ビジネスは闘いだ。百戦錬磨の男たちは何を心の拠り所としてきたのだろうか――。9人の勝負師のパワーアイテムから、仕事との向き合い方を知る。今回は、クリエイティヴディレクターの谷口勝彦氏に話を聞いた。【特集 勝ち運アイテム】
思い出の品への直筆サイン。それは才能が認められた証し
米国のスペシャリテショップであるバーニーズ ニューヨーク。その美装の殿堂を支えたウィンドウディスプレイの天才、サイモン・ドゥーナン氏に師事し、2023年までバーニーズ ジャパンにてディレクターを務めた谷口勝彦氏。同社が手がけるストアデザインやディスプレイ全般、そして広告ビジュアルにいたるまで、企業イメージに関わるすべてを統括していたのが谷口氏だ。
敏腕クリエイターの手元にアーティスティックな名品が集まるのはある意味当然。私物のみでギャラリーが開設できるほど、多彩なコレクションを谷口氏は所有しているのである。
なかでも思い出深い名品が、マノロ ブラニクのハラコのブーツ。ある意味、谷口氏のキャリアのトピックに立ち会った特別な逸品である。そもそもマノロ・ブラニク氏は女性用のパンプスなどで人気を集めた伝説的なシューズデザイナー。2000年代初期のTVドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』の主人公が履いたことから、ブランドは世界的なものとなり、“靴の王様”と呼ばれた。
「もちろん本国のバーニーズ ニューヨークでは、早くからマノロの靴を取り扱っていました。そしてその人気はミレニアム時期には高感度な日本人女性にも伝わっており、そこで日本のバーニーズにおいて2001年に、マノロの特設コーナーをつくり、さらに大がかりなウィンドウディスプレイを実施したのです。人の背丈もある大きな特注シューズを軸に、つくりこんだウィンドウディスプレイは多くの人の目を引き、大好評でした。
またこの企画の目玉として、マノロご本人を招いてパーティーを行いましたが、展示のレイアウトやデザインをかなり気に入っていただき、直接アレコレ話しました」
谷口氏自身も早くからマノロ ブラニクの靴を愛用しており、当時では珍しかったメンズモデルを2足所有していたという。そのうちの1足がハラコ革によるチャッカブーツ。もちろん先述のパーティーに履いていったことは言うまでもない。
最高の賛辞は直筆のサインに込められて
「日本にスターデザイナーのマノロを招くなどということは、レアケース中のレアケース。しかも自身の手がけたディスプレイを直接見てもらえるわけですから、この日は興奮しました。パーティーではハラコのブーツを履き、そして彼の靴を一堂に掲載した写真集も持参。その時、マノロは本当に何度も抱きつくほどに喜んでくれまして(笑)。手にしていた写真集だけでなく、僕が履いていた靴にもサインを書いてくれたのです。一生の思い出になりましたね」
店舗におけるビジュアルづくりや展示制作というものは、受ける評価の総量がわかりにくいもの。しかし尊敬する人物から直接賛辞が贈られたのだから、最上級の達成感が得られたのは想像に難くない。そのあとも数々のクリエイティヴ事業において実績を重ねた谷口氏の元に、バーニーズ退任後の現在も多数のオーダーが届くのは、こういった経験があればこそなのだ。
「僕がクリエイションのなかで常にこだわるのは、そこにひねりの利いたユーモアがあるかということ。それがあれば唯一無二なものになるのです」
これは余談となるが、ある時バーニーズ ジャパンでは、あの美輪明宏氏をイメージしたディスプレイを行う機会があった。そちらも谷口氏の仕事であるが、後日、美輪氏の舞台に招かれ、楽屋にてご本人と歓談していたところ、谷口氏が履いていたマノロ ブラニクのハラコのブーツに目を留め、“いい靴ね”と言ってくださったとか。
思い出の1足は過去形ではないのだ。エピソードはこれからも蓄積していくに違いない。
POWER ITEM|マノロ ブラニクのブーツ
KATSUHIKO TANIGUCHI Steps in History
31歳|米国バーニーズ ニューヨークにて経験を積む
39歳|バーニーズ ジャパンのディレクターに就任
60歳|同社の取締役に昇進
65歳|taniguchi合同会社を設立。各種デザインディレクションやコンサルティングを行う
この記事はGOETHE 2025年2月号「総力特集:仕事を極めたトップランナーたちの勝ち運アイテム」に掲載。▶︎▶︎ 購入はこちら