ドイツ4シーズン目となった2015-2016シーズン、ハノーファーは2部に降格。酒井宏樹はフランスリーグ1の古豪オリンピック・マルセイユへ移籍を果たす。
「マルセイユへ行ってからの宏樹の成長速度は格段に上がった」とヴィッセル神戸・酒井高徳は語る。それを証明するように2018年ワールドカップロシア大会ではレギュラーとして活躍。大会後には、フランスのレキップ紙において、「日常的にリーグ・アンで活躍し、W杯で記録を残している外国人選手」、その7人のひとりに選出されている。
成長を促す環境について訊いた。短期連載2回目。【#1】
2014年ブラジルW杯ベンチメンバーからの飛躍
――2014年のワールドカップブラジル大会。負傷を抱えながらピッチに立った内田篤人さんの控えという立場も発奮材料となったのでは?
「ブラジル大会でいえば、篤人くんと僕とでは、レベルが違ったので妥当だとは思いましたね。でもいつまでもここに甘んじていられないというふうにも感じました。篤人くんに関してはシャルケという大きなクラブで、長年、リーグ戦だけでなく、毎年チャンピオンズリーグやヨーロッパリーグに出場し、やり続けてきた。そんなふうに高いレベルでやり続けるというのが一番難しいと思うんです。維持をすることがどれだけ難しいかを理解しているので。そうやって継続し続けたということが、人間性にもつながるんだなと尊敬もしています」
――そして、フランスのビッグクラブ、オリンピック・マルセイユからのオファーをどう受け止めましたか?
「単純にカッコイイなと思ってました。フランスサッカーはいいなぁ。しかも南仏で、とか(笑)。300日晴れると聞いてましたし。ドイツで暮らしていた僕にしたら最高の環境ですよね。雪も降らない(笑)。ハノーファーに比べても大きなクラブだし、条件を見ても、僕への評価を感じました。迷うことなく決断しましたね」
――フランスは他のヨーロッパと比べても、それほど熱狂的なサッカーファンばかりというわけではないと思います。でも、マルセイユは違う。特別なクラブです。
「どのフランス人に聞いても、あそこは特別だからって言われるんですよ。町としてもクラブとしても。でも、僕はマルセイユ以外を経験していないので、比較ができない。同時にフランスはどうだとか、リーグ1がどうだということも言えないんですけど」
――そこでずっと試合に出ていた。
「僕もフランスのほかのクラブを経験していたら、無理だったかもしれないですね。『あそこでプレーする勇気があるのか』といろんな人に言われましたけど、何も知らないからできたんじゃないかなと感じています」
マルセイユでの成長スピードが加速した理由
――ハノーファーは酒井選手在籍時、中位以下で苦闘するクラブでしたが、オリンピック・マルセイユは古豪であり、リーグアンの上位クラブです。
「やっぱり残留争いをしているチームだと、どうしてもプレーも手堅く、小さくなってしまうことがあるんです。その点マルセイユでは、チャレンジするプレーというか、大胆なこともできたと感じています」
――マルセイユでの成長スピードが加速した理由をどう考えていますか?
「威圧感じゃないですか。あれは実際に経験してみないとわからないと思います。負けた次の日は、街を歩きたくない。僕は隣町に住んでいたので、そこまでファンがいるわけではないけれど、近所の人ももちろんみんな試合を見ている。勝ったときは、昨日ナイスゲームだったって、明るく声をかけて、寄ってきてくるんです。でも、負けた翌朝、子どもを学校に送りに行くと、みんな挨拶が暗い。今日はヒロキに話しかけてもいいのかな……と。僕のことを気遣ってくれるんですよ。そういう空気感が伝わってくる。昨日負けたからこんな感じなんだなって」
――熱狂的なサポーターの存在、プレッシャー、圧というのもあると思いますが、そうではないスタジアムの外にいる人からも注視されている。それくらい生活にオリンピック・マルセイユが浸透していると。
「試合結果があんなふうに日常に直結するというのは、マルセイユでしか体感できなかった。ドイツ人はそこまででもないけど、マルセイユ人はサッカーが人生。セラビっていうんですけど、それが人生っていう意味なんですよ。ずっと言うんですよ。それが本当にすごいなって思います。浦和レッズでAFCアジアチャンピオンズリーグを優勝して、お祝いの言葉もいただきました。でも、もしマルセイユでチャンピオンズリーグを優勝したら、すごいことになっていたでしょうね」
――そういう「威圧感」のなかにいる緊張感が、成長を後押ししたと。
「僕は奇跡的にうまくいったんだと思います。上手い選手たちがひしめくチームもまた、気が抜けない状態を生み出していた。外国人選手のなかでも、うまくいかない選手もいっぱい見てきました。そんな選手のなかには、『早くマルセイユから出たい』という人もいたし。本当に大変でした」
――威圧感はポジティブに働かないこともある。
「きつすぎることも多いですよ。サッカー選手は一瞬だから、試合でのひとつのミスで、これまでの何年間のプレーが帳消しにされるような世界なので。気の抜けない5年間でしたね」
みんなの期待に応えるような選手でいなければいけない
――キラキラしたものばかりじゃないと。
「マルセイユでの1、2シーズン目はがむしゃらにやっていました。もちろん輝かしいものばかりじゃなかったけれど。世間やサポーター、子どもたちからはキラキラしているというふうに見られていたので、それに応える義務があると3シーズン目以降は考えていました。その思考は今にも活かされています。埼玉スタジアムでプレーする選手は前向きで、試合に勝って、みんなの期待に応えるような選手。そういう象徴でなくちゃいけないから、それを今実践できているのもマルセイユの経験があるからかもしれません」
――ヨーロッパには世界中から優秀なサッカー選手が集まります。そのなかで、日本人はやっぱり低くみられる側面もあると思います。
「すべてがというわけではないけれど、そういう見方をされる現実はあります。だから、多くのエネルギーを使い、やっとみんなと同じスタートラインに立てる。そこから高いレベルを維持しなくちゃいけない。でも、高いレベルを維持しようとすれば、維持という考えだと下がっていくので、もっと上に、高いものを目指してやっと維持できるというサイクルをずっとやっていかなくちゃいけない。僕に限らず、ヨーロッパでプレーする日本人選手はそんなしんどさがあると思います。でも、サッカー選手はそのキャリアがぎゅっと詰まっているので。その間に生涯分を稼がないといけないとか、家族を安心させられるパフォーマンスをしないといけないので、そこは割り切っています」(※3回目に続く)