師匠か、恩師か、はたまた一生のライバルか。相思相愛ならぬ「相師相愛」ともいえるふたりの姿を紹介する連載「相師相愛」。その貴重な対談の数々をまとめて振り返る。※2019年11月号、2020年6月号、2021年3月号掲載記事を再編。固有名詞や肩書き、年齢等のデータは掲載時のまま
「地味’s と 派手’s」freee 佐々木大輔×指揮者 根本卓也 対談
freee CEO 佐々木大輔が語る、根本卓也
中学1年の時にクラスが一緒でしたが、謎の男でした。成績はトップクラスの一方、ピアノもお金が取れるんじゃないか、と思えるくらいうまかった。しかも、超物知りで、わからないことは根本に聞け、というのが僕たちの口癖でした。在学中から有名人でしたね。
そんな彼と一緒にカラオケに行ったら、「歌がうまいじゃないか」と音楽部に誘われて。合唱や吹奏楽で一緒に演奏したりして、ここでも2年間一緒に過ごしたんです。その後、高校1年でまたクラスが一緒になりました。
彼は藝大卒業後、フランスに5年間の音楽留学をしていて、僕はその時グーグルに在職していた。海外出張のタイミングが合えば会えるな、と思っていたんですが、かなわず。結局、後の同窓会でようやく会えたんです。昔からですが、とにかく堂々とユニークでいられる、というのが本当にすごいと思っています。このくらい普通じゃないヤツと一緒にいたからこそ、自分も思い切った道に踏みだせたんだと思うんです。
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「駐在員家族と留学生」権藤嘉江子×帖佐義之 対談
グラフィック・パッケージング・インターナショナル代表取締役社長 権藤嘉江子が語る、帖佐義之
交換留学生として行ったアメリカで、義之の家族に出会いました。毎日のようにお邪魔して、ご飯もご馳走になって。親が私の様子を見にきた時は、義之の家でお世話になりました。それから、家族ぐるみのお付き合いが始まりました。
当時は反抗期ど真ん中だった義之でしたが、高校、大学とどんどん仲良くなり、私はそのまま大学までアメリカにいたんですが、帰国した時にはお互いの友達とも一緒によく飲みましたね。義之が名古屋に転勤になった時は、私の両親とよく会っていたみたいです。それこそ、実の娘の私よりも会っていたんじゃないかな(笑)。父がクルマを買い換える時は、下取りに出さずに義之に売っていたりもしていて(笑)。
就職してからも、お互い同じくらいのタイミングで外資系人生が始まって、私は仲間ができて嬉しかった。義之は、常にフラット&ニュートラルで誰に対しても気持ちよく接することができる人。華々しい活躍は、とても頼もしいと思ってきました。
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「起業家一族の同い年」セーフィー 佐渡島隆平 × コルク 佐渡島庸平 対談
セーフィー 代表取締役社長 佐渡島隆平が語る、佐渡島庸平
子供の頃から、庸平はとにかく本を読んでいましたね。びっくりしたのは、一緒に住んでた時、学校の劇が気に入らない、と先生の用意した脚本を書き換えたことです(笑)。小6ですよ。それで講談社に入って活躍して、おいしい人生だなぁと思っていたら、独立して。聞けば、自分たちでクリエイターを直接サポートして、面白いものを届けたいという。今も覚えているのは、「漫画でノーベル賞を取りたい」という言葉。今は小説と詩だけだけれど、面白い漫画でもいいはずだ、と。すごいなぁ、と驚きました。
社会人になってからは、2、3ヵ月に一度は一緒にゴルフをしたりして、しょっちゅう会うようになりました。このお正月も延々と語っていたんです。僕が庸平に可能性を感じるのは、世の中に残るものを作ろうとしていること。平安時代にイケてた商売って思い浮かばないけど、源氏物語はみんな知っている。人の心に残るものって、文化や芸術なんですよ。これから一緒に何かやれたら面白いな、と思っています。
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