これから、クルマが大きく変わるのと同時に、ブランドの序列にも変化があるかもしれない。ブランド戦略を大きく変えようとしている自動車メーカーを紹介したい。
ロールス・ロイスやフェラーリのポジションを狙う
“耳タコ”ではあるけれど、クルマは100年に一度の大変革期。電動化が進むと走行中の排出ガスはゼロになり、自動運転が実現すると事故が激減するのと同時に、身体の不自由な方も自由に移動できるようになる。クルマと社会がオンラインでつながるから運転中に自宅の風呂を沸かすようなこともできるだろうし、カーシェアリングなどのサービスがさらに充実すればクルマとの付き合い方が多様になるはずだ。
ただし、ここでは別の視点でこの変革期をとらえてみたい。クルマに対する価値観が変わるこのタイミングで、野心的な自動車メーカーは下剋上を狙っているのだ。
たとえばジャガーは、2025年よりBEV(バッテリー式EV)のラグジュアリーブランドへの移行を開始、2030年には全モデルにBEVを用意すると公表している。そして2025年に登場する予定の第一弾モデルの価格設定は、10万ポンド程度を予定しているという。1ポンド=192円の換算だと1920万円で、ロールス・ロイスやベントレーの価格帯に踏み込もうとしている。
ロータスは、すでにひとつ上のステージに足を踏み込んだ。BEVのSUVであるエレトレも、同じくBEVのグランドツアラーを標榜するエメヤも、高性能バージョンは2000万円コース。これまで軽量の小型スポーツカーでマニアックなクルマ好きにアピールしてきたロータスであるけれど、今後はフェラーリやランボルギーニのようなブランドを目指していくのだ。
下剋上の内容を、もう少し細かく説明したい。
ジャガーは現行のラインナップのE-PACEとF-PACEにPHEV(プラグインハイブリッド)仕様を揃え、徐々に電動化に舵を切っている。超高級ブランドの第一弾モデルは、2024年中になんらかの形で発表するとのことだけれど、現状ではまだ影も形もない。
現時点で想像できるのは、今シーズンのチーム・ワールド・チャンピオンシップを制覇したフォーミュラEのイメージを活用するのではないか、ということだ。
もともと、ロールス・ロイスやベントレーに比べると後発だったジャガーは、モータースポーツでの栄光でブランド力を高めた自動車メーカーだ。1950年代に、ドイツ勢との激闘を制してルマン24時間レースで3連覇したことが、その後のジャガーEタイプのヒットにつながった。
したがって今回も同じように、サーキットを制圧した先進的なBEVメーカーをアピールするかもしれない。
新しいファン層が生まれるかもしれない
実車が存在しないジャガーと違って、ロータスはすでに2台の“下剋上モデル”を発表している。幸いにもそのうちの1台、BEVのハイパーSUV、エレトレに試乗することができた。筆者がステアリングホイールを握ったのはシステム最高出力918ps(!)を誇るエレトレRで、まず宇宙船のように未来的なエクステリアデザインに目を奪われる。
インテリアもモダンかつラグジュアリーで、つい最近まで、内装がアルミむき出しのスパルタンなスポーツカーを製造していたブランドとは思えない。乗り心地も快適だし、無音・無振動の車内では英国の名門オーディオブランド、KEFのサウンドシステムがきれいな音を鳴らしている。
さすがはロータス! と膝を打ったのは、コーナーが連続する区間に入ったとき。スパッと向きを変える敏捷性は、かつてのロータス製ライトウェイトスポーツカーを彷彿とさせ、思わずニヤリとする。ただ高級ブランドになろうとしているのではなく、自社ブランドの資産を有効に活用して、ロータスにしか作れない高級電動SUVに仕立てようとしているあたりが、クルマ好きにはうれしい。
問題は、好事家がどのように反応するかだろう。ロータスのようにマニアックなブランドは熱狂的なファンに支持されていて、彼らが急な方向転換をどのようにとらえるのか、という点が気になる。あるいはロータスの歴史や伝統を重んじるファン層よりも若いリッチ層が、「カッコよくて速くて、しかもだれともカブらない」と新しい顧客層を形成するかもしれない。
ジャガーとロータス以外にも、下剋上の好機だと捉える自動車ブランドが現れるだろう。トランプの大富豪(あるいは大貧民)のように革命が起こるかもしれないし、もしそうなったら革命返しを繰り出されるはずだ。ジャガーやロータスが上級移行することでぽっかりと空いた隙間を狙う勢力が出てくることも予想できる。
100年に一度の大変革期は、ブランドの勢力分布図も変えるはずで、そういった意味でも注目したい。
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ロータス カーズ https://www.lotus-cars.jp
サトータケシ/Takeshi Sato
1966年生まれ。自動車文化誌『NAVI』で副編集長を務めた後に独立。現在はフリーランスのライター、編集者として活動している。