アスリート、文化人、経営者など各界のトップランナーによる、人生の特別講義を提供するイベント「Climbers(クライマーズ)」。その第8弾が、2025年5月8日、9日の2日間にわたって開催され、ビジネスパーソンを大いに熱狂させた。今回、特定非営利活動法人ジャパンハート 最高顧問/ファウンダー/小児外科医の𠮷岡秀人さんによる特別講義を一部抜粋して掲載。すべての講義を聴くことができるアーカイブ配信はこちら。※2025年5月12日〜5月30日18時までの無料限定公開。申し込みは画面内下の「無料視聴登録はこちら」より。

ミャンマーで医療活動を行う理由
海外で医療活動を始めて、もう30年になります。先日、ミャンマーの大地震の時に震源地の真上で医療活動を行っていましたが、運良く生き残って今日を迎えています。
ミャンマーは平均月収3000円の国。僕の病院にやって来て、高額な治療費を払える患者はほんの一握りです。ミャンマーをはじめ東南アジアには、生まれながらに頭蓋骨の一部が欠け、そこから脳がはみ出してくる脳瘤(のうりゅう)と呼ばれる病気が多い。日本では珍しいですが、東南アジアでは5000人に1人生まれてくるという研究もあります。
これまで脳瘤や小児癌の子どもたちをたくさん診てきました。助かる命もありますが、死んでいく命もあります。そうした状況で、僕はどんな医療を目指しているのか。それは、心が救われる医療。患者がたとえ亡くなったとしても、「私は生まれてくる価値があった」と思える医療です。
そのためには何が必要か。それは、大切にされることです。人に大切にされるだけで、生きている価値があったと思える。だから、治せても治せなくても、その患者が貧しくても貧しくなくても、大切に接する。そんな医療をずっと続けているんです。
僕が医者になったのは1990年。日本で小児科医として働き始めましたが、当時はまだバブルの時代。お金を持っている人間が偉い、大きな企業に勤めている人間が偉い、という時代でした。そんな時代に僕は「恵まれない環境の人たちのために、一生時間を使っていこう」と考えました。それで、30歳になった1995年にミャンマーへと渡航したんです。
ミャンマーを選んだ理由は特にありません。世界中、どこでもよかったんです。自分のことを本当に必要としてくれる場所に行きたかっただけ。でも、その考え方は日本の人には理解してもらえませんでした。当時はお金がすべての時代でしたから。でも2000年代に入って、僕のような生き方が世の中の人に受け入れられ始めました。僕の元にやってきてくれる若い医師や看護師は、どんどん増え続けています。
僕ら人間に、無限の時間さえ与えられれば、できないことはない。けれど人間には長くても100年というリミッターがある。この100年で、人生は終結してしまいます。このいつ終わるかわからない、限りある時間というものは果たして何なのか。何をしてもいいわけですが、僕は30代の時に「人生とは、限りある寿命というものは、それを使って何か別のものに変える作業」だと悟りました。
であれば、僕は自分の寿命をつかって、死んでいきそうな子どもたちの命に代えていこうと誓いました。ちょうど60歳になりましたが、今もそう思って医療活動を続けています。
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2025年5月12日〜5月30日18時までの無料限定公開。申し込みは画面内下の「無料視聴登録はこちら」より。
𠮷岡秀人/Hideto Yoshioka
1965年大阪府生まれ。大分医科大学(現 大分大学医学部)卒業後、大阪・神奈川の救急病院等で勤務。1995年、単身ミャンマーへ渡り医療支援活動を開始。その後一時帰国し、2003年からミャンマーで活動を再開。2004年に国際医療ボランティア団体「ジャパンハート」を設立。2021年12月「第69回菊池寛賞」受賞。毎日放送(MBS)『情熱大陸』には3度出演。