師匠か、恩師か、はたまた一生のライバルか。相思相愛ならぬ「相師相愛」ともいえるふたりの姿をご紹介。連載「相師相愛」第47回は、駐在員家族と留学生というご縁。
グラフィック・パッケージング・インターナショナル代表取締役社長 権藤嘉江子が語る、帖佐義之
交換留学生として行ったアメリカで、義之の家族に出会いました。毎日のようにお邪魔して、ご飯もご馳走になって。親が私の様子を見にきた時は、義之の家でお世話になりました。それから、家族ぐるみのお付き合いが始まりました。
当時は反抗期ど真ん中だった義之でしたが、高校、大学とどんどん仲良くなり、私はそのまま大学までアメリカにいたんですが、帰国した時にはお互いの友達とも一緒によく飲みましたね。義之が名古屋に転勤になった時は、私の両親とよく会っていたみたいです。それこそ、実の娘の私よりも会っていたんじゃないかな(笑)。父がクルマを買い換える時は、下取りに出さずに義之に売っていたりもしていて(笑)。
就職してからも、お互い同じくらいのタイミングで外資系人生が始まって、私は仲間ができて嬉しかった。義之は、常にフラット&ニュートラルで誰に対しても気持ちよく接することができる人。華々しい活躍は、とても頼もしいと思ってきました。
経営者は、どうしても孤独になるんですよね。義之はどんなことでも話せる相手。それこそ恥ずかしいことだって何だって、言える。アメリカのアーリントンハイツというほぼ白人しか住んでいなかった小さな街で不思議なご縁が作ってくれた、本当にありがたい関係だと思っています。
そしてなんといっても、お酒が強い(笑)。義之に言ったら、お互いにね、と言われそうですが、お酒が好きなので、やっぱり相手も飲めると楽しいんですよね。一緒に、いい年の重ね方をしていけたらいいな、と思っています。
日本GLP代表取締役社長 帖佐義之が語る、権藤嘉江子
中学3年の時、父の駐在で住んでいたアメリカの小さな街で、日本人留学生が来た、と新聞に記事が出たんです。それが嘉江子でした。街にいる日本人は僕らだけ。姉と同じテニス部に入ったことで家にも遊びに来るようになり、みんなで兄弟みたいに仲良くなりました。
僕は家族がアメリカのまま、高校から日本にひとり戻ったんですが、ここでお世話になったのが、名古屋在住の嘉江子のご両親でした。まるで実の息子みたいに可愛がってくださって。高校生の時、パスポートの期限が切れていてアメリカに戻れなかったことがあって、「すぐに名古屋に来い」と。それで嘉江子も一緒に、みんなでお正月を過ごしたのを覚えています。
とにかく何でも話せる、よき友人にして、よき相談相手です。転職する時も、自分で人生を切り拓いていくことを応援してくれました。嘉江子自身もどんどんキャリアアップして、僕より社長のキャリアは長い。この活躍ぶりはすごく嬉しいし、とても尊敬しています。
50代以降を楽しむために、ウォーキングを始めたりして、身体にいいことをしたいなと思っていたんですが、ちょうどこういうところでもウマがあったりするんですよね。
この間は、一緒に泳ぎに行こうと誘ってくれて。どうしても運動不足になりますから、ありがたかった。それにしても、僕は大学時代は水球部で泳ぎには自信があるんですが、嘉江子はなかなかよく泳ぐのでびっくりしました(笑)。
これからもお互い、いい年の取り方をしていきたいですね。50代なりの楽しみ方を、一緒にできる相手ですから。
Kaeko Gondo(左)
1968年生まれ。三菱銀行、ブルガリジャパンなどを経て、LVMHグループのエミリオ・プッチカンパニーCEO。SONOKO社長を経て2018年 4 月より現職。
Yoshiyuki Chosa(右)
1969年生まれ。三井不動産を経て、プロロジス入社。2012年、GLプロパティーズ(現・日本GLP) 社長。神奈川県相模原市に大規模物流施設を建設中。