2021年6月。浦和レッズに加入した酒井宏樹。ヨーロッパで9シーズンを戦ったのちにJリーグへ復帰。まだまだヨーロッパでプレーする選択肢もあったはずだが、彼はなぜJ復帰を決断したのか。その浦和でキャプテンを務める彼が考えるリーダー像は、「キャプテンらしい行動をあえてしない」だ。そして、グループリーグ突破に貢献した2022年のワールドカップカタール大会後の日本代表への想いを聞いた。短期連載最終回。【#1】【#2】
酒井宏樹は、なぜJ復帰を決断したのか
――浦和レッズへの移籍を決断した理由は?
「自分の体が動くうちに、しっかりとしたパフォーマンスができるうちに、Jリーグでプレーしたいというのは考えていたことです。僕は日本人なので、Jリーグへ移籍することは、事実上は『帰る』ことではあるけれど、ヨーロッパでのキャリアを終えて、日本へ戻るというものとは少しニュアンスが違います。最終的に引退するときに、どこの国でプレーしているかはわからない。どこの国でもいいなと思っていた。それは今でも思っています」
――帰国するというよりも、移籍したクラブが浦和レッズだったと。
「そうですね。日本でプレーしたいという思いがあり、オファーをもらい、契約をしたのが浦和だったという感じですね。僕はマルセイユでヒリヒリした毎日を過ごしていたので、そういう日常がないと、ちょっときついなと。周囲から『良いプレーをして当然』という眼で見られる状況下に自分をおきたいと。そうしなければ、人間としてもプレーヤーとして終わると思っていたので」
――プロデビューを飾った柏レイソルへの復帰は。
「選択肢のひとつではありました。最終的にはお話もいただいたんです。でも、レイソルのサポーターの方はきっと僕に対して良いイメージを抱いてくれている可能性が高いと思いました。きっと、僕が悪いプレーをしても、みんなのイメージは良いままなんだとしたら、それは自分で自分が許せないなと」
――ある意味、加入した時点で、レイソルのレジェンドですからね。
「本当のレジェンドになれたら嬉しいですし、いつかそれに挑戦してみたいとは思うけれど、今ではないと思いました」
キャプテン酒井宏樹のリーダー像
――ヨーロッパのチームに居れば、日本人選手は当然外国籍選手。精神的な支柱やピッチ外でのリーダーシップを求められることは少ないと想像します。もちろん、長谷部誠選手など、そうではない選手もいますが。
「そうかもしれませんね。そういう意味では自分のことに集中できる環境だったと思います」
――けれど、Jリーグでは、“年齢的に”という価値観も強く、ベテランだから、ピッチ外でも役割を求められる場面が少なくないでしょう。酒井選手も浦和ではキャプテンを務めています。
「そうですね。でも。僕自身の姿勢はヨーロッパ時代とまったく変えていません。周りをオーガナイズしたりしないし、若手に気を使ったりもしない。重要なのは自分のプレーにフォーカスすること。そのうえで自分が良ければ、みんなが勝手に慕ってくれると思うので。いわゆる“キャプテン像”というのとは、僕は違うと思うし、そういう行動はあえてとっていない。選手であることがまず先にあるプレーヤーとしてのキャプテンじゃないとダメだと思うので。『キャプテンだから、こうあるべき』という行動は、一切やりたくないと僕は考えています」
――キャプテンという重責が、邪魔になるということでしょうか?
「自分が、チームのことを気にかけるようになったら、選手として、プレーヤーとしてのトップから逃げているような気がするんです。自分のパフォーマンスが良ければ絶対についてきてくれると信じてやっています」
――たとえば、パフォーマンスが多少悪い試合があっても、キャプテンシーを発揮とか、ベテランらしさという言葉で評価を得たくない。
「要はバランスの問題だと思うんです。自分のパフォーマンスで結果を残したい。結果を残すことがチームのタスクなんだから。プレーでチームに影響を与えたい」
――ただ、キャプテンという立場が人を変える部分もあるでしょう。
「もちろん。レッズでそういう立場というのは、新たな経験値なので、幸せではあります」
――日本代表には、川島永嗣選手や長友佑都選手、吉田麻也選手と超ベテラン勢がいて、続くベテランが酒井選手だったと思います。
「まず、東京五輪のチームでいうと、僕はオーバーエイジ枠でべテランだったけれど、リーダーとしては麻也くんや(遠藤)航がいたので、のびのびやらせてもらいました。だから集中できたので、ふたりには感謝しています。かたやワールドカップ、A代表になると、誰が引っ張るというのでもないんですよ。あのレベルになると。年齢的には若くても、みんな意志をしっかり持っていて、チームをリスペクトしているので。すごくまとまりやすいんです」
日本代表への想いとは
――次のワールドカップ予選が始まりますが、カタール大会後は招集されていない。
「4年後のワールドカップでのパフォーマンスについて、どうなんだろうというのは考えます。代表に呼ばれないというのは、もちろん寂しさがあります。スタッフや監督、メンバーに会えなくなるのも寂しい」
――代表のチーム内での争いに加われないという寂しさはどうでしょうか?
