現在、大阪の国立国際美術館で大規模な個展「クリスタルパレス」を開催中の梅津庸一に話を聞いた。独自の活動を続け、素材や表現方法は多彩、発言にも注目が集まる。エキセントリックに見えるが、相当オーソドックスでもある。今後の梅津の活動、現代アートの来し方行く末を思うとき、この展覧会は必ず見ておいた方がいい。
ヴィジュアル系バンド「DIAURA」ともコラボ!? 前代未聞の美術展の全容とは
――梅津さんのことを知らない読者もいると思いますので、端的に梅津庸一ってどんなアーティストだと説明しますか? また、他のアーティストとどこが違うと思いますか?
はじめまして、美術家の梅津庸一です。突然ですが、みなさんは「現代美術」あるいは「アート」と聞いていったいなにを思い浮かべるでしょうか?
「作品がアートオークションで高値で取引される」「プロジェクションマッピングによるスペクタクル性の高い没入型、体験型のアトラクション」「街の外壁に勝手にグラフィティを描く」「ハイブランドとのコラボレーション」、そのようなセンセーショナル、もしくは華やかなイメージを持たれる方も多いかもしれません。そう、大衆文化と密接に結びついたものであると。
いっぽうでアートはとっつきにくく難解で実のところ「なにをしているのかわからない」、そんな二面性を持っているかと思います。
では、僕が日頃から取り組んでいる美術はどんなものなのか。端的に言ってかなりオーソドックスでクラシカルな感じです。具体的に言うと「絵画」「陶芸」「版画」「パフォーマンスを記録した映像」などこれまで美術というジャンルが紡いできたものの延長線上で活動している作家です。明らかな新規性はない、けれどもいろいろな種目をこなせますというマルチタレント的な立ち位置でなんとか頑張っています。アート界は自由で好きなことをできると思われがちです。まあ、実際好きなことはいくらでもできるのですが、それだけでは群雄割拠のアート界では相手にしてもらえません。
僕はこれまで「美術とはなにか」ひいては広義の意味で「人がものをつくるとはなにか」といった根本的な問いを追求してきました。僕の初期作品で代表的な仕事のひとつに自分自身の等身大の自画像の絵画があります。それも全裸で、美術史上の先行世代の作家たちの作品に描かれた裸婦のポーズを模倣してみせる。知っての通り日本は、明治時代に西洋から「美術」という概念、制度を移入しました。その際の受容のされ方がちょっと特殊で、そういった日本の美術の成り立ちを、自分の自画像を通して考えると。
とにかく初期の僕はよく裸になっていました。「裸=梅津」みたいな。自画像というきわめてパーソナルなモチーフと美術の受容史を重ね合わせるという戦略です。「我が国にとって美術とは何か?」、さらに「作品におけるヌードの大半を女性が担ってきたのはなぜか?」といった歴史が抱え込んできたジレンマや歪みを考察してきました。いわば、わたしたち全体の問題と個人の活動とを同期、リンクさせるというのが僕のやってきたことです。
また、アーティストが作品を作るってなかなか微妙なところもあります。例えばリンゴの絵を描いて「はい、これが僕の作品です」と言い切れるのか、説得力を持つのかっていう。僕はアーティストである、そしてこの国でアートをやっていくんだっていう必然性に対して、けっこう早い段階から疑問を抱いてきました。それも自分自身を作品の主題に据えた理由のひとつです。
次に他のアーティストとの違い、そうですね。さきほども少し触れましたが一定期間で、作風どころかメディア自体もガラっと変えていくところかと。たとえば、コロナ禍が始まった頃から急に陶芸を始め、2021年からは滋賀県の信楽にアパートを借り、製陶所も間借りしていきなり本格的に作陶を始めました。陶芸はまったくの素人でしたが世間の閉塞感とは裏腹にどんどんのめり込んでいきました。今でも年間で数百点のペースで作り続けています。
さらに1年ちょっと前からは町田の「版画工房カワラボ」で版画制作を始めました。陶芸も版画も工房での制作という共通点があり、更に言えば産業においては型落ちした技術を使っています。信楽はいわゆる「大物」を得意とする産地ですが職人による手仕事が生み出す「味わい」を商品価値としています。また版画も銅版画、リトグラフともに昔は書籍を作るための印刷技術だった。
産業は時代を経るごとに新しい技術に置き換わっていくのが常ですが、アート作品は一般的に言えば過ぎ去ってしまった技術を効率化や合理化とは違った観点から編みなおします。美術にはロストテクノロジーとなりつつある技術を保存するという役割もあるのです。今一度、工房という場所の持つ意義、そしてそれらがたんなるアーティストやアートマーケットの下請けではないと証明したい。工房でちょっと作品を作って終わりではなく、とにかく深入りして工房と協働しながら実際にちゃんと作品も作りつつ、そのプロセス、ドキュメンテーションも含めて見せていきたい。美術の産業としての側面を解像度高く追求、開示したいと思っています。
アーティストの多くは自分のアイコンとなる作品を、ちょっとずつアップデートしていく場合が多いのですが、僕の場合は様々なメディアそしてあらゆる命題をどんどん試していきます。ただ、そうすると、アーティスト像がとっ散らかっていってしまうので、その中でどのような一貫性を持たせるのかみたいな。そういう意味では個人商店というか飲食店におけるメニューの構成と似ているかもですね。
