ART

2024.03.12

20世紀最高の静物画家モランディが、ボロボロになるまで読んだ2冊の本

画家のアトリエを見にいくのが好きで、これまでもいくつか見た。この部屋でこんな光であの絵を描いていたのかと想いを馳せる。今回は20世紀にイタリアで活躍した画家、ジョルジョ・モランディのアトリエに行ったときに知った、そこに残されていた本の話。■連載「アートというお買い物」とは

ジョルジョ・モランディのアトリエ
左のマザッチオの本のようにかかっていたカバーが破れたのか、ジョットの方はカバーを少し小さく切って、別の紙に貼る補修をしている。

モランディの家にあった画集と同じものが、家にやってきた!

2018年、ジョルジョ・モランディ(1890年 - 1964年)のアトリエを見に行った。イタリア、ボローニャに生まれ、ボローニャで亡くなった画家。ボローニャはイタリア北部、エミリア=ロマーニャ州の州都。西ヨーロッパ最古の大学であるボローニャ大学の街である。彼は生涯のほとんどをボローニャとその近郊、アベニン山脈の麓の町、グリッツァーナで過ごした。

ジョルジョ・モランディのアトリエ
ボローニャのフォンダッツァ通りにあった住まい兼アトリエにて。

モランディというと、あの落ち着いた色で描かれた壺や瓶や水差しの絵が思い浮かぶだろう。あとは花瓶に活けられた花とか、窓から見た風景とか。彼が生きた時代、さまざまな芸術運動が発生した。キュビスム、シュルレアリスム、形而上絵画、未来派、抽象表現主義…。初期にはジョルジョ・デ・キリコと見紛うような形而上絵画があったり、未来派の影響を受けた絵もあったが、結局はどのムーヴメントにも属さない孤高の人であった。

ジョルジョ・モランディのアトリエ
アトリエの一角に置いてある簡素なベッド。この左側のスペースで絵を描いていた。

結婚はせず、2人の妹と生活していた。生涯に国内旅行はしているが、海外旅行はパリに2度行ったくらい。夏の3か月をそのグリッツァーナで過ごし、残り9か月はボローニャの街中の質素なアパートに住んだ。そのアパートではアトリエと寝室が同じ部屋だった。絵を描いて疲れると眠り、目が覚めるとまたすぐに絵を描いたのだろうか。

ジョルジョ・モランディのアトリエ
夏の3か月を過ごしたグリッツァーナの家。1階はリヴィングやキッチンなどで、2階にアトリエや寝室があった。

グリッツァーナの家は2階建てで、周りにそれほど家も建っていない。外からの眩しい光も入ってくる。真逆とも思える2つのアトリエでも、彼の描くモチーフは変わらなかった。

ボローニャのアトリエは訪れる人も多く、すでに記念館的な管理がされている。スチールの扉を持つ書庫には彼の蔵書や資料本が並び、壁にはパネル展示がされ、展示ケースもあった。廊下から室内の写真が撮れる。一方、グリッツァーナは一部、保護用のアクリル板が立ってはいるものの、彼と妹さんたちが住んでいた状態に近いのだと思う。

ジョルジョ・モランディのアトリエ
グリッツァーナの家の1階のリビング。本はモランディ時代のものとその後に出版されたものも。

案内をしてくれた人も常駐の人ではなく、週末の公開日だけ近所の人が鍵を持ってきて、簡単な説明をするボランティアのような立場だったようだ。だから、いたってカジュアルにクローゼットの扉を開けてくれたり、机の引き出しを開け、中のものを見せてくれた。これが筆、これがメガネ、これは絵を描くときに使った手製の定規…。目が止まったのは引き出しからとり出し、机の天板に置いてくれた2冊の本。ジョットの画集とマザッチオの画集だった。手のひらサイズの。

ジョットの方は相当くりかえし見ていたのだろう。たぶん表紙がボロボロになって、自分で表紙を補修していた。きっと、アッシジの聖フランチェスコ聖堂やパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂にも行ったに違いない。

