日の当たる場所を歩き続けている印象だが、やはり、壁は訪れた。そんなときでも、壁と向き合い、今の自分を手に入れた森口博子。彼女なりのメンタルケア、セルフケアについて話を聞いてみた。最終回
第二の壁は30代。「落ちているときこそチャンス」
2025年でデビュー40周年、山あり谷ありといった道のりを振り返るなかで、ひとつの大きなターニングポイントとして、森口さん自身「30代」を挙げている。
「10代は、それこそ無限の可能性を信じて、尽きないバイタリティで夢を追いかけ続けました。20代に入るとバラエティ番組や歌謡番組などのレギュラー本数も数多くいただき、結果的に1991年から6年連続『紅白歌合戦』にも出場がかないました。振り返れば、ひとつのピークだったと思います。
そして迎えた30代。仕事も少し落ち着き始め、年を重ねたことによる体調の変化もだんだん感じ始めてくるんです」
それは、フレッシュなパワーで乗り切りながらプロとしての経験も重ねるなかで、信じた道を歩んだ末に訪れた壁でもあった。肉体とともに精神にもダメージを感じ始めていく。
「私の居場所って、今の芸能界にはないのかな、とか、少しずつ、不安に。実際、新人のころのようにチヤホヤされるわけでもなくて、ベテランのように貫禄があるわけでもない。自分の存在が、すごく中途半端に思えてきたんです。
さらに体調もどこか思わしくない。レギュラー12本になって、コンサートもやっていた多忙なあの時の、不規則な生活のツケが回ってきたのかな、と思い始めたんです」
ここで、森口さん特有のポジティブシンキングが、行動を変容させていく。
「きっと、“あなたの生き方を見直しなさい”という神様からのメッセージだと受け止めました。そこで、食事、睡眠、軽い運動を日課にして、人間としての自分を取り戻そうと、人生の再生をスタートさせたんです」
インタビュー1回目で触れた日課は、この頃から始まっている。
「思えば、20代の頃は、食事はガソリンとしか思えてませんでしたから。これをきっかけにガラリと変わりました。自分に対してももっと愛情を注げるようになったんです」
ここには、福岡時代からずっとひとり親として、我が娘を応援し続けてきた母の言葉も大きく作用している。
「とにかく笑っていなさい。口角をあげなさい」
ダメージを受けていた頃は、この言葉にさえも「辛いのに笑っていられない」と、反発している自分がいたという。ところが、人生の再生を始めてからというもの、「口角を上げるくらいタダなんだから上げとこう」と、ポジティブな気持ちを取り戻す。ここから、体と精神を整い始め、すべてが好転し始めたという。
「食事はおいしいし、仕事も楽しい。弱っていても励ましてくれるファンの方たちがいる。ファンレターで、“無理に笑わなくてもいいですよ”と寄り添ってくれる人さえも。やっぱり私は、“もっている”んだ、幸運なんだと心から色んな事に感謝できました」
改めて仕事を増やしていくなかで、森口博子のガンダムソングの価値も再評価されていく。
「40代のライブで、“50代でもガンダムのテーマを歌います”って、なんの確証も根拠もないのに宣言したんです。そしたら、その後、安彦良和監督(ガンダムシリーズ作品のキャラクターデザインを長く担当。『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』で総監督、『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』では監督を務めた)から、“そろそろ50代ですよね”と、50代を迎えて映画「機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島」主題歌のオファーをいただけた。なんとライブのMCを覚えていて下さったんですよ。“この作品に森口さんの声が欲しい”って仰って下さって。素敵じゃないですか?」
長い人生。必ず訪れるバイオリズムのアップダウン。マインドセット次第でやり過ごすことができるのは、森口さんが証明してくれる。
「沈む時期があるのも通常営業。これくらいの気持ちが大事です。人間はバイオリズムの生き物だと。ダウンの時は、とかく“なぜ自分ばかり”と思いがち。誰しも訪れるけど、皆それを口にしないだけ。だったら、私はそこで前を向きたい。絶対上がる時が来るのだから、今こそその時にしっかりと自分を表現できるように準備をしておこうと。しなかったという後悔だけはしたくないですから。落ちている時こそチャンスです」
