「松山智一展 FIRST LAST」が麻布台ヒルズ スペースギャラリーで始まっている。絵に向き合うだけでいい。溢れる色彩。整理されている構図、遠近法。独特のテキスタイル。容赦ない既視感。非現実を見せつけられながら押し寄せる現実。我らの時代に絵はどう在るのか。一つの答えがここにある。

「読む」ように絵を見る
人生においても大きいものも小さいものもなく、存在するものは、ただまっすぐなものと曲がったものばかりじゃ。人生のまっすぐな道に入りなさい、そうすればあんたは神と共にあるようになるだろう。
トルストイ/原久一郎訳『光あるうち光の中を歩め』新潮文庫

色彩の氾濫の中の人々を見る。これはニューヨーク、メトロポリタン美術館にあるジャック=ルイ・ダヴィッドの《ソクラテスの死》の翻案ではないかとわかる。甘んじて毒を服むソクラテスはアメリカンイーグルの絵とFREEDOMの文字が書かれたタンクトップを着る。従者の一人はナイキのエアジョーダンⅠ、ただしおそらく復刻版を履いている。画面の端には同じくダヴィッドの《マラーの死》。バスタブに横たわるのではなく、スーパーマーケットの大型カートの中にいてアップルウォッチをしている。ともかく、ダヴィッドによる違う時代の死の絵画2つ。
重要なのはこの場所、背景になっているのはどうということのないスーパーマーケットだ。画面左側にアメリカのスーパーならどこでもおいてあるコーンフレーク類。ビタミンや鉄分が添加されているという朝食の定番だ。それ以外にも色鮮やかパッケージに包まれた合理的な食品。大量生産で均質、安価な食品。ソクラテスは食べ物も工業製品なのかと驚くだろう。まあ、工業という概念はないだろうが。
画面右側には食品よりはやや色彩が抑えられているものの、様々な薬品の棚。食品以上に投げ売りしているのか、こちらでは大きな安売りの値札が躍っている。工業製品である食品を日々摂取し、生活習慣病を得たら、工業製品である薬品でそれを改善せよという皮肉。そのうち死がやってくる。メメント・モリ。
しかし、この絵のタイトルは「Memento Mori」ではない。アメリカ合衆国憲法の始まりの言葉、「We The People」から取られている。人が国をつくるのなら、アメリカという国を象づくるものは何か、豊かさは誰のものかという疑問を投げかけてくる。

アダンの実が描かれている。奄美大島や沖縄諸島の人以外はこの実を知らなかっただろう。人間が食べられるものではないから、青果店には並ばない。しかし、美術ファンは田中一村の絵を通して知っている。田中一村は昭和に活躍した日本画家。関東での活動の後、50歳で奄美大島に移住し、亜熱帯の植物や鳥などを繊細な日本画に描き、今でも人気がある。2024年、東京都美術館で「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」が開催された。
松山の《Call The Days Heaven》2024。奄美の人々の信仰の対象である、海に聳り立つ岩、立神(たちがみ)も描かれている。絵の右側の人物のスーツの柄は伊藤若冲《象と鯨図》から引用した象だ。ふたりの人物の間にいる番の孔雀は円山応挙や長沢芦雪の絵を思い出させる。しかし、この絵の最大の見どころは変形キャンバスのその形ではないか。奄美大島と徳之島の遺存固有種で絶滅危惧種、特別天然記念物のアマミノクロウサギなのだ。

タイトルは「偽造画家」? テーブルの上にはセザンヌのアトリエにあるような髑髏やフルーツ。人物が手にしているのはベルナール・ビュッフェ風に描かれた絵。サインは松山と名乗る画家のようで、「Matzu 24」。ベルナール・ビュッフェは1928年生まれ、1999年没なので、24の年紀はあり得ない。

東洋の陶器が並ぶ和洋折衷の室内にシルエットで「硫黄島の星条旗」。星条旗だけはモノクロームで描かれている。元の写真がモノクロームだからか、激戦をした日米だったが、戦後の日本ではこんなライフスタイルも自然。

画面中央の人物はフィレンツェ、ウフィツィ美術館にあるボッティチェリ《受胎告知》を思わせる。普通、聖母マリアは本を読んでいるところに天使ガブリエルが現れるわけだが、ここでは開かれているのは本ではなく、食べかけの1ドルピザのパッケージの箱。全体の構図は松山にはときどき見られる左右対称。
そして今回の展覧会で画像読み解きする場合、最も重要となるのが《You, One Me Erase》2023だ。絵の中心にあるのはカラヴァッジョ《ホロフェルネスの首を斬るユディト》から。なぜかホロフェルネスは空中浮遊している。元の絵はパラッツォ・バルベリーニ国立古代美術館にある。そして大事なのは背後の壁に掛けられた多数の絵画だ。

どういう基準で選ばれているかというと、ズバリ多様性である。たとえば、日本で生まれ、アーティストとしてアメリカで大成した国吉康雄、河原温、オノ・ヨーコ、フランスなら藤田嗣治の作品。韓国で生まれ、密航で来日、帰国せず日本を活動の場とした李禹煥。彼らは異国で成功した移民である。国籍、人種の多様性を語る。ジャン=ミシェル・バスキアは黒人ゆえ不当な扱いも受けた。身体的、精神的にハンディキャップを背負いながらも活動した作家たち。フリーダ・カーロ、棟方志功、草間彌生。LGBTQの視点から見れば、フランシス・ベーコン、フェリックス・ゴンザレス=トレス、デイヴィッド・ホックニーらの作品が並ぶ。いわゆるファインアートかそうでないかの議論の対象にされた画家も。イラスト見本帳のような本、北斎漫画を描いた葛飾北斎、交霊術や神智学からの啓示により描いたヒルマ・アフ・クリント、デザイナーから画家宣言をした横尾忠則らはそういう作家といえよう。
以上、主に新作を中心に読み解きの手ほどきをしてみた。松山の絵は実に引用やオマージュの織物のようである。ぜひ、展覧会で大きな実物の作品を見ながら、絵を「読んで」ほしい。

1976年岐阜県生まれ。米ブルックリン在住。絵画を中心に、彫刻やインス タレーションを発表。東洋と西洋、古代と現代、具象と抽象といった両極の要素を有機的に結びつけて再構築し、異文化間での自身の経験や情報化の中で移ろう現代社会の姿を反映した作品を制作。近年の主な展覧会に「Mythologiques」(ヴェネツィア/2024 年)、「松山智一展:雪月 花のとき」(弘前れんが倉庫美術館/2023 年)など。
Photo:FUMIHIKO SUGINO

会期:2025年3月8日(土)~5月11日(日)
会場:麻布台ヒルズ ギャラリー(麻布台ヒルズ ガーデンプラザA MB階)
開館時間:月〜木・日曜 10:00~18:00(最終入館17:30) 金・土曜・祝前日 10:00~19:00(最終入館18:30)
休館日:無休
Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がける。また、美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。前職はマガジンハウスにて、ポパイ、アンアン、リラックス編集部勤務ののち、ブルータス副編集長を10年間務めた。国内外、多くの美術館を取材。アーティストインタビュー多数。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。