ART

2024.07.16

『アンアン』『ポパイ』『オリーブ』雑誌デザインの一時代を築いた新谷雅弘の仕事

新谷雅弘という名前を目にしたことがないだろうか? 多くの雑誌のエディトリアルデザインを手がけ、日本の雑誌の一つの型を作ったと言っていい。現在、島根県隠岐在住。彼の展覧会が島根県立美術館(松江市)で開催されている。

『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」
『ポパイ』の記事の例。ここでは様々なイラストを使ったページを紹介している。

T定規、写植…1970年代のエディトリアルデザインを振り返る

1970年創刊の雑誌『アンアン』のレイアウトから始まり、その後、『Made in U.S.A.』、『ポパイ』、『ブルータス』、『オリーブ』などのアートディレクションを務めたデザイナー、新谷雅弘の展覧会「『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」が島根県立美術館で始まっている。

僕自身、『アンアン』、『ポパイ』、『ブルータス』の編集に関わった身として、会期中には見に行く予定でいるのだが、先んじて展覧会の公式図録が届いたのでまずはそちらを紹介しよう。

コンピュータのDTPソフト出現以前、デザイナーたちは製図板とT定規(わからないかな?)と三角定規を使ってレイアウトの線を引いていた。カラー写真ならポジフィルムや紙焼き、モノクロなら紙焼き、イラストは複写したもの、それぞれを誌面に割り付ける。こんな感じだ。

『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」
『ポパイ』32号(1978年)の特集「VANが先生だった」の表紙レイアウト(再現)

雑誌のタイトルロゴもイラストも見出し(特集タイトル)、英文タイトル、カバーデイト、定価なども全部手書きである。コンピュータのデータで渡すわけではないので、文字の書体の種類、級数(大きさ)、色の指定などがこと細かに指示されている。この指定紙(いわば設計図)に沿って、印刷所は写植(わからない?)で打った文字を貼ったりした版下を作り、それぞれの要素の色を決めて製版するのだ。

出来上がった雑誌はコンピュータでレイアウトして作ったものと変わらないのだが、この時代はこうして作っていた。そんな時代から活躍していたのが新谷だ。

『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」
『ポパイ』32号(1978年)特集「VANが先生だった」(マガジンハウス)筆者私物

レイアウトの指定紙は雑誌が完成すると破棄されてしまうのが普通で、なので今回の展覧会では、こんなふうにレイアウトしていましたという感じで、当時の体裁で再現制作されている。

この『ポパイ』32号はこの号発行のおよそ2か月前に会社更生法を申請し、事実上倒産したヴァンヂャケットに感謝、敬意を表する特集を組んだ。表紙イラストは穂積和夫によるもの。

そのほか、新谷が手がけた『ポパイ』の表紙が並んでいる。

『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」
『ポパイ』の表紙 45号〜88号 「60年代特集」「ロサンジェルス特集」「ニューヨーク特集」「気分はもう夏」などの名作がある。

雑誌『ポパイ』のもとになった雑誌が平凡出版(現在のマガジンハウス)の子会社、平凡企画センターが編集し、読売新聞社発行のムック(雑誌と書籍の中間のような出版物)『Made in U.S.A.』である。このときのスタッフが『ポパイ』創刊を担った。新谷もそのひとりだった。

『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」
1976年創刊の『ポパイ』の元になったのは、1975年に出た『Made in U.S.A.』と1976年の『Made in U.S.A.-2』(ともに読売新聞社)

この頃、新谷は昼間は『アンアン』編集部(銀座)でレイアウトをし、夜は平凡企画センター(六本木)でこのデザインをしていたという。

『ポパイ』創刊の4年後の1980年、そこからスピンアウトする形で誕生したのが『ポパイ』の上の世代を狙った雑誌『ブルータス』だ。『ポパイ』同様、誌名タイトルロゴや初期のアートディレクションは当時、パリに住んでいたデザイナー、堀内誠一が一時帰国して担当した。新谷は大学を卒業した少しあと、堀内と知り合い、アシスタントをした経歴があり、以後、堀内の一番弟子として、活動した。

『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」
『ブルータス』の表紙 創刊号(1980年)〜47号 タイトルロゴのアルファベットは堀内誠一のオリジナル。

堀内のあと、新谷が2年ほど『ブルータス』のアートディレクションの仕事を引き継いだ。

新谷は1943年、大阪生まれ。生後まもなく島根県隠岐に疎開。大阪市立工芸高校、多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。大学入学直後にのちに装幀家となる菊地信義と出会う。大学の恩師だったデザイナー、福田繁雄の紹介で入社したグリーティングカードデザイン会社で、デザイナーで絵本作家の堀内誠一と出会う。その流れでアド・センターに入社、堀内の助手となる。1970年、『アンアン』の創刊に参加。前述の雑誌のほか、『鳩よ! 』『Hanako』『GINZA』『MUTTS』(以上マガジンハウス)、『たくさんのふしぎ』(福音館書店)『マミイ』(小学館)なども手がけた。1979年、イラスト、デザインのユニット「パレットくらぶ」結成。メンバーは、イラストレーターのペーター佐藤、原田治、安西水丸、新谷雅弘。母校の多摩美術大学では非常勤講師も務めた。10年ほど前から隠岐に在住。

『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」
新谷が直接、あるいは私淑し、敬愛する3人の先輩、花森安治、堀内誠一、大伴昌司についてのページ。

新谷が自らを「後輩」と位置付け、尊敬する3人の先輩を紹介するページも。『暮しの手帖』(創刊時の名称は『美しい暮しの手帖』)編集長の花森安治、直接の師匠である堀内誠一、『少年マガジン』の図解特集を手がけた大伴昌司を挙げている。

『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」
イラストレーター、安西水丸(1942-2014)のページ。新谷が『鳩よ!』のアートディレクターを務めた時期、安西が表紙を手がけていた。

イラストも手がける新谷だが、友人のイラストレーターたちとともに、「パレットくらぶ」というイラストレーターズユニット、さらにはスクールを作ったりもした。パレットくらぶのメンバーはもとより、多くのイラストレーターに慕われ、新谷は70年代〜80年代のイラスト全盛の時代を盛り上げたひとりである。

40歳代後半から上の人たちには懐かしい雑誌のエディトリアルデザインを牽引した人として重要、デザインに関心や興味のある人には必見、また、デザインや編集に携わる人にとっては時代を超えて学ぶべき点が多々ある新谷の仕事である。東京から離れた地での展覧会なので、簡単には見にいけないかもしれないが機会に恵まれたらぜひともお薦めしたい(僕もまだ見てないけど、8月に見に行く予定)。

『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」
「『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」【公式】展覧会資料集
¥1,960 ※オンラインショップでも購入可能

『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事
会期:2024年6月28日(金) ~ 2024年9月2日(月)
開館時間:10:00~日没後30分(展示室への入場は日没時刻まで)
休館日:火曜(8月13日は開館)
料金:一般1,300円、大学生1,000円

Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がける。また、美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。前職はマガジンハウスにて、ポパイ、アンアン、リラックス編集部勤務ののち、ブルータス副編集長を10年間務めた。国内外、多くの美術館を取材。アーティストインタビュー多数。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。

TEXT=鈴木芳雄

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