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2020.11.14

【阿部勇樹】30歳で、レスターから浦和レッズへ移籍を決断した理由とは

阿部勇樹は輝かしい経歴の持ち主だが、自らは「僕は特別なものを持った選手じゃないから」と語る。だからこそ、「指揮官やチームメイトをはじめとした人々との出会いが貴重だった」と。誰と出会ったかということ以上に、その出会いにより、何を学び、どのような糧を得られたのか? それがキャリアを左右する。ミハイロ・ペトロヴィッチ編1回目。【阿部勇樹 〜一期一会、僕を形作った人たち~25】

阿部勇樹

SAITAMA, JAPAN – JULY 09: Head coach Mihailo Petrovic of Urawa Red Diamonds gives instruction to Yuki Abe during the J.League J1 match between Urawa Red Diamonds and Albirex Niigata at Saitama Stadium on July 9, 2017 in Saitama, Japan. (Photo by Masashi Hara – JL/Getty Images for DAZN)

ミシャとの新たな挑戦

2012年1月、僕はイングランドのレスターから、浦和レッズへ移籍した。1年半前に所属していたクラブだが、「戻る」というよりは、「移籍加入」という新たな気持ちだった。

海外で過ごした時間は決して長いわけではない。けれど、非常に充実した時間を過ごせた。海外で暮らすという新鮮さや刺激は、ひとりのサッカー選手としてだけでなく、僕の人生においても貴重な機会だったと思う。

2010年のワールドカップ南アフリカ大会でベスト16という結果を残し、そのままJリーグでプレーしていたら、きっと燃え尽き症候群のような状態になっていたかもしれない。

レスターで、レギュラーポジションをとるために、何をしなくちゃいけないのかというのを、もう一度見直す時間が持てた。試合に出られず、悔しい想いを味わいながら、ポジションをつかめたときの喜びが、さらなる意欲を生み出してくれた。

サッカーの母国といわれる国で、プレーできる、挑戦できる幸せ。それを支えてくれる家族の存在。いろいろな気づきがあった。

2011年9月。30歳になった。

ある夜、バスタブにつかりながら、今までのサッカー人生を振り返った。1シーズン、1シーズンを思い出しながら、「あと何年サッカーができるんだろう」と、未来にも考えが及んだ。もともと、「最後は日本で」と思っていたし、できるなら、コンディション、パフォーマンス含めて、よい状態で複数シーズンをJリーグで戦いたいと考えていた。でも、まだ「帰国」を決断したわけではなく、30歳の誕生日をきっかけに残り時間を意識するようになったのかもしれない。

年末、浦和レッズへの移籍を決断する。

「本当にそれでいいの?」と最初、家族は反対していた。一度日本へ戻ってしまえば、もう海外でプレーすることもないだろう。しかも、レスターでも高い評価をいただいていたし、欧州へいればまた新しい挑戦ができるかもしれない。

コンディションは非常によく、身体能力的にも向上が感じられた。欧州でのプレーに不安があるわけでもない。自信もあった。でも、だからこそ、Jリーグに戻り、選手生活を全うするタイミングとして最適だろうと思えた。

レスターにいても、Jリーグのことは気にかけていた。

「この一体感があるから、優勝できたんだろうな」

2011年シーズン優勝した柏レイソルの様子を見ながら、そう感じた。逆に残留争いを戦っている浦和レッズの一体感は希薄に見えた。

「チームがひとつになって」というのは、簡単なようでいて、実は難しいことだと思う。言葉でその意識を確認し合ったとしても、試合に出る選手、出ない選手の気持ちが同じわけではない。ましてや勝利がなければ、自然と不満や疑問が生まれるのもある意味当然だろう。

2007年にAFCアジアチャンピオンズリーグで優勝したあと、浦和レッズは毎シーズンのように監督が代わり、選手も入れ替わってきた。変革はどんなクラブやチームにとっても逃げられないものだ。レッズもそういう時期を迎えていたんだと思うが、結果が伴わないことで、うまく回っていないんだと感じた。

サッカーを築くには年月がかかるけれど、一瞬でそれは崩せる。

レッズの現状にふとそんなことを思った。

そんなレッズの一員として、何かを成し遂げるためには、なりふり構ってはいられないなと思った。すべてを出し切らないとダメだと覚悟した。どんなにいい選手がそろって、いいサッカーをしても、選手、スタッフ、クラブにかかわるすべての人が同じ方向を向いていなければ、意味がない。一体感の差がチーム力の差、結果に違いを生むから。そのために、僕は何ができるのか? まずはプレーで示すことだろうと思った。

周囲が寄せてくれる期待は、プレッシャーにもなるけれど、それを乗り越えていくことは、僕の新しいチャレンジになるだろう。

すでに、新監督就任が発表されていたミハイロ・ペトロヴィッチ監督のもとでプレーできるのも、僕のモチベーションを刺激していた。サンフレッチェ広島で指揮を執っていたミシャのサッカーは、チームに一体感がなければ、実現できないはずだ。彼のサッカーが浦和レッズに一体感をもたらしてくれるかもしれない。その一員として、僕は何ができるのか?

30歳の挑戦を前に、使命感と高揚感を抱いて、僕の3度目の移籍が決まった。

Yuki Abe
1981年千葉県生まれ。浦和レッズ所属。ジュニアユース時代から各年代別で日本代表に選出される。’98年、ジェフユナイテッド市原にて、16歳と333日という当時のJ1の最年少記録を打ちたて、Jリーグデビューを飾る。2007年、浦和レッズに移籍。2010年W杯終了後、イングランドのレスター・シティに移籍。’12年浦和に復帰。国際Aマッチ53試合、3得点。

TEXT=寺野典子

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