「実は代表のなかでは競争という感覚はまったくなかった。代表は特別な場所なので。クラブとはまったく違います。競争意識はまったくなくて、(内田)篤人くんに対してもライバル意識はなかった。試合に出る人が出ればいい、自分が出たときに頑張ればいいと思っていたので。代表は文字通り、国を代表しているので、チームが勝つことが一番だとずっと思っていた。誇りと責任感のためにやっているから。自分の本当の勝負は試合に出たときだと。それ以前に所属するクラブでしっかりと競争に勝ち、結果を残すことが重要ですから」
――10年近く、日本代表の一員だったわけですが、今は世代交代を経て、新しいストーリーが始まっていると。
「国としては、新しいストーリーを始めていかなくちゃいけないのかなって思います。ただ、世代交代をスムーズにはいかせたくないと、選手としてはそう思わないといけない」
――代表を卒業したわけではないと。
「サッカー選手である以上、一番の頂点は日本代表だからそこを目指さないといけない。自分としては行きたいけど、日本代表としては若くて良い選手を育てたほうがいい。複雑な気持ちではあるけれど、森保一監督のいう代表候補のラージグループにはいたいなという気持ちはあります。でも、選ぶ、選ばないは監督の判断ですし、森保さんは責任感の強い方。日本の未来とかをいろいろ考えていると思うので、自分はいいプレーをするだけかなと」
酒井宏樹物語、引退の章への意識
――現在33歳。昨今の状況だと40代でもプレーする選手もいます。
「カズさん(三浦知良)や俊さん(中村俊輔)、ヤットさん(遠藤保仁)は人間として別格なので。同じようには語れない。僕はどうでしょうね。いつまでというのはわからないので。確かなのはもうサッカー選手としては、後半の人生なので、選択は難しいですね。自分のなかでは、いろんな物語をイメージし、描いてはいます。どうなるかは自分次第ですから」
――日本で引退するとは限らない?(笑)
「ですね。僕はEUの永住権を持っているので、今後も日本に住むとは限らない。だから、家族も含めて、日本に戻ってきたという感覚はないです。僕の性格ではヨーロッパのほうが合っていると思うし」
――だから、酒井選手はレッズへ加入後も、帰ってきたとあまり言わない。
「そうですね。”移籍してきた”というふうにしているけれど。これが続くかもしれないし、ほかのJリーグのクラブへ移籍するかもしれない。まったくわからない。でもそれはどの選手も同じ。半年後すらわからない。怪我して引退かもしれないし。わからないから、あえて狭めないようにしています。ただ、ここでプレーしたいという気持ちで移籍したことは変わらない」
――それでも、日本へ戻ると再びヨーロッパでプレーするのは、非常にハードルが高くなるような印象がありますが。
「そうですね。でも行ける選手は行けるんじゃないかと思う。自分次第かなと。別に国はヨーロッパ以外にもあるので」
――これまでの酒井宏樹物語を振り返ると。
「100点です。悔いは一切ない。自分はそういう決断をしてきているし、ハノーファーがあったからこそ、マルセイユで成功できたと思うし、マルセイユでの経験があるから、浦和というチョイスができたし、目標だったACLを獲ることもできた。ここからの目標を自分がどう設定していくかは、自分のことながら楽しみです。長谷部誠さんが、『引退が近づくほどサッカーがすごい楽しい』」と言っていて。そういう年の重ね方をしていきたいです」