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2024.12.28

上戸彩、鈴木おさむ、麒麟…2024年に一番読まれたインタビュー記事ベスト5【まとめ】

2024年に読まれた著名人のインタビュー記事をまとめてお届け! ※2024年1月〜2024年9月掲載記事を再編。

2024年に読まれた著名人インタビュー記事

1.鈴木おさむ「僕も老害になっていた」。40代からのソフト老害とは

ソファーに座っている鈴木おさむ

僕は「老害」による被害者側だとずっと思ってきました。

でも、この一年はそうでもないと思っています。

老害は60代、70代の話ではない。40代から老害を与える加害者側に立っている人もかなり多い。

事の始まりは、とあるYouTube チャンネル。『街録ch』という人気チャンネルをご存じでしょうか?

三谷三四郎というテレビディレクターが町中で、とんでもない人生を経験した人たちにインタビューするもので、これがとてつもなくおもしろい。

三谷Dは、元々お昼の番組『笑っていいとも!』のADさんで、そのあとディレクターになり、僕もいくつか番組を一緒にやっていたことがある。

三谷Dが、テレビから少し離れて、『街録ch』を始めてヒットし始めたときに、嬉しくて電話した。「良かったな、三谷」と言っても、なんかノリが悪い。あんまり嬉しそうじゃない。

その理由が一年後にわかった。

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2.「ほぼ仕事ゼロ、ドン底だった人生が一変」麒麟・田村裕を救った芸人仲間

麒麟・田村さん ボールを持って笑顔

お笑い芸人・田村裕の人生を変えた、自叙伝の爆発的ヒット。

2007年8月刊行の『ホームレス中学生』が200万部を超える大ベストセラーになると、田村は周囲から「先生」ともてはやされた。

相方である川島明とのコンビ・麒麟でM-1グランプリのファイナリスト常連となり、着実に芸人としての力を伸ばしていた時期ではあったが、『ホームレス中学生』によって田村は一気に世の中から注目され、信じられない量のスポットライトを浴びることになった。

「本がヒットした後は、みんなチヤホヤしてくれた。でもそれも一時期のことで、徐々に熱が冷めていき、近くにいた人たちはスーッと去っていきました。世間からは見下され、少しでもテレビに映ると、SNSで『まだ生きてたんだ』とか書かれる。『川島と違って田村は終わった』とか、そんなことも散々言われました」

川島のピンでの露出が増えるのとは対照的に、田村の仕事量は右肩下がり。2017年頃には「探偵!ナイトスクープ」を除けば、ほぼテレビ出演の仕事がない状態に陥る。

元来ネガティブな性格だったこともあり、精神的にもかなり追い詰められ、まさにドン底だった田村。しかし、そんな状況のなか、ある芸人仲間の言葉に救われたという。

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3.三児の母・上戸彩「習いごとはお休みさせず、お小遣いは“お給料制”」

上戸彩

自分がどうしたいかよりも、周りがどうしてほしいかを素早く読み取り、その期待に120%応える。そんな風にして、着実にキャリアと年齢を重ねてきた上戸彩。

「25歳くらいの頃、事務所から『彩が好きなようにしていいよ』と言ってもらえるようになりました。理解がある人たちに恵まれているのはもちろんですが、それまで10年以上、与えられた仕事を自分なりに精一杯頑張ってきたからかなとも思います。何の実績もないのに自分の要求を突きつけても、受け入れてはもらえませんから」

出産後、プライオリティの筆頭は子供になり、仕事はスケジュールに無理がない範囲で受けるようになった。子供たちがまだ幼く、夫婦だけでなく、両親や親類などの手も借りながらの子育てのため、仕事を受けるかどうかは家族に必ず相談する。

実は、Prime Videoで独占配信中の完全版ドラマ『沈黙の艦隊 シーズン1 ~東京湾大海戦~』への出演を決めたのは、家族に背中を押されたのも理由のひとつだったという。

「私は原作の漫画を知らなかったのですが、旦那さんが昔から作品の大ファンで、『すばらしい作品だよ、絶対にやったほうがいいよ』と勧めてくれました。本当にその通りで、出演させていただけて、すごく良かったと思っています」

この作品の撮影中には妊娠していたが、衣装を用意するスタイリスト以外には伏せていた。

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4.【池松壮亮】「父が保育園運営、甥や姪が5人、子どもや未来への関心は、自然と持っていた」

映画『ぼくのお日さま』。奥山大史と池松壮亮の対談

――池松さんは、「池松壮亮が子どもと出会い、週末を一緒に過ごしてみたら」というプロジェクト「Fill Me In!(ねぇ、おしえて)」をされています。小学生の男女のペアとあちこち出かける風景をキャッチアップした映像を段階的にSNSでアップされていて、今作との共通点も感じます。今、子どもとのお仕事に面白さを感じているのはなぜですか。

池松 子どもへの関心、未来への関心は今だけというものではなく、いつからか自分自身がもっているものだと思います。僕はきょうだいやいとこが多い家庭で育って、姪っ子、甥っ子が5人います。それから、建築の会社を営んでいた父が、25年ほど保育園を運営していました。父親が出社前に、保育園に寄って子どもたちに読み聞かせをする姿を見たり、お迎えの時間に間に合わなかった家庭の子どもたちが、僕が帰宅すると我が家を走り回っているということもありました。子どもが周りに多い環境で育ったことは大きいかなと思います。また、映画という文化産業に取り組む中で、より良い世の中について考えるほど、未来と向き合うことや、教育というものは切り離せないものだなと感じてきました。

映画の現場においても子どものパワーってやっぱりすごいなと感じてきました。奥山さんも『僕はイエス様が嫌い』と本作と、子どもを中心に据えた物語を撮ってきています。平成が終わり令和となって、2020年代に入り、僕も30代になって、コロナという世界規模のものを経験し、長く続いた時代の限界と次の時代に向けた大きな変化を迎えているいま、社会のあり方もふくめて、もっと未来へと目を向けるべきだなとより感じるようになって、今のような出会いや活動に繋がっているのかなと思っています。

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5.岸博幸「がん判明から1年が経ち、僕の余命は9年になってしまった」

岸博幸氏

2023年1月20日、僕は自分が血液のがん、多発性骨髄腫に罹患していること、そして、余命10年であることを知った。

この時、胸に去来したのは、「そうか、ここ1年ほど体調不良が続いていたのは、年のせいではなく(僕は当時60歳になっていた)、病気のせいだったのか」という納得感のようなものだった。病気を公表した直後の7月下旬に受けたゲーテの取材で、「病気がわかってショックだったか?」と聞かれた時、僕はそう答えた。

人気が高い人間ドックと、この病気の権威であるドクターの予約が、自分がたまたま空いている日にとれるなど、「ツイている」と思うことが重なったとも話した。さらに、余命10年とわかったおかげで自分の生き方を見直すことができたのだから、病気になったのはむしろラッキーだったとも。

それらの気持ちに噓偽りはないし、虚勢を張っていたわけでもない。ただ、病気の告知から1年以上経った今、改めて考えると、やはり告知された時の僕は動揺していたのだと思う。いつもなら他人の発言に対して詰めまくるのに、その時は医師の言葉になんの意見も疑問も投げかけず、ただ「そうですか」と頷いてしまったのだから。

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TEXT=ゲーテ編集部

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