関東で生まれ育った一人の画家が、挫折や葛藤もあったのだろう。遠く奄美の地で彼しかなしえない仕事をして、その絵は今、美術館でわれわれを楽しませ、驚かせる。どういう導きで彼の地に渡ったのか。そこは流浪の果てだったのか、いや、奮起の地だったのだ。自然に囲まれた土地で描いた絵とそこに描かれた動植物を考える。
奄美の自然に対する畏怖の心
東京都美術館で「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」が開催されている。こんな画家がいたのかと発見した気分で見てる人もいるのではないだろうか。
日本画家。明治41年(1908年)、栃木県に生まれ、東京、千葉で過ごす。東京美術学校(東京藝術大学の前身)に入学するも2ヵ月ほどで自主的に退学。50歳になった昭和33年(1958年)、奄美大島に移り住み、紬織の染色工などをしながら、69歳で亡くなるまで、彼の地で画家として活動した。神童と呼ばれた幼少時代から、晩年の清貧の画家生活までのストーリー、そしてとりわけ、奄美で描いた一連の作品が現在、多くの人を魅了している。
奄美は島全体のおよそ8割が森林で、気候は湿潤な亜熱帯。多様な動植物が今も息づく。天然記念物も多い。アマミノクロウサギ、ルリカケス、アマミトゲネズミなどが棲息し、周囲の海には様々なクジラが泳いでいる。猛毒をもつハブがこの島の森の頂点捕食者だが、その存在が山林の開発を遅らせているとも言われる。2021年、世界自然遺産登録。ここはまた神秘の島で独自の風習や信仰もある。奄美の自然とそれへの畏怖の心をもって一村は制作し、名作を残した。
幼少時代からの達者な作品も多く残している一村だが、ここでは奄美で描かれた作品を見ていく。動植物を描くときの一村の様子について、伝記はこう伝えている。
「植物を描くときは、その植物をたずね歩き、丹念に写生をして知り尽くしてから、作品の中に生きた姿を自在によみがえらせた。鳥たちのさまざまな姿をスケッチし、鳥たちが絵にふさわしいポーズをとってくれるのをじっと待った。一心になって筆をとるとき、自然はそれにふさわしい姿を見せてくれるのだった。」(南日本新聞社『アダンの画帖 田中一村伝』小学館 1995年)
「アカショウビンの絵を描いているときのことだった。朱色の『火の鳥』を思わせるアカショウビンの、ぶかっこうなほど大きいくちばしの線のバランスがとれず、苦心していたところ、当のアカショウビンが、ふいに飛んできて、縁先のカキの木にとまった。そして一村に十分に観察し、スケッチする時間を与えてから、おもむろに飛び去った。『こちらが一心になれば、鳥にも心が通じるのか、あんなことをしてくれましたよ』と、そのときの喜びを一村は語った。」(前述『アダンの画帖 田中一村伝』)
一村が描いた動植物について、彼が活躍したのと同じ時代に出版された図鑑の解説と一村の絵を対比して見ていきたい。図鑑は牧野富太郎博士の植物図鑑などを出版していることで有名な北隆館が出していた学生向けのシリーズで、植物図鑑だと、「園芸植物」「野外植物(正•続)」、動物図鑑だと「陸棲動物」「水棲動物」、昆虫図鑑だと「蝶•蛾•蜂•蝿類」「甲虫•半翅類」がある。
今回参照させていただいた図鑑は以下の4点。
それで、アカショウビンの項目はこんな感じだ。1ページに2項目が載る。
「初夏の海に赤翡翠」の右下には、ハマユウが描かれている。図鑑には「はまおもと(はまゆう)(ひがんばな科)」と載っている。
榕樹、枇榔樹、アダン。田中一村が描く熱帯植物
榕樹というのはガジュマルのこと。この絵については昭和49年(1974年)の手紙に説明があるそうで、それによれば、制作に20日くらいかかったということ、売却可能な3点の作品のうちの1点で、壱万五千円としている。1974年というと、オイルショックによりインフレが引き起こされた年。翌1975年と現在の消費者物価指数を比べて見ると、4.5倍ということなので、そうすると、67,500円。ギャラリーが同じだけコミッションを取るとして、上代135,000円ってちょっと安すぎる。美術品を消費者物価指数で換算するのは無理があるが。
