酒を飲んで酔った時だ。ソファにボクを呼び、隣に腰掛けて芋焼酎が入ったグラスを傾けながら話すんだ。
「昔の俺はいい加減な人間だった。なんでも適当で中途半端。何かが欠けていても誰かが補填してくれるだろうと人任せだった。でも森での生活はそうはいかない。誰も助けてくれないし、何かあった時のために準備をしておかなきゃならない。人間はさ、何か失敗したり危機を経験したり、反省して次の準備をする。でもね、自然界では失敗は許されないんだ」
その一方でお父さんは逆のことも言うんだ。
失敗したことをラッキーと捉える。
自然界での失敗は下手すれば死に至る。だからこそ、生きているありがたさを実感する。お父さんは言う。
「ふと感じるのは『生きている』ということなんだ。俺は今、生きてるなんて都会暮らしで思うことは少ない。でも、
この森では毎日『生きている』と感じさせてもらえる。
それはすごく大切な感覚だと思う」
そう言い終わるとおかわりの焼酎を作るためにお父さんはソファから立ち上がり冷蔵庫へと向かう。その度にボクは思う。
『飲み過ぎは良くないよ』
※続く
鈴井貴之/Takayuki Suzui
1962年北海道⾚平⽣まれ、ʼ90年に札幌で劇団「OOPARTS」⽴ち上げ。その後、構成作家・タレントとして『⽔曜どうでしょう』(HTB)などの番組の企画・出演に携わる。映画監督として『銀⾊の⾬』などこれまで4作を発表。2010年からOOPARTSを再始動、現在6作の舞台公演を⾏っている。
ネイマール/Neymar
鈴井家の犬たちのリーダー。ゴールデンレトリバー(7歳 オス)。新刊『RE-START 犬と森の中で生活して得た幸せ』では「語り部」として登場している。