アスリート、文化人、経営者など各界のトップランナーによる、人生の特別講義を提供するイベント「Climbers(クライマーズ)」。その第7弾が、2024年5月15日、16日の2日間にわたって開催され、ビジネスパーソンを大いに熱狂させた。今回、元プロサッカー選手の小野伸二さんによる特別講義を一部抜粋して掲載。すべての講義を聴くことができるアーカイブ配信はこちら。※2024年5月20日〜5月31日18時までの無料限定公開。申し込みは画面内右上もしくは下の「視聴登録はこちら」より。
日本代表史上最年少、18歳272日でW杯へ
10人兄弟の5男。決して裕福な家庭ではなく、子どもの時は団地の階段でボールを蹴って遊ぶ毎日です。高校は清水商業に進学しました。ここで初めての壁にぶつかった。フィジカルトレーニングや走ることは幼い頃から得意でしたが、高校では練習についていけない。子どもと大人の差を感じたんです。そこで仮病を使って寮から逃げ出そうとも思いましたが、監督はお見通し。逃走の夢はかないませんでしたね。
その清水商業高校時代の厳しい練習が、26年間のプロ生活の土台を作ってくれた。高校を卒業し浦和レッズに入団。そこでのフィジカルトレーニングは、「こんなに簡単でいいの」と思えるくらい楽なものでした。ただ、高校とは違ってチームには10歳上、15歳上の先輩がいる。サッカーはチームスポーツですから、世代が違う選手ともコミュニケーションをとっていかなければならない。自分の人間性をどうやってアピールすればいいかと考えるようになりました。
高校卒業からわずか3か月、1998年のフランスワールドカップに出場。第3戦のジャマイカ戦で15分間、ピッチに立ちました。自分がどこにいるのかわからないくらい、緊張しました。夢にまで見た“すごい場”ですが、そのすごさを感じる余裕はなかったですね。
実は第2戦のクロアチア戦でも出るチャンスはあった。「行くぞ」という声がかかり、ウォーミングアップ開始。でも、なかなか交代のタイミングがなくて、ベンチで待っていました。その日、フランスは暑くて、いったんシューズの紐をほどき、足の熱を放出。でも、それがダメだった。シューズの紐も結んでないヤツを試合になど出せないと、出場を見送られてしまったんです。悔しい思いをしましたが、ピッチでは一瞬でも気を抜いてはいけない。いい勉強になりましたね。
11回の手術から学んだ感謝の心
フランスをはじめ、3度のワールドカップに選出されましたが、選手生活は決して順調なものではありませんでした。ケガが多く、プロ生活の中で11回の手術を経験。周囲から「趣味は手術?」とイジられることもありました。
特に1999年、シドニーオリンピックのアジア地区予選、フィリピン戦で負った左膝靭帯断裂のケガはきつかったですね。それまで10日間ボールを蹴らないことはありませんでしたが、この時はボールに触らない生活が3か月も続いた。チームメートが羨ましく、焦りを感じたし、それまで持っていたサッカーに対する頭の中のイメージがすべて消えてしまいました。
でも、主治医の指示に従って、1歩1歩進むしかない。復帰を目指してリハビリを続けていくだけです。その苦しさを抜けた時、「ボールと戯れる時間ってなんて楽しいんだろう」と思いました。この時間があるからこそ、苦しくても頑張れる。ただただサッカーが好きなんですよ。
ケガを通して学んだのは、感謝する気持ちです。「サッカーをしている」のではなく、「サッカーをさせていただいている」という感覚。感謝こそ、成長の根源です。
何事もいきなりのステップアップは難しい。焦らずに、目の前の壁を1歩ずつ乗り越えていく。今、僕は2児の父親となりました。子どもたちには、いつもそんな話をしています。
▶︎▶︎小野伸二さんの講義全文を動画でチェック。
2024年5月20日〜5月31日18時までの無料限定公開。申し込みは画面内右上もしくは下の「視聴登録はこちら」より。※アーカイブ視聴申し込みは5月31日18時まで
小野伸二/Shinji Ono
1979年9月27日生まれ、静岡県出身。1998年に清水商業高校から浦和レッズへ入団。オランダ、ドイツなど世界で活躍し、フェイエノールト時代にはUEFAカップを制覇。W杯3大会出場、五輪出場、アジア最優秀選手賞などFIFA主要大会全てに出場した唯一の日本人として多くの輝かしい経歴を残し、2023年12月3日に現役を引退。一般社団法人「CHARITY X」の代表としても活動の場を広げている。自著『GIFTED』発売中。