図鑑には、トラミミズクは出ていなかったが、コミミズクが出てて、解説の中に、トラフズクが出てくる。
画面左下には、イソヒヨドリも描かれている。
図鑑にはガジュマルは載っていなかった。ガジュマルは奄美には群生しているが国内では一般的ではなかったのだろう。ハマユウも描かれている。ちなみに、この図鑑が出る前年の昭和28年(1953年)のクリスマスに、奄美はアメリカから日本に返還されている。
さて、熱帯植物といえばこちらは、枇榔樹、つまり、ビロウも載っていない。別の本によると、ビロウはアジマサという名で、日本書紀にも登場するらしいのだが。
画面左上の方に描かれている蝶はアサギマダラだそうだ。
田中一村の絵で最も有名なものの一つが、アダンを描いたこの絵だろう。アダンは奄美や沖縄に分布する植物。中国南部や東南アジアでも見られる。一見、パイナップルのような外観で甘い香りを放つが繊維質が多く、人間の食用にはなりにくい。熟して地面に落ちた実をヤシガニやヤドカリがよく食べる。
この絵こそ、一村が「閻魔大王えの土産物」と書簡に記した作品の一つなのである。生まれ育った土地から遠く離れた奄美の風物を満足いくレベルで描けた証だろう。熟したアダンが緑や青、オレンジのグラデーションで美しく描かれている。潮風に乗せられ、あの甘い香りが漂ってくるような絵だ。
アダンも図鑑にはなかったので、僕が今年、奄美で撮った写真を貼っておく。
これも「閻魔大王えの土産物」の一つ。クワズイモとソテツなどの植物を描いていながら、実はいちばん描きたかった、描かなければならなかったのは、植物のずっと向こうに見えている、海に浮かぶ岩、奄美ではこれを「立神」という。神々が島に上陸する前にまず立ち寄る神聖な場所で、島の周囲にいくつかある。
クワズイモはサトイモ科なのだが、その名のとおり、食べられない。食べると中毒症状を起こすので、毒草に指定されることもあるが、その一方でしばしば多くの毒草がそうであるように、薬草に指定される場合もあり、腹痛や赤痢、ヘルニア、外的には膿瘍、ヘビ毒や虫刺症の治療薬としての効能があるという。
図鑑にクワズイモは載っていなかったがサトイモ科というのでサトイモの項目をクリップしておく。確かに葉や花は似ている気がする。
ソテツは図鑑に載っていた。ソテツからは澱粉が取れるというのはこれを読むまで知らなかった。澱粉が取れるということは…と調べていったら、やはり、ソテツから作られる焼酎もあるようだ。
当然だが、田中一村は博物画を描きたかったわけではない。奄美の自然を愛し、敬い、畏れていたのだろう。そして、それを絵にすることで、新しい境地、誰も到達できなかったところへ辿り着けた画家だった。
田中一村展 奄美の光 魂の絵画
会期:〜2024年12月1日(日)
会場:東京都美術館 企画展示室
開室時間:9:30~17:30、金曜日は9:30~20:00 ※入室は閉室30分前まで
休室日:月曜日、10月15日(火)、11月5日(火) ※10月14日(月・祝)、11月4日(月・休)は開室 ※土・日曜、祝日および11月26日(火)以降は日時指定予約制(当日空きがあれば入場可)
Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がける。また、美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。前職はマガジンハウスにて、ポパイ、アンアン、リラックス編集部勤務ののち、ブルータス副編集長を10年間務めた。国内外、多くの美術館を取材。アーティストインタビュー多数。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。