それを身をもって体現してきた人の言葉は強い。
言霊を信じて、なんでも口に出していく
「若い時は、“辛い”って言ったら負けだ、なんて思っていたんです。でも、そこはもっとオープンに言うべきだったかなと」
振り返れば、しんどい時代を迎えてしまった一因を自分にも向け、内省を惜しまない森口さん。成功者らしいストイックさも垣間見せる。それは、きつい時にもっと声を上げるべきだったというもの。
「女性の30代に厄年が重なっているのも、今考えれば納得です。いろんな面できつかった。けれど、私は常に、結構“大丈夫”なふりをしてしまった。これは反省点。声に出さなければ、誰も私が“きつい”ことは理解してくれませんから。でも、どこか傷ついたりしていることってあるじゃないですか。
声を出さなかった自分も悪かったと思うこともあるんです。今は声をあげますが、その時に周囲の空気が張りつめないよう工夫して伝えるようにしています」
「言霊を信じる」という森口さんが、日々言葉を大事にして過ごすなかで、積み上げてきた今がありありと感じられる。
「何事も宣言して、実現してきましたから」と胸を張る。確かに4歳で目指した歌手として今ステージを沸かせているし、ガンダムの主題歌も「歌いたい」ではなく、「歌います」と宣言して、実現させた。
「“言霊理論”で言うと、結婚もそうだったかも」と、独身を貫く我が身を振り返ってくれた。
「私って、これまで結婚については、なぜかポジティブな発言をしてこなかった。大変だろうな、とか、難しいのかなとか。したいと思った時期もありましたが、それほどしたいわけじゃなかったって。実際、大変かどうかなんてわからないですよ、してもいないですから(笑)」
キャリアのなかで、「口に出していること」を必ずといっていいほど実現してきた彼女らしいコメント。その分、「自分の発言にも責任をもっていたい」という。
「インタビュー取材って好きなんです。言葉が残るし、自分の言葉で自分に発破をかけることもできますから」
自分の言葉で奮い立ち、新たな原動力とする。まるで「永久機関」。周囲にポジティブなパワーがみなぎる理由は、彼女のなかにその一端があるのだろう。
“推し活”が変えたもの。今後の森口博子とは
当然ながら、四六時中、気を張っているわけではない。「人間生活を取り戻した」森口さんは、もっか、“推し活”にハマっている。
「この年になって、我が子ほどの年齢のK-POPアイドル、ILLIT(アイリット)に大ハマり。オーディション番組発の5人組なんですが、全員ルックス、ダンス、ボーカル、表現力が素晴らしい。完璧、パーフェクト(笑)。どこか清潔感もあって、夢中になれたんです」
歌手になる動機でもあった、かつての昭和アイドルたちへの想いとはまた異なる。純粋な“推し活”の魅力に、人生で初めてハマっているのだという。
「自分に“推し”の概念が芽生えたことで、生活にもなんだかハリが出るように。今日はもう無理、という日も、“推し”からパワーをもらえることもあるんです。ハマってくると、歌番組のカメラ割りにも、映像を観ながら一人で勝手に口出しして突っ込んでます(笑)」
ファンとの距離感やコンサートなどの取り組みにもさまざまな点で活かせるメリットも。
「ファンの方々の気持ちが、これまで以上にわかるようになりました。コンサートグッズ製作にも活かされています。30cmアクリルスタンドを作ったり(笑)」
メリハリをつけながら、自分に愛情を向けて、息の長い活動を続ける森口さんの理想の姿はどのようなものだろう。
「ライブは私の生命線。皆さんがそこに焦点を合わせて足を運んでくれるライブはミラクルの結晶。私たちの譲れない場所を増やしていく。松田聖子さんや小林幸子さんといった尊敬する諸先輩方ように息長くできたら本望です」
最後に自分自身を振り返る。
「来年はおかげさまで40周年を迎えます。濃厚に色々な企画も考えているので楽しみすぎてたまりません。ひとえにずっとブレずに必要としてくれているファンの皆さん、私を信じて集まって下さるスタッフの方々に恵まれているんです。私の歌い続けたいという情熱を形にしてくださる。この歓びを共有できる事が私の最大の強み。感謝してもしきれない程。そして神様が“あなたに素敵な永遠の宝物をあげます”って、アニソンを授けてくれた。一音入魂で大切に歌っていきたいです」