世界中の美術館が展覧会を待望するアーティスト奈良美智を作ったのは旅と音楽だった。いつか出ていくことを決めていた故郷で仲間とともに作り、運営したロック喫茶。今はもう建物ごとなくなってしまったが、そのときのスピリットを持ち続け、奈良の今日がある。青森県立美術館で展覧会開催中。カタログが先日、出版された。■連載「アートというお買い物」とは
10年ぶりに出身地・青森で大規模個展を開催中
漂泊とは、たどりつかぬことである。
寺山修司『旅の詩集』
たとえ、それがどこであろうとも、
われわれに夢があるあいだは、
「たどりつく」ことなどはないだろう。
奈良美智は10年ぶりに出身地である青森県の県立美術館で大規模個展「奈良美智: The Beginning Place ここから」を開催している。その展覧会の公式図録であり、これまであまり深く語られていなかった奈良自身のある原点について詳細に触れている書籍が刊行された。
奈良は展示の追求度も高く、またインスタレーション展示も数多くあるので、展覧会開幕後に撮影し、そこからの編集・制作となったため、開幕からおよそ2ヶ月後の公式カタログ刊行となった。そうやってじっくり作れたからこそというか、時間がかけられたのだからというか、展覧会カタログを超えた最新の奈良美智論になっている。
展覧会では1980年代に描いたものや学生時代に描いて、自分では廃棄しようとしたけれど、仲間がたまたま保存しておいた(その絵にもう一度下塗りをして、カンヴァスとして使おうとしたのかもしれない)絵なども展示されている。展覧会とこの公式カタログについて解説していけばキリがないが、今回の展示の中でも、奈良の原点として重要な、かつて弘前市にあった小さなロック喫茶にテーマを絞って書いてみたい。
奈良美智は1959年、青森県弘前市生まれ。小学生時代に自作したラジオから流れてきたロックやフォークにハマって以来の音楽好きだ。三沢の米軍基地の軍人向け放送を聴いていたと思われる。自宅近くに出来たロック喫茶は様々な点で奈良に大きな転機を与えた。その建設、内装を手伝い、開店後は皿洗いのアルバイトやDJもやったりした。そこで知り合った年長の大学生たちからのカルチャーの洗礼も受けたし、美術大学というものの存在を知ったのもそこだ。その後、故郷を離れ、愛知県立芸術大学とその大学院、デュッセルドルフ芸術アカデミーに籍を置き、34歳くらいまで学生を続けた。
奈良美智を形作ったものは音楽ともう一つは旅だった。小学生の頃、牛乳を持って自宅の裏山に出かけたことから始まり、学生時代からヨーロッパや中国での美術館巡り、雑誌の取材で出かけた戦禍の中のアフガニスタン、世界各地の美術館で開催される展覧会があり、それに伴う旅、そして、東日本大震災を機に自身のルーツを探すための北(北海道、サハリン)への旅。今でも旅は彼にとって、生きていく上で重要な要素を形作る。No Travel, No Life.