あとは、「美しいな」「きれいだな」っていう美学的なものと、世界を、社会をより良くしたい、ここが問題だからもっとこうした方がいいんじゃないかとか、そういった政治的な視点。現在は両方とも一括りに「美術・アート」って言われています。二極化している。僕はどちらか一方ではなく、ゆるやかに横断しながら活動していきたいと思っています。
――今回の「梅津庸一 クリスタルパレス」展の見どころを教えてください。
国立国際美術館の個展会場は1500平米あります。40代前半にして、この規模の個展をさせていただくのはなかなか珍しいことです。ですが、作家としては志半ばの状態なので「これが梅津庸一という作家です」と収まりよくパッケージングされてしまうと、上がった作家になってしまいます。
だから回顧展形式の会場構成ではあるけれども、見ているうちに「おや、この展覧会何かおかしいぞ」という作りになっています。作品を制作年順に淡々と並べていくのではなく、様々な展覧会の文法を試しています。いかにも新聞社主催の印象派展みたいなセクションもあったり、アートフェアみたいなブース、前衛美術家のアジトみたいな雰囲気の場所、宇宙船の中のようなSFチックな雰囲気のお部屋とか。振り幅を持たせています。中でも見どころは第3章「新しいひび」ですね。十数メートルある巨大なバナナのような形の台座に陶芸作品《花粉濾し器》が無数に並んでいます。
あとは第4章「現代美術産業」の版画の部屋。額装された版画作品が並ぶだけではなく、壁全体に約八百枚以上のリトグラフが貼りこまれています。版画の壁紙ですね。約80メートルの壁が僕の描いた柄で埋め尽くされています。フレームに入った作品の解説を読みながら鑑賞するだけではなく、アートはわたしたちの生活、ライフスタイルにも影響を及ぼし得ると、身近に感じていただけるはずです。
――その作品のうち、主なものを解説してください。
僕、実は中学生の頃からヴィジュアル系バンドのSHAZNAと出会って以来、熱狂的なヴィジュアル系のファンなんです。ヴィジュアル系のファンを一般的に「バンギャ」と言うのですが、男性ファンのことは「ギャ男」と言います。それで今回、国立国際美術館での個展ということで「Dictatorial Aura」つまり独裁的オーラを放ち、ヴィジュアル系シーンを“独裁すること”をコンセプトに掲げるDIAURAさんに意を決してお声かけさせていただきました。
事前にDIAURAさんに展覧会の趣旨・コンセプトを説明し、書き下ろしの楽曲「unknown teller」を作っていただいたんです。たいへんに素晴らしい楽曲です。さらにそれを僕が聴き込んでMVを制作させていただきました。最新の技術であるAIの動画生成を駆使した映像作品になっております。で、さらにですね、このCDが国立国際美術館のミュージアムショップで限定販売しております! サブスク全盛のこの時代にアートピースとしてDIAURAの音源を美術館でリリースできたのはかなり意義深いと思います。皆様よろしくお願いします。
あとはあれですね、この展覧会「クリスタルパレス」は世界で最初の国際博覧会であるロンドン万博(1851年)のパビリオンの名前からとられています。それは来年ここ大阪で開催される大阪・関西万博に先駆けて昔から密接に関係してきた「万博と美術」を今一度考え直そうと。ここでは詳しく触れませんが。
――梅津さんは日本の美術教育や現代美術シーンについても発言しています。それをどのように見てきて、それに対してどんな行動を起こしてきましたか?
これまで美術史や美術制度の欠陥や歪みを批判、指摘する、いわゆる制度批判の作家として活動してきた節があります。もちろんそれだけではダメなので私塾「パープルーム予備校」を主宰・運営し美術大学を経由せずにアート界に参画するための方法を模索したり、展覧会を無数にキュレーションし続けたり。
けれども、今や美術というジャンル自体がポピュリズム化し急速に専門性を失いつつあります。そんな状況下でただ踠き続けるだけではどこにも辿りつかないのではないかと。今は美術の表現者である前にひとりの自営業者として「観客」ありきの活動をしていきたいとあらためて思っています。「クリスタルパレス」は美術展ではありますが、とある人物の活動の失敗も含めたトライアンドエラーを見ていただけますのでいろんな業種の方に見ていただきたいです。
「梅津庸一 クリスタルパレス」
会期:〜10月6日(日)まで
会場:国立国際美術館
休館日:月曜(9月16日・23日は開館、9月17日・9月24日は休館)
観覧料:一般 1,200円/大学生 700円
Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がける。また、美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。前職はマガジンハウスにて、ポパイ、アンアン、リラックス編集部勤務ののち、ブルータス副編集長を10年間務めた。国内外、多くの美術館を取材。アーティストインタビュー多数。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。