日本卓球界をリードするだけでなく、今や、卓球王国・中国をも脅かす存在へと成長した張本智和、美和兄妹。智和は早稲田大学(通信教育課程)3年に在学し、高校1年生の美和も成績優秀と、兄妹を文武両道に押し上げた張本家の子育てを紐解く。#前編
“張本智和の妹”と呼ばれるのが嫌だった
「智和は卓球も勉強も大好きで、辞めたいと言ったことは一度もありません。もっと(卓球が)うまくなりたい、もっと(勉強が)できるようになりたいと、努力を惜しみませんでした」
ただし、5歳下の美和は少し事情が違ったようだ。智和が小学校卒業後に東京のJOCエリートアカデミーに進んだのを機に、宇氏は日本代表男子のジュニア担当コーチに就任し、上京。美和の教育は、主に妻、凌さんが担っていたが、好奇心が旺盛で感情豊かな美和は「時々母に反発していたみたいです」と、宇氏は振り返る。
「『張本智和の妹』と呼ばれるのがイヤだったこともあって、小学生時代の美和は、卓球に対してそれほど情熱を持っていなかったと思います。ダンスや歌など、他に好きなこともありましたしね。美和が卓球を辞めたいなら、それでも構わないと思っていました。今も、その気持ちは変わりませんし、それは、智和に対しても同じです」
宇氏、凌さん共に、子供たちが卓球をすることに固執していないように思えるが、それは、二人がプロの厳しさをイヤというほど知っているためだ。
卓球以外のことを封印し、365日すべてを卓球に捧げても、頂点に立てるのはほんの一握り。たとえ頂点に立ったとしても、それで残りの人生すべてが安泰というわけではない。ケガで選手生命を突然絶たれるというリスクもある。幼少期から、卓球より勉強を優先させた背景には、「卓球選手にならない人生」を想定しての想いもあったようだ。
「美和は中学生になって木下卓球アカデミーに所属してから、卓球に対する気持ちが大きく変わりました。すばらしい選手たちと共に練習し、メジャーな大会でも結果を残せるようになって、卓球に対する熱意が高まったのでしょう。最近は、『張本智和の妹ではなく、張本美和としてみんなが認識してくれている』と喜んでいます(笑)」
親に指摘されるより、自分で気づく方が身になる
人生を賭して打ち込めるものを早い段階で見つけ、着実に努力し、成果をあげると同時に、勉学も手を抜くことなく優秀な成績を収める。多くの親が理想とするであろう育ち方をしてきた張本兄妹だが、思春期ならではの難しさはあったのだろうか。
「あまりなかったですね。それらしいことと言えば、私がコーチとして帯同していた試合で、タイムを取ることを勧めた時、智和に拒否されたことが2回ほどありました(※卓球の試合では、コーチがタイムを要求しても、選手は必ずしもそれを受け入れる必要はない)。劣勢に立たされたので、ここでひと呼吸置いた方がいいと思って進言したのですが、智和は、『このままいける』と思ったのでしょう。結果的に、その試合には逆転負けしてしまいました。これは、私だけでなく他のコーチや監督に対してもあったので、親への反抗というわけではないと思いますが」
負けた後、親子でタイムについて話をしたかと問うと、「特にしなかった」と宇氏。
「私がいろいろ言うよりも、自分で気づく方がずっといいし、身に着きます。実際、この経験を通じて、智和はタイムをとることの大切さをわかってくれたようです」
自分の子供としてコントロールしようとせず、本人の意思を尊重する。張本家の子育ての根底にあるのは、「子供は、自分とは別の人間」という確固たる考えがあるのかもしれない。才能豊かな子供たちに対して、「もっとできるはず」などとハッパをかけたこともないそうだ。
「もっと上にいってもらいたいという気持ちがないわけではありません。でも、それを口にしてしまうと、子供がプレッシャーに感じ、良い結果につながらないような気がします」
その代わりに宇氏が口にするのが、「頑張っているね」という言葉。「朝から勉強をして偉いね」「毎日しっかり練習していて、すごいね」など、努力している過程を認め、褒めるという。
「私が一番大事だと思っているのは、継続すること。卓球も、勉強も、突然できるようにはなりません。毎日コツコツと、努力を重ねることで、上達するのだと思います。子供の継続を後押しするのは、『やりなさい!』と怒ることではなく、『頑張っているね』と誉めることだと思います」
自分を過信し伸び悩む選手をたくさん見てきた
もうひとつ、宇氏が大切にしていることがある。どんな成功を収めても、天狗になることなく、ひたむきに真摯に努力するという姿勢だ。
智和も美和も、近年の活躍は、親としても指導者としても誇らしい限りのはず。それでも宇氏は、「すごいね、よく頑張ったね」と言った後、必ず、「さあ、またゼロからのスタートだ。頑張ろう」と声をかけるという。それは、長年卓球業界に身を置いてきた宇氏が、努力することを辞めてしまえば、そこで成長が止まってしまうことを、身に染みて知っているからに他ならない。
「大きな大会で何回も優勝すれば、自信がつきます。それ自体は選手にとってプラスだと思いますが、天狗になってしまうのは良くありません。自分の力を過信し、その後伸び悩んでしまう選手を私はこれまでにたくさん目にしてきました。智和や美和には、そうなってほしくないのです」
小学生の頃から天才少年として脚光を浴びてきた智和と、兄の威光もあって早くから注目されてきた美和。世間からどんなにもてはやされても、ふたりが奢ることなく、まっすぐに卓球に取り組んできた裏には、こうした宇氏の教えがあったのだろう。
「智和も美和も、ものすごく負けず嫌い。子供の時から負ければものすごく悔しがり、『何が悪かったのか』、『どうすればもっと強くなれるのか』を研究し、一生懸命練習に取り組んできました。負けず嫌いであることも、トップアスリートになるには必要な素質。そればかりは、親が教えられるものではありません。ふたりにその素質が備わっていたのは、幸運だったと思います」
現在21歳の智和と16歳の美和。まだまだ成長過程にあるふたりが、これからどんな活躍を見せてくれるのか。宇氏は、妻・凌さんと共に、子供たちとほどよい距離感をとりながら見守り続ける。