半世紀を超えて今また熱く読み継がれる名著『奇想の系譜』。もっともっとこんな面白い絵があるんだよと教えてくれた本だったがいつの間にかそっちの方の人気が高まって、本筋の絵の方の陰が薄いなら、そっちをあらためてちゃんと語りますという本が出た。辻惟雄先生のお話ってなんでいつもこんなに面白いんだろう。
曽我蕭白、狩野山雪、歌川国芳らに光を当てた美術史家
以下の用語を説明できる?
①辻惟雄 ②『奇想の系譜』 ③伊藤若冲 ④動植綵絵
難易度は簡単な方から難しい方へ、③→④→②→①の順かな。
③伊藤若冲はわかるだろう。江戸中後期に京都で活躍した画家。その代表作の一つが④動植綵絵。30幅の彩色画。皇居三の丸尚蔵館蔵。国宝。②『奇想の系譜』は伊藤若冲や狩野山雪など日本美術の本流ではないとされながらも特筆すべき絵師たちを取り上げた本。①辻惟雄はその著者である。僕はこれまで何度もインタビューや講演などでお会いし、以前から辻先生と呼んでいるのでここでも先生と書かせていただく。その最新著書の話。
なにっ? 若冲って、本流から外れているの? って驚かれるかもしれない。振り返れば、京都国立博物館が2000年に開催した若冲の展覧会からいろいろなことが動き出したのだ。「こんな画家がいた!」というキャッチから、当時の若冲のマイナー感がわかるだろう。その16年後の2016年、若冲の《釈迦三尊像》と《動植綵絵》を一気に展示した東京都美術館の「生誕300年記念 若冲展」では最長320分待ちの行列が出来た。320分? 5時間20分!
研究者や一部の日本美術マニアの間では知られていたが、そもそも美術や歴史の教科書に載っていなかった画家、若冲を一般的に紹介したのが1968年、雑誌『美術手帖』の連載「江戸のアヴァンギャルド」で、それが70年に単行本『奇想の系譜』にまとめられた。著者は辻惟雄先生。それまで、いわば傍流扱い、悪い言い方をする人ならゲテモノとまで言われる画家たちに光を当てた本だ。岩佐又兵衛、伊藤若冲、曽我蕭白、狩野山雪、歌川国芳、長沢芦雪という今では大人気の画家たちを取り上げた。
『奇想の系譜』出版から30年後の2000年の「若冲」展。この頃、インターネットの口コミが機能し始め、「すごい展覧会が京都でやってる」と話題を増幅した。若冲の重要な作品の所蔵者がアメリカ人だったり、日本美術にヒントを得て、自作に応用する村上隆や会田誠、山口晃ら現代美術アーティストの人気が高まってきた時期でもあったし、マンガやアニメ、CGまでもが日本美術の関連でも語られだした頃。当時新人歌手だった宇多田ヒカルが若冲作品をPVに取り入れたり。
以後、若冲らが日本美術ファンを増やし、展覧会に足を運ばせるのは喜ばしいことだが当の辻先生はこういう思いをしていた。「(『奇想の系譜』で取り上げたような画家たちばかりに)人気が集まりすぎて、それまで巨匠視されていた狩野元信、探幽、円山応挙らの影が薄くなってしまった」(本書「はじめに」)。そんな気がかりだったところに本書の編集者が現れる。
「最初はインターネットの記事用に展覧会の解説を、というような依頼だったと思うんだけど、円山応挙、長沢芦雪、やまと絵、それから狩野派と話していくうちにね、どうもこれは『奇想の系譜』を相対化する意図があるらしいぞ、と気づいたんです」(本書第5講 辻惟雄×山下裕二 師弟対談 あとがきにかえて)。アンチ『奇想の系譜』? 中和?
