デビューから17年、日産GT-Rはその実力で、世界のスーパーカーと肩を並べる存在にまで登り詰めた。惜しまれながら生産が終わるこのクルマについて考察した。
2007年のデビューから、廉価版でも価格は2倍に
日産GT-Rは、2007年にデビューして以来、基本的な構造を変えることなく、改良を重ねてきたハイパフォーマンスカーだ。
2025年モデルの価格を見ると、最廉価版のGT-R Pure editionが1444万3000円、最高性能版のGT-R NISMO special editionが3061万3000円。この価格を見て、「安っ!」と思う人が、少なからず存在する。
というのも、特にNISMO仕様のGT-Rは入手困難で、中古車市場では軽く5000万円を超える価格で取引されているからだ。
NISMOというブランドになじみがない方に説明すると、もともとは日産のモータースポーツを担当する組織で、現在ではレースの経験やノウハウを活用して高性能モデルやチューニングパーツの開発を行っている。つまり、メルセデス・ベンツとAMGの関係に近い。
ちなみに、2007年に日産GT-Rがデビューした際は777万円からの価格設定だったから、最廉価版も17年間で約2倍になっている。
価格が上がった要因はいくつかあるけれど、要は日産が中身に見合った価格にしたということだろう。デビュー当初は、日産のエンブレムのクルマに1000万円超のプライスタグを付けることを遠慮したのだ。けれども17年間、世界中に実力を見せつけることで、適正価格で販売できるようになった。
2007年のデビュー当初、日産GT-Rのウリは、ポルシェの半分の価格で同等の性能を手に入れられる、ということだった。けれども2024年のいま、ポルシェと同じ価格で売れるようになった。たいした宣伝もなく、自力でカリスマ性やブランド力を獲得したことは、尊敬に値する。
日産GT-Rの中古車市場が高騰している理由のひとつに、2025年モデルを最後に生産が終了することがあげられる。設備の減価償却も終わり、お金を刷っているようなものだろうと外野は思うけれど、生産終了には理由がある。それは、2025年末に義務化される、衝突被害軽減ブレーキの装着に対応できないからだ。
今後、新車の日産GT-Rに乗る機会は、片手で数えられる程度だろう。もしかすると、これが最後になるかもしれない試乗の機会を得たので、このクルマの意義を振り返っておきたい。
あえて演出を廃したGT-R
試乗したのは日産GT-R Premium edition T-spec。NISMO銘柄以外では最上級の仕様で、価格は2035万円。T-specの「T」は、“Trend Maker”や“Traction Master”といった開発初期のコンセプトに立ち返ろう、という開発陣の意志を表したものだ。
内外装はさすがに時代を感じさせる。特に内装の液晶パネルは、最新モデルと比べると、ブラウン管と有機ELぐらいの違いがある。
けれども無駄な飾りがなく、スポーツ走行に特化したスイッチ類の配置は機能的で潔い。
そして走らせてみても、飾りがない。もちろん圧倒的にパワフルで、思いのままに走れるように作られている。けれども、たとえば官能的なサウンドでドライバーを高ぶらせようとか、予想よりクイックに曲げてドライバーを喜ばせようという、演出がない。
欧米のスポーツカーには演出に趣向を凝らすプロレス的要素があるけれど、日産GT-Rにはない。こっちは、相手と1対1で対峙する武道の趣だ。遊びじゃない、という、ヒリヒリとした手触りがある。
プロレスと武道のどちらが偉いということもないけれど、間違いないのは、スポーツカーは数あれど、武道カーは唯一無二の存在だということ。だからこのクルマは世界中で支持されるようになったのだろう。
日産GT-Rが登場したときに、開発責任者を務めた水野和敏さんに話をうかがったことがある。カルロス・ゴーンに呼ばれ、「ミズノ、お前がやれ」と日産を象徴するモデルの開発を一任された水野さんは、NISMOでのレース経験を注ぎ込み、ともに戦ったレーシングドライバーの意見を聞きながら開発を進めた。ゴーンの後ろ盾があったから、普通なら通らないわがままやこだわりも貫くことができた。
たしかに、こんなヤバいクルマは、「年収2500万円以上の割合は人口の何%で、余暇の過ごし方は海外旅行で……」とかやっていたら、絶対にできなかっただろう。映画監督がメガホンをとるように、指揮者がタクトを振るうように、開発者がひたすらに素晴らしいクルマを作ろうと思ったからこそ、日産GT-Rという異能のモデルが生まれたのだ。
ゴーンも水野さんも、日産にはいない。GT-RとNISMOの名が世界で知られるようになったいま、この資産をどう活かすのか。日産の次の一手に注目したい。
問い合わせ
日産自動車お客様相談室 TEL:0120-315-232
サトータケシ/Takeshi Sato
1966年生まれ。自動車文化誌『NAVI』で副編集長を務めた後に独立。現在はフリーランスのライター、編集者として活動している。