人気画家であることをもう30年近く続けてきた奈良は、故郷のこと、自分の幼少期のことなどこれまでも求められたり、あるいは日記の中で自発的に語ってきた。美術大学に行き、それも34歳くらいまで続け、しかも外国に住み、人気が高まってきた頃はインターネットも急速に普及した時代と重なり、ブログによって、時差なく、奈良という現代アート界のスーパースターの今日を知ることができたけれども、それだけでも足りず、もっと知りたくなるファンも多かっただろう。朴訥(ぼくとつ)とした津軽弁をベースとした話しぶりは独特の説得力を醸し出す。
言ってみれば人とは違うやや珍しい人生を歩み、その語り部としても魅力的な奈良にそんな話をせがむのは自然な成り行きではあり、もうすでにずいぶん語り尽くされたのではないかと推測していたのだが、なんと今回の青森県立美術館では若き日の奈良にとって非常に重要な一つの「はじまりの場所」が出現している。高校生の時に手伝った、そして、先輩たちから影響を受けた場所、ロック喫茶「33 1/3」の実物大再現展示だ。これは画期的だった。
2017年、豊田市美術館での展覧会「奈良美智 for better or worse」を機に奈良の特集を組んだ雑誌『ユリイカ』の中で、奈良本人はこう書いている。
「僕は毎週のように週末はライブハウスに通い、家から徒歩五分にあったロック喫茶には毎日通った。ロック喫茶にはターンテーブルが二台置かれているDJブースがあって、毎晩そこで選曲してプレイした。常連となっていく音楽好きの大学生たちとも仲良くなって、彼らの文学や演劇、映画談義に耳を傾けた。そして僕は自慢するように、彼らの知らない音楽の話をしたのだった。」
『ユリイカ』2017年8月臨時増刊号、総特集「奈良美智の世界」所収 奈良美智「半生(仮)」
このロック喫茶での仲間たちとのふれあいの経験が、今も奈良の活動には必須となる小さなコミュニティと関係を持つという姿勢につながっているのだろう。それだけではない。ロック喫茶はアパート1階のガレージを改造して造られ、その内装やテーブル、椅子、カウンターまで作り、壁には絵を描いたのだという。徹底してDIYな場所、そして造作仕事にも器用な奈良は重要な役割を果たしている。
2001年の横浜美術館での個展「奈良美智展 I DON'T MIND, IF YOU FORGET ME.」のときにコンクリートの型枠を再利用した小屋のような建物を会場内に作り、そこにドローイングをたくさん飾った展示があった。あれが小屋的な展示の初期だったと記憶するが、その後、小屋は奈良の重要なインスタレーションというかそれ自体が作品であり、その中にドローイングなどを展示する場になっている。
今回の青森県立美術館の展示でも、群馬県渋川市の原美術館ARCが所蔵する奈良のアトリエを縮小した小屋のようなインスタレーション作品《My Drawing Room》(2004/2021)がそのまま丸ごと移設展示されている。そのほかにも小屋をモチーフとした作品はいくつかある。いずれも手づくりの、一見粗末ではあるけれど、きっと奈良には居心地のいい空間なのだろうと想像できる。その原点があのロック喫茶だったのではないか。
弘前の高校生だった奈良がまだ見ぬ世界を思い描き、いつかその町を出ていくことを漠然と想像していた頃。彼が実際に作っていたのはアパートの1階のガレージを改造したそれほど大きくないロック喫茶だったけれども、そこを中心にして、その後に広がる世界を見ていたし、今はもう取り壊されてなくなってしまったけれど、世界のどこにいても、ずっと自分の原点として持ち続けられる「はじまりの場所」としてそのロック喫茶は死ぬまで存在し続けるのだろう。
もう失われて、二度とたどりつけない場所。でも、夢を持ち続けることを身につけた彼には、もうたどりつかなくてもいい場所である。
奈良美智: The Beginning Place ここから
会場:青森県立美術館
会期:〜2024年2月25日(日)
休館日:12月25日(月)〜2024年1月1日(月・元日)、9日(火)、22日(月)、2月13日(火)
開館時間:9:30〜17:00 (入館は〜16:30) ※2024年1月20日(土)、2月17日(土)はナイトミュージアムにつき20:00まで開館(入館は19:30まで)
観覧料:¥1,500(一般)
Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がける。また、美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。前職はマガジンハウスにて、ポパイ、アンアン、リラックス編集部勤務ののち、ブルータス副編集長を10年間務めた。国内外、多くの美術館を取材。アーティストインタビュー多数。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。東京都庭園美術館外部評価委員。
■連載「アートというお買い物」とは
美術ジャーナリスト・鈴木芳雄が”買う”という視点でアートに切り込む連載。話題のオークション、お宝の美術品、気鋭のアーティストインタビューなど、アートの購入を考える人もそうでない人も知っておいて損なしのコンテンツをお届け。