平成以降、お茶の間を常に賑わせてきた印象のある“仕事人”森口博子。持ち合わせるのは、その場を明るく盛り上げるエンタテインメント性だろう。一方で、シンガーとして揺るぎない歌唱力をもち、幅広いジャンルの曲を歌いこなしながら、現在では“アニソンの伝道師”としても活躍。長らく第一線を走り続けてきた印象だ。そんな彼女の仕事術を解き明かす。2回目。
「毎回がプレゼン」楽しみながら、楽しませる。森口流エンタメ術
「仕事へは、毎回がプレゼンだと思って臨んでいます」
長らく第一線で活躍し続ける森口さん。このインタビュー中に起きた1時間程度のやりとりのなかでも、彼女のエンタテイメント性は溢れんばかり。「楽しいことが好き」と語るその言葉に嘘はない。
「このインタビューを含めて、どんな仕事でもそうですが、多くの歌手のなかから森口博子を選んでくださった。企業だったら採用されたということ。もしかすると私の代わりに選ばれたかった人が落選しているかもしれない。選ばれた喜びを噛みしめつつも、そういう緊張感をもっていたいんです」
ここまでも何度も記してきたオーディション落選の歴史が、森口博子をかたちづくる。振り返れば、一度は『水の星へ愛をこめて』で歌手デビューを果たすものの、その後ヒットに恵まれず、高校卒業直前には、事務所の組織図からその名が消えて、故郷の福岡に帰ることまでも提案されたという。これを、本人も「リストラ宣告」と呼び、捲土重来(けんどちょうらい)を期することとなったきっかけに位置付ける。
それを機に「どんなこともする」として、歌に繋がることを信じてバラエティ番組の仕事に挑戦。持ち前のエンタテインメント性を発揮しつつ得意の歌も披露しながら、いわゆる“バラドル”として活躍し、瞬く間にお茶の間の賑わいに欠かせない存在となっていった。
「とにかく楽しいことが好き。歌手もタレントもチャンネルをわけるということはありません。ただ、役割が違うとは感じています。バラエティは、多くの演者の方々とのキャッチボールで成立していますので、どう盛り上げていくかを客観的に見ながらのチームプレイ。歌の世界は、パーソナルな要素が大きいです。自分が伝えたいメッセージをスタッフの皆さんやバンドメンバーと磨き上げていく。自由度が高いと感じるのは歌ですね」
さらに言えば、森口さんが考えるエンタテインメントが凝縮しているのが、コンサートだ。とにかくオーディエンスを楽しませる。
影アナ(場内アナウンス)の段階から本人が登場することも! 影アナのウグイス嬢になりすますボケをかましつつ、ステージではお約束のキャッチボールでくすぐっていく。
「靴の紐を結ぶフリしてしゃがむんです。一番前のお客さんに“今、パンツ見えた?”って。“見たでしょ?”と詰める。お客さんは“見てない”と真っ向否定。“見たでしょ”“見てない”の応酬のあと、“いや、見なさいよ!”って(笑)。安住紳一郎アナからも“古典芸能”って呼ばれるんですが、こういうやり取りが楽しいんです(笑)」
グッズとコンサートの連携も魅力のひとつ。企画立案から森口さんが参画し、意思決定を進めていくのだ。「頻繁にサプライズも仕込みます」と、ここでは書けないさまざまな仕掛けが今回のツアーでも盛り込まれているという。みんなで作り上げる一体感が感じられ、その雰囲気にオーディエンスたちも心掴まれるのだろう。
「コンサートは自由なもの。最終的には、みなさんの生きる力につながる音楽をお届けしたい。譲れない居場所です。それがあるからコンサートはやめられません」
森口博子が紡ぎ出す言葉の源泉
「好きなんです、言葉が」
来年でデビュー40周年、テレビにコンサートにと八面六臂の活躍をし続けるなかで、大事にしてきたのは、言葉だ。ここまでの受け答えにも、きちんと整理された「森口博子の言葉」がある。作詞も行う森口さんは、中学時代からちょっとした日記を書き続けているのだという。
「昔ほどではないですが、周囲の人たちとの会話や、感じたこと、誰かが放った素敵な言葉など、何かあれば今も記しています」
実際、長い芸能生活のなかで、多くの先輩方や後輩たちと触れ合ってきた。「読書は苦手」と語る森口さんが、学びの師としてきたのは、関わってきたすべての人の言葉なのだ。
「雑談が好きなんです。雑談のなかにこそ宝がある」
故郷・福岡の高宮中学校先輩であるタモリさんから受けたアドバイスの“昔できていた事が正解とは限らない”は、森口さんの心にも深く刻まれている。
「以前できていた事が年齢を重ねてサッとできなくなり、落ちこんでいる時に、タモリさんにそう言っていただき楽になりました」
また、尊敬する女性アニソン歌手の大立者・堀江美都子さんからの、辛いときに励まされた言葉にも支えられているようだ。
「“体調がすぐれず声が出なかったとき、そんな日は何も考えずに自分のために歌ってあげて”って言われたときは涙が出ちゃいました。体が資本ですし、心も資本。自分を大事にする重要性にも気付かさせていただきました。これは、辛いときの支えになっています」
メンタルケアの面だけでなく、雑談はアイデアの宝庫でもあるという。
「水着グラビアの企画もスタッフとの雑談から生まれました。『〇〇〇な事しちゃったりして、あはは』みたいな感じで話していて、あっ!それホントにイイかも!って、実現しちゃうんです。何気ないところに宝があるんですよ」
日常、何気ない雑談をするなかで、新しい何かを見つけ、自分の糧としている。
夢に向かう方法はひとつじゃない
1985年のレコードデビューを機に高校2年で上京し、芸能コースのあった堀越学園高校に転校。同級生には、荻野目洋子や武田久美子、井森美幸などが在籍。彼女たちの活躍も尻目にしながら、デビュー後も活躍しきれない自らの状況に歯痒い思いをして過ごすことも。
何度も挫折しそうになるなかで、夢に向かって邁進し続けた結果が今の姿なのだろう。度重なったオーディションの落選や、高校卒業直前の「リストラ宣告」から、バラエティ番組で活躍するタレントとして花開き、ふたたび歌手としての我が道を歩んでいる。
振り返ると非常に起伏に富んでいるが、決して順風満帆ではなかっただろう。彼女が、夢に向かう原動力は、どこにあるのだろうか。
「私の場合は、何かを乗り越えるというよりも、歌手になりたいんだから、なれるまで続けるしかない。なりたい”ではなく“なる”、そんな想いが一番強かったんです。なりたいものに最初からなれるわけじゃない。
とにかく行動するというのがポイント。自分が自分を信じないと一歩も踏み出せないと思うんです。結果、諦めなかったことで、歌手としての道を広げてくださった方もいます。バラエティへの道は、迂回策でしたが、結果的にはよかったと思います。この子に何かあると信じてくださった方のためにも頑張ってこれた。夢に向かう方法は一つじゃないんです」
バラエティ進出後、レギュラー12本と人気は拡大。さらに映画『機動戦士ガンダムF91』の主題歌『ETERNAL WIND ~ほほえみは光る風の中~』に抜擢、デビュー6年目にして初めてオリコンウィークリーのベスト10を果たし、全国ツアーも実現することに。こうして、森口博子流のオリジナルなポートフォリオが作られていく。
※3回目に続く