「ふざけんなヨ!」「もす!」などのユニークな日本語で、一世を風靡したボビー・オロゴン氏。芸能界で人気を博すと同時に、実は企業経営や不動産、FXなどの分野でも成果を上げる凄腕のビジネスパーソンでもある。そんな彼が異文化のなかで自らの力で機会を切り拓いてきた、その行動力やお金との向き合い方の原点とは。ボビー氏が幼少期から積み上げてきた価値観や仕事観を全3回に分けて紹介する。1回目。

兄弟は34人! 自分の夢を成し遂げるため日本へ
若い頃から貿易商である父親のビジネスを手伝うために、さまざまな国を訪れていたボビー・オロゴン氏。父とともに取引先のひとつである日本を初めて訪れたのは、約30年前のこと。それまでも、何度も訪れていた父親から日本の魅力は聞いていたが、初来日時に日本にどっぷりとハマるきっかけとなった出来事があったという。
「ある日すごく疲れていて、バスの中にバッグを置き忘れてしまったんです。気がついた時にはバスが走り去った後。もうパニックですよ! だってバッグの中に、お父さんから買い付けのために預かってきた、数百万のお金が入っていたんですから。もうダメだと本当に落ち込みましたよね。ところがなんと、そのお金がすぐに戻ってきたんです。しかも、1円も取られることなく。びっくりでしょ。他の国じゃ絶対考えられない、日本は天国なんじゃないかと思ったよ(笑)」
その後再来日し、本格的に日本に滞在することを決めたのだが、ビジネスの師でもある父親には当初反対された。
「お父さんは、日本にいたら自分の頭を他の人のために使うことになるんじゃないかって心配したんです。要は、ただのサラリーマンになってしまうんじゃないのかと。もちろんサラリーマンになるのも悪いことじゃないけれど、お父さんは根っからの起業家。それこそ、ビジネスは世界を救うものだというぐらいスケールの大きな考えの持ち主だから、自分の頭を使って自分でビジネスをしなければ意味がないと言っていたんだと思います」
もちろん、当時は日本語もわからない息子がどうやって生活していくのかという親としての心配もあっただろう。
「でも僕も20代初めで若かったし、もうノリでなんとかなると思った(笑)。その代わり、2~3年で自分自身で貿易ができるだけの力をつけろと、それができないのならすぐ帰ってこいと言われました」
実は、ボビー氏の兄弟はなんと34人。そんな大家族だからこそ、何者かにならねば34人のなかで埋もれてしまうという意識が子供の頃から強かった。遠く離れた日本で仕事を始めたのも、自分ひとりで何かを成し遂げたいという確固たる思いがあったからだ。

1973年ナイジェリア生まれ。ナイジェリアの国立大学を卒業後、1995年に初めて日本へ。1998年に再来日。2001年TBS『さんまのSUPERからくりTV』の街頭インタビューを受けた際、微妙に間違う日本語での会話が注目され、レギュラー出演へ。その後もユニークな日本語や明るいキャラクターで、一世を風靡した。また、経営者や投資家としても活躍している。
仕事に失敗はない、すべてが経験になる
それからボビー氏はチラシ配りからスーパーの品出しなど、あらゆる仕事をしてきたという。
「団地住まいだったし、お金は全然なかったですね。1日200円ぐらいのご飯代しかなかった時もありますよ(笑)。工場でも働いたし、シェフとして料理を作ったり、どんな仕事でも任されれば一生懸命やりました。それが一番成功につながる秘訣だと信じていたんです」
与えられた仕事はチャンスと考え、どんな仕事でも全力で向かっていく。しかし今の時代、合わない仕事や向いてないと思う仕事なら、早めに判断して別の仕事を探す方がいいという風潮もある。
「僕、合わない仕事って実はないと思ってるんです。その時は向いてないと思っても、どんなことだって次のステップへとつながるはず。テレビの仕事もそう。まったく未知の仕事でもあらゆることをやったのは、とにかく経験値を貯めるため。人生に失敗なんてない。失敗しても、それがひとつの経験や勉強として次につながるのなら失敗にはならない。そう信じて続けてきたんです」
当時は1日に2~3つの仕事を掛け持ちし、それはTVで仕事をするようになっても続いたという。
「レストランで働いた後にTVの収録をしたり、当時はかなり大変でしたが、基本的に“ワークスマート”を心がけていました。与えられた仕事は、効率的に終わらせるようにしていたんです。当時は時給だったし、ダラダラと仕事して時給を稼ぐこともできた。でもそれって僕にとっては、時間を無駄に売っているとしか思えないんですよね。それよりも早く終わらせて、次に何ができるのか考えたかった」
日本では必死に働き続けたボビー氏だが、それはあくまでも経験値を上げるため。起業を目的にはしてはいなかったという。
「起業するためにお金を貯めるとなると、自分は重く感じちゃう。だからお金を貯めることを目的にしちゃいけないと思ったんです。いいアイデアさえあれば、お金は勝手にやってくるもの。だから今もいいアイデアと思ったらお金を惜しまずに積極的に投資する。そういうものだと捉えています」
徐々に不思議な日本語とユニークなキャラクターでお茶の間の人気者になっていったなか、子供の頃から今にいたるまで忘れずにいたこととは何だったのか?
第2回は父親が導いてくれた社会教育、そして形成されていった仕事観について掘り下げる。