ジョルジョ・モランディのアトリエ
机の引き出しの中のものを取り出して次々に並べてくれた。本だけを撮影したのがトップにクリップした写真。

ジョットとマザッチオの本の表紙の写真を撮っておいた。その写真をちょっと気に入っていて、引き伸ばして額装して、部屋に飾っている。

そうだ、この本って今でも買えるのだろうか。検索してみたら、アメリカのアマゾンのマーケットプレイスでヒットした。ニューヨーク郊外の古書店で見つかった。いい時代だなぁ。ネットの無い時代、もしも外国の古本屋で偶然この本を発見したら、神様に感謝するほどの出来事だっただろう。今は自分のパソコンで検索して、値段に納得したら、カートに入れるだけ。日本にも送ってくれるよねと確認しながら。

ジョルジョ・モランディのアトリエ
左:『TUTTA LA PITTURA DI GIOTTO』RIZZOLI – EDITORE 1952年
右:『TUTTA LA PITTURA DI MASACCIO』RIZZOLI – EDITORE 1951年

モランディ先生の私物は手にとって繁々と見るわけにはいかなかったけど(案内の人はなんでもガンガン触っていた)自分の手元に届いた本を見ていろいろわかった。初版は1952年12月だから、モランディ先生62歳のときに出た本。『TUTTA LA PITTURA DI GIOTTO』だから『ジョット全絵画』。コンパクトな美術全集で、内容はほとんど図版。全体とディテールが基本モノクロで紹介されている。各巻、数ページだけカラーがある。

版元はリッツォーリ。リッツォーリをニューヨークの書店と思ってる人もいるかもしれないがミラノが本拠地である。当時の価格は1,300リラ。文章は当然イタリア語。けれどボリュームのほとんどが画像なので構わない。しかもグラビア印刷だ。どうしても文字を読みたければ翻訳ソフトで読めるだろう。

マザッチオの方も探してみた。こちらはどこの古書店から来たかわからなくなっているけど、1.69ユーロと鉛筆で書いてあるのでアメリカではないね。イタリアかな。マザッチオの方はジョットの6割くらいの厚さなので当初の価格も1,000リラ。こちらは1951年12月初版で、僕のは1956年9月の第三版だった。このシリーズに共通するのは絵画のトリミングが抜群にうまいこと。判型が小さいので全図が載せられず、トリミングの良さで勝負しなければならない。

ジョルジョ・モランディのアトリエ
左『TUTTA LA PITTURA DI LEONARDO』RIZZOLI – EDITORE 1952年
右『TUTTA LA PITTURA DEL CARAVAGGIO』RIZZOLI – EDITORE 1951年

さらにレオナルド・ダ・ヴィンチの巻とカラヴァッジョの巻を買ってしまった。レオナルドはイギリスの古書店から来た。カラヴァッジョはイタリアから。ボリュームはともにマザッチオと同じくらいなので、ジョットだけがとびきり分厚いということになる。

画集でこの巨匠たちの絵を見るにつけ、ああ、やっぱり、イタリアの教会や聖堂や礼拝堂で、ほんものの絵を見る旅にまた行きたいなぁと思ってしまう。けれども、モランディ先生が熱心に読んで、机の中にしまわれていたのと同じ画集が今、僕の手元にあるって考えるだけでもわくわくする。今日のところはそれでいいことにしよう。

Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がける。また、美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。前職はマガジンハウスにて、ポパイ、アンアン、リラックス編集部勤務ののち、ブルータス副編集長を10年間務めた。国内外、多くの美術館を取材。アーティストインタビュー多数。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。

■連載「アートというお買い物」とは
美術ジャーナリスト・鈴木芳雄が”買う”という視点でアートに切り込む連載。話題のオークション、お宝の美術品、気鋭のアーティストインタビューなど、アートの購入を考える人もそうでない人も知っておいて損なしのコンテンツをお届け。

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TEXT=鈴木芳雄

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