服が売れないと言われて久しい今日この頃。ファッション業界人受難の時代に対し、その中心人物はどう向き合っているのか。今回は、スタイリスト・野口強氏に話を聞いた。【特集 刺激のある服】
10代で目にしたリアルな“黒の衝撃”
日本のトップスタイリストのひとりとして、また、近年はデニムブランドのディレクターとしてモノづくりにも通じ、この25年のメンズファッションシーンを牽引してきた立役者である野口強氏。20歳そこそこでスタイリストを志した野口氏が、ファッションから最初に受けた刺激とは何か。
それはまだ地元のディスコでアルバイトをしていた10代の頃、夜な夜な店に集うショップスタッフたちが着ていたブランドの服だった。
「コム デ ギャルソンとヨウジヤマモト、このふたつは別格でした。パリコレで『黒の衝撃』と言われたように、DCブランド全盛でもこの2ブランドは異彩を放っていたし、着ていた人たちもカッコよくて、自分も頑張って買って着ていた。テイストは異なるけれど、三宅一生さんや山本寛斎さんの服も個性的で、インパクトがありました」
スタイリストとして独り立ちしてからは、ヨーロッパやニューヨークのファッションウィークに、メンズ、ウィメンズともに足繁く通うように。とりわけ、1990年代半ばから2000年代初頭にかけてのミラノメンズコレクションでは、デザイナーたちが繰りだす新作に、圧倒されるほどのエネルギーを感じていたと振り返る。
「ドルチェ&ガッバーナ、ジルサンダー、プラダ、そしてトム・フォードが手がけたグッチなど、ミラノ全体がパワフルで“うねり”のようなものがありました。それらがその後のパリでのエディ・スリマンやナンバーナインの宮下貴裕に代表されるクリエイションにつながっていき、東京では裏原宿に端を発するストリートファッションが世界から注目されていく。2010年ぐらいまでは毎シーズン何かしら刺激的だったし、記憶に残るショーも多かった印象です」
クリエイティブ・ディレクター全盛の今でも、ドリス ヴァンノッテンのような安定した実力派や、ジョナサン・アンダーソンが手がけるロエべのアーティスティックなアプローチなど、個々の才能から刺激を得ることは多々あった。
ただ、多様性や包括性が重要になってきた現代では、以前のように全体がひとつの方向に振れることはもうないだろうと野口氏は加える。さらに、賛否を呼ぶようなクリエイションは、発信する側にとっても困難になってきたとも。
「コロナ禍を経てSNSが隆盛の今は、コンプライアンスやSNSなどでの炎上回避がまず前提になりました。何を表現するにしても一回立ち止まって考えるなら、面白いものが生まれにくいのは当たり前。ただそれは、自分自身がひと回り経験してきたからそう感じているだけかもしれない。今の若い世代は彼らなりに衝撃を受け、刺激的な何かを見つけていると思います」
刺激も“人”がつくるものやっぱり人が一番面白い
スタイリストとして30年以上のキャリアを重ね、彼の仕事を目にしてきた若い世代にとっては、氏の存在自体が刺激となり、同じ道を志す人もいる。しかし本人は、誰かに刺激や影響を与えようと意図してやってきたことは一度もないと首を振る。
「頭のなかにあったのはどうしたら少ないバジェットでカッコいいものをつくるかということだけ(笑)。ファッションは日常から受ける刺激のうちのひとつで、面白いものを生みだすのはやっぱり“人”。10代で年上の人たちのスタイルが衝撃だったように、リアルな人から受ける刺激が一番面白い。ファッションを通じてそういう刺激に出会えるからこそ、この仕事を続けられてきたような気がします」
この記事はGOETHE 2024年5月号「特集:刺激のある服」に掲載。▶︎▶︎ 購入はこちら