「歴史上の賢人たちや現代の人気作家や感動を与えてくれる芸術家たちと我々を繋いでくれるのが本。最近は電子書籍やオーディブルもあるが、役割は変わらない。しかし、著者サインのある紙の本となると、メディアであり、著者との繋がりの証であり、あたかも護符のようなものとも思える。■連載「アートというお買い物」とは
美術ジャーナリストの蔵書から出てきたサイン本たち
蔵書を整理していて、サイン本が結構あるなぁと思った。直接もらったものもあるし、ギャラリーやレアブックストアで買ったものもある。ネットオークションとか、フリマサイトではほとんど買わないかな。ちょっと心配だし。
手持ちの中から特に自慢のものをいくつかお見せしよう。
まずは、ジャン=ミシェル・バスキア(1960年 – 1988年)のドローイング作品集。バスキアを扱っていた2つのギャラリー、スイスのGalerie Bruno BischofbergerとアメリカのMary Boone Galleryの共同出版だった。Bischofbergerのサイトによると、「Limited edition of 1000 copies, numbered and signed by the artist.」と書いてあるので、限定1,000部で全部にサインがあるということ。ということは偽サインはないということだな。
僕はこれを1980年代の終わり、まだ渋谷区神宮前にあった頃のギャラリー360°(そうだ、南青山から、近頃また神宮前に戻ったんだ)で買った。2万円だったので2冊買って、1冊は知り合いにプレゼントした。その後、彼女はパリに引っ越してしまったけれど、今でも持っていてくれてるかなぁ。
サインはこんな感じだ。JMBと読める気がする。アメリカのAmazonのマーケットプレイスにこの本が出てるけど、$34,678.75だって。今だと540万円くらいか。笑。
次、こちらも亡くなってしまった人のサイン入り。写真家のベルント&ヒラ・ベッヒャー夫妻の奥様の方、ヒラさんのサインが入った展覧会カタログ。これはデュッセルドルフの彼女のスタジオに取材に行ったとき、インタビューが終わって帰ろうとしたら、そのとき開催したばかりの新しい展覧会のカタログにサインしてくれたのだった。
2009年、ボローニャ近代美術館附属モランディ美術館で展示をしたときのものらしく、そこに「Es war ein schöner Nachmittag.」(佳い午後でした)と彼女のサイン「Hilla Becher」と書いてくれた。この取材のとき、夫でアーティストとしてもパートナーだったベルントさん(1931年 – 2007年)はすでに亡くなっていて、彼女も2015年に亡くなった。
ヒラ&ベルント・ベッヒャー夫妻は産業遺産や給水塔、伝統的住宅などを一定の条件(正面や側面、曇天時など)で撮影し、複数の写真を並べ、そこに差異や特徴を見出すというタイポロジー(類型学)的手法で世に知られた写真家である。たとえば給水塔だとこんな感じだ。彼らは1991年のヴェネチア建築ビエンナーレの彫刻部門(!)で金獅子賞を受賞している。
そして同じくドイツ出身の写真家のヴォルフガング・ティルマンス(1969年 - )の写真集。ティルマンスは直接インタビューもしたし、東京、金沢、ヴェネチアとかでも会ったことがあって、他にもサインしてもらった本とかもあるのだけれど、これはちょっと事情が違う。
このときはティルマンスではなくて、この写真集の版元のTASCHENの創立者のヴェネディクト・タッシェンを取材してて、逆に向こうから「あなたはアーティストでは誰が好きですか?」と聞かれたので、「ヴォルフガング・ティルマンスです」と答えたら、数週間後にこの写真集が日本に送られてきた。
上の細い字がティルマンスのサイン、下の長々してるのがヴェネディクト・タッシェン。彼は版元だから、きっとアーティストにサインしてもらった本をたくさん持ってて、あとで自分のサインも書き加えて、こういうときにプレゼントしてるのだろう。
そしてこちらは、アメリカ人のアーティスト、クリスチャン・マークレー(1955年 - )。音そのものや音にまつわるグラフィックなどをモティーフとした作品やパフォーマンスで知られる。これは彼の名作《The Clock》の展覧会図録。
およそ5万本の映画の中なら時計(掛け時計、置き時計、腕時計、駅や広場などの塔の時計など)が時刻を示しているシーンを抽出し、それを24時間、実際の時間どおりに編集して繋いで映像作品としている。その作品のタイトルが「The Clock」。つまり、24時間の映像作品。2011年のヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞を受賞。日本では2011年のヨコハマトリエンナーレ2011で上映された。横浜でも24時間上映が1回のみ行われた。これはロンドンのギャラリー、White Cubeでこの作品を発表したときのカタログ。入手困難。
実際の作品では、時計の写るカットと次の時計のカットばかりではなく(それでは時計カタログになってしまう)、それらの間の風景や人間模様、あと、シーンをうまく繋ぐための、たとえばドアを開く/閉じる動作なども入ってくるのだが、このカタログでは時計の写っている場面だけを切り取っている。
この本にサインをお願いしたら、マークレーは自分の腕時計を見て、「午後7時5分だな」と確認して、午後7時5分のページを開き、そこにサインしてくれた。「To Yoshio in Yokohama at 19:05 Christian Marclay」。Cool ! さて、次に会ったのはその何年か後、小田原の江之浦測候所だった。そのときは午後4時15分。というわけで、このページのここにサイン。「on time ! Christian Marclay」。次回は、いつ、どこで「何時に」会えるかなぁ。
こちらは写真家とかアーティストではなく、作家、評論家、映画製作者のスーザン・ソンタグ(1933年 - 2004年)の『写真論』。1990年に出たANCHOR BOOKSのペーパーバック版。原著は1977年に出ているから、読み継がれていた証である。
ニューヨークに長く住んでいた古くからの友人が古書店で買って、送ってくれた。「もちろんお持ちの本だとは思いますが、これを見つけたので送ります」という彼女の手紙が添えられていた。『写真論』は持っていたけど、『ON PHOTOGRAPHY』は持っていない。日本語で読んでも、強靭で知性に溢れたしかも詩的な文章を英語ではどういうふうに書いてあるのだろうと、日本語に照らし合わせながら、辞書のように読んでいる(つまり通しで読んだことはない)。
「写真は偽りの現在でもあり、不在の徴しでもある。暖炉の薪の焔のように、写真、とりわけ人物や遠い風景、はるかな都市、失われた過去の写真は空想を誘う。写真によって喚び覚まされた、手の届かないものへの想いは、離れているためにますます望ましくなる人びとへの恋情をじかにかきたてる」(『写真論』より。近藤耕人 訳)
これ以外にもサイン本はいろいろあるし、もちろん、日本人アーティストやデザイナー、建築家のものもある。また機会があったらお見せしたい。
Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がける。また、美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。前職はマガジンハウスにて、ポパイ、アンアン、リラックス編集部勤務ののち、ブルータス副編集長を10年間務めた。国内外、多くの美術館を取材。アーティストインタビュー多数。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。
■連載「アートというお買い物」とは
美術ジャーナリスト・鈴木芳雄が”買う”という視点でアートに切り込む連載。話題のオークション、お宝の美術品、気鋭のアーティストインタビューなど、アートの購入を考える人もそうでない人も知っておいて損なしのコンテンツをお届け。