昨シーズン、ACLアジアチャンピオンズリーグ大会最優秀選手賞を受賞した33歳。浦和レッズの酒井宏樹インタビュー。短期連載1回目。
強みを磨き続け、進化し続ける酒井宏樹
2012年夏にドイツ・ブンデスリーガ・ハノーファーへ移籍を果たし、2016-2017シーズン以降はフランスリーグ古豪のオリンピック・マルセイユに所属。2021-2022シーズン後、浦和レッズに加入している。
2014年から日本代表に選出され、2018年、2022年とワールドカップ2大会において、グループリーグ突破に貢献した。
高いフィジカル能力は、右サイドバックを主戦場とする酒井宏樹の武器となり、攻撃時の推進力を生み出している。
日本では、長所を伸ばすこと以上に、欠点を補うことが注力されることが少なくない。
アスリート育成においても、同じような意識はあるだろう。
けれど、酒井宏樹のキャリアを見ていると、強みを磨くことで、不足する能力を補い、武器がさらに進化した印象が強い。それはヨーロッパの社会性や文化が影響しているように感じる。
改めて、酒井宏樹の海外移籍を振り返る
――中学時代から柏レイソルの下部組織でプレーし、2009年にはプロデビュー。3年目には主力として、リーグ優勝を飾っています。ヨーロッパでプレーしたいという想いはあったのでしょうか?
「もちろんありました。僕が中学、高校時代には、中村俊輔さんをはじめヨーロッパでプレーする日本人選手の活躍が、テレビで報じられるのを見ながら、ぼんやりとでしたが、いづれは自分もヨーロッパでやってみたいなと思っていました。でも、同時に自分なんかが通用するのかなというふうにも感じていました」
――ロンドンオリンピック。J1リーグ優勝、クラブワールドカップと自信をつけることで、夢が具体化していったのでしょうね。FIFAが選ぶ「2012年注目の若手選手13人」にも選出されています。日本のサッカー少年が描く、ヨーロッパサッカーへの憧憬はきっとキラキラしていたのでしょうが、実際、行ってみたらどうでしたか? キラキラしてた?
「当然、ピッチに立てば、キラキラしている部分はあるけれど、そこに立つまでは苦しいものがありましたね」
――ハノーファー移籍直後に現地で試合後にお話しを伺ったとき、厳しさや悔しさを吐露するのではなく、淡々と消化しているんだなぁという印象がありました。
「やっぱり、むこうの選手は単純にアスリートとしての能力が高い。そんなライバルに勝つというのも難しかったですね。だから、とにかく試合に出たい、まずはピッチに立つことが一番の目標でしたね」
――移籍も初めて。ヨーロッパでの生活を整えるのも容易じゃない。
「サッカー選手としてという以前に、いち社会人というか、人間として、その国のことを知らなくちゃいけないし、いわゆる文化とか習慣とか、国を知るというのも含めて、いろんなものをクリアしていかないといけないということも実感しました」
自分を持ちすぎてもダメだし、自信を持っていなくてもダメ
――日本とヨーロッパとの違いはさまざまあると思いますが、たとえば、ヨーロッパの人間は個性が強いと言われていますが、育成の現場などでは、個を伸ばすということに力が注がれているように感じます。
「おっしゃるとおりですね。それはサッカーに限らず、国民性というか、教育の違いもあると思います」
――そういう場所では、アピール方法も変わるのでしょうか?
「ヨーロッパではなんでもできる必要はないんだなと思いました。一芸があれば、あとはチームや監督がまとめてくれる。そういう面で日本との違いを感じました。ただ『違う』という言葉だけでは表せないのかな。単純に『違う』ということだけにフォーカスが集まると、また別の解釈にもなるので」
――違いはあるけれど、それは日本を否定するものではないと。
「なんでもできて平均的なレベルが高いのが日本人だと思います。それを理想とするのが日本人の特徴ですよね。ヨーロッパでも、そういう日本人の特性がうまくはまることもあります。はまらないことだってもちろんあります。やっぱり、監督やチームの選手編成など、いろんな巡り合わせがあるので。一概には言い切れない。でも、だからこそ、世界中から選手が集まってきて、それをチームとしてまとめるという文化ができているのかな」
――さきほど、ピッチに立つまでの苦しみがあったと。いかに克服したのでしょうか?
「最初の半年くらいは、めちゃくちゃきつかったですね。でも、もう1番下を見たので、これからは上がっていくだけだなと思うようになり、変わったんだと思っています」
――日本で結果を残した20代前半でのヨーロッパ移籍。そういうタイミングも大きかったですか?
「僕は21、22歳くらいの時に行ったのですが、その年齢、タイミングは非常に良かった。25、26歳だったら、壁に当たったときに、素直にそれを吸収できないかなと思うんです。物事を受け止めすぎて潰れちゃうというか。受け止められずに、周囲の声に耳を貸せなくなるとか……そういうことが起きたんじゃないかなと思うから。20代前半だったからこそ、打ちのめされたけど、勉強して、自分で学んで、一歩踏み出せることができたんだと思う」
――逆に10代とか若ければ若いほうが良いのでしょうか?
「タケ(久保建英)のような特別な選手がいるけれど、普通の選手はいろいろと難しいことがあるんだと思います。即戦力なのか、成長枠なのか、投資目的なのか……かなり細かくあります」
――それによって、扱われ方とか、選手の立場も異なるでしょうから、選手自身の気持ちとの折り合いも違ってくるのかもしれませんね。
「リスク強度の問題かなと思います。それでも決めたら迷わずに挑戦すべきだと思います。ただ、成功確率は21、22よりかは低いかなと思います。でも、10代で成功できれば見返りも大きいのも事実だから」
監督がなにを求めているかを感じること
――日本では20代前半は「若手」だけど、ヨーロッパでは、本当に主力予備軍という扱いですね。
「確かに。ただクラブの格やクラブの考え方、チーム状況、監督によっても変わってくる面もあるとは思うので。それを見極めることやそういう現実を受け止める力も必要だと思っています」
ーー海外、国内に問わず、移籍には縁や巡り合わせがついて回るけれど、ヨーロッパはそれがより明確であるように感じます。監督交代も多いし、移籍も活発ですから。
「ハノーファーとその後のマルセイユで9年間プレーしましたが、監督も8名くらいと接しましたからね」
――それでも酒井選手はコンスタントに試合に出ていた。
「はい。そのときそのときで必死なんだけれど、今思えば、僕は監督がなにを求めているかを感じるのが、上手だったんだと思います。それは代表も同じで、監督もチーム内の選手もころころ変わるから。そういうなかでは、自分を持ちすぎてもダメだし。でも自信を持っていないとダメだなと思います」(※2回目に続く)