というわけで、辻先生、講義をお願いしますと始まり、こんな本ができた。全部で5つの講義が章立てになっている。
「第1講 やまと絵」では、中国をお手本にしていながら、島国の日本では、絵は面白い独自の発達の仕方をしたことをさまざまな例を挙げて説く。《源氏物語絵巻》、《鳥獣人物戯画》、《伝源頼朝像》、土佐派の作品、《日月四季山水図屏風》などなど、どれも教科書ピースだ。さらには1951年、東京国立博物館で俵屋宗達とアンリ・マティスを同時に見た若き日の思い出にも触れている。このとき先生は大学1年、18歳だった。
「第2講 狩野派」。この日本美術本流の画派について整理してくれてるのがありがたい。先生はもともとは狩野派二代目の元信の研究をしていた。元信、永徳、探幽、山雪、それぞれどこがすごいのか、どこが独特なのか、どこが見どころなのか。
「第3講 応挙と芦雪」ではこの師弟にスポットを当てる。かつては応挙の絵は立派なものだが、それほど面白みを感じられなかったという辻先生だが、ここではかなり丁寧に具体的に、作品を多く挙げながら応挙を語ってくれている。先生の語り口をもってすると実は応挙がかなり魅力的な画家に思えてくる。
長沢芦雪は『奇想の系譜』で取り上げた画家だ。芦雪だけは『美術手帖』の連載では書かず、単行本での書き下ろしだった。執筆当時、他の画家に比べて気乗りがせず、それを書評で鋭く指摘されてしまったこともあったというが、本書では師匠の応挙と対比することで、深掘りをし、あらためて芦雪の絵の良さがしみじみ伝わってくる。『奇想の系譜』の読者には真っ先に読んでもらいたい章である。
「第4講 私の好きな絵」では、《かるかや》と東山魁夷の作品を語る。《かるかや》は元祖ヘタウマともいうべき作品。先生は1990年、美術雑誌の国宝特集で「私が推す新国宝」(今後、国宝になるだろう、あるいは国宝になるといいなと思う作品)を10点選んでいるがそのうちの1点がこれである。素朴派、脱力系。これを国宝に、と言っちゃうあたりが先生のお茶目なところでもある。あと、東山魁夷だが、これは美術史的探究というより個人的な好みで、以前、辻先生が千葉市美術館の館長を務めていたときに展覧会を開催し、あらためて好きだと思ったのだそうだ。
「第5講 辻惟雄×山下裕二 師弟対談 あとがきにかえて」は辻先生が東京大学教授を務めていた時代の教え子で明治学院大学教授、日本美術応援団団長の山下裕二氏との対談である。師弟関係が40年以上になるお二人。日本美術の面白さ、凄さを語る系譜は受け継がれている。しかし対談ではある作品に関して自身の説を曲げない辻先生に山下氏があれもこれもと証左を示すも、辻先生の見解は揺るがず、それは見ていて天晴れであり、スリリングだ。
「第5講」以外は編集者との丁々発止のやり取りで構成されていて、辻先生曰く「まるで、熱心な学生と日本美術のマン・ツー・マン・ゼミをしているような気分になった」(本書「はじめに」)という。そのやり取りの中で、先生にしてもいまだに発見があり、たとえば、長沢芦雪《大黒天図》を見て、
辻惟雄(先生) 「この袋の線と左脚の線が……。」
編集者(生徒) 「袋、ですか? 大黒天の背中ではなく?」
辻惟雄(先生) 「え、これが背中? 線をたどると……、袖につながっているのか。(中略)これは、さも袋のように背中の線を引いて、おちょくってるのか。よくも騙しやがったな(笑)」
などというやりとりがある。なんだか、押し切られてしまう先生が素直だ。
掲載図版はオールカラーといかなかったが、豊富である。頑張った。いわゆる表4色、裏1色という印刷を駆使しているので見開き一つおきにカラーページが来る仕組み。これはコスト減とカラーページの両立を目指す編集のテクニックである。
『奇想の系譜』を筆頭にいくつもの名著を世に送った辻先生だが、90歳を超えてなお、こんなに楽しく、しかもますます日本美術への興味を沸き起こさせる本を出してくれたことにあらためて敬意と感謝を送りたい。
Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がける。また、美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。前職はマガジンハウスにて、ポパイ、アンアン、リラックス編集部勤務ののち、ブルータス副編集長を10年間務めた。国内外、多くの美術館を取材。アーティストインタビュー多数。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。