バスケットボール男子日本代表の比江島慎(34歳)が、2024年11月21日のアジア杯予選モンゴル戦、24日のグアム戦の2試合で、日本代表のキャリアに終止符を打つ意向を示した。青山学院大学時代に日の丸デビューして13年目。日本バスケ界の低迷期を知る苦労人に迫る。
日本バスケ躍進の立役者
2024年11月13日。日本代表のアジア杯予選に向けた国内合宿で、チーム最年長の比江島慎が「このウインドー(モンゴル戦、グアム戦の2試合)が最後の(代表活動の)つもり」との覚悟を口にした。
「僕がこのまま続けて若手が経験を積めないより、次の世代にどんどん経験させて僕らの世代を超えていった方がいいんじゃないかと考えた。自分の体の具合とかとも相談しつつですけど、そういったところですかね」
当初は2024年夏のパリ五輪を最後に代表を去る意向だったが、1次リーグ3戦全敗と不完全燃焼に終わったため、今回の活動への参加を決意した。
選手には代表招集に応じる義務があり、拒否した場合は代表活動期間中に所属クラブで試合に出られないなどの罰則を科される。日本バスケ界に“代表引退"の概念はないが、日本代表のトム・ホーバス監督(57歳)との信頼関係は厚いだけに、比江島の意志が尊重される可能性は高い。
青山学院大学4年時に日本代表デビューし、13年目。日本バスケ界が日の目を見ない時代からエースとしてチームを牽引してきた。
2015年のリオデジャネイロ五輪予選では孤軍奮闘するも本大会出場権を逃し、2019年W杯中国大会は5戦全敗に終わり「自信を失った夏」とショックを受けた。
2021年東京五輪も1次リーグ3戦全敗。東京五輪後に1学年下の田中大貴(33歳)ら同世代の選手が代表から去ったが「世界で勝ちたい」と日の丸にこだわった。
パリ五輪予選を兼ねた23年のW杯沖縄大会前の代表選考レース中は、十分なプレータイムを得られずに落選を覚悟したが、経験を買われてメンバーに滑りこんだ。本番の順位決定リーグ・ベネズエラ戦では第4クオーターだけで17得点と爆発して両チーム最多23得点をマーク。劇的な逆転勝利の立役者となり、48年ぶりの自力での五輪切符獲得に貢献した。
“比江島ステップ”と称される独特のリズムのドリブルは、唯一無二。東京五輪後に就任したホーバス監督の下で外からのシュート意識も上がり、2023~2024年シーズンはBリーグでトップの3点シュート成功率44%を記録した。
NBAで日本人最長の6季プレイした渡邊雄太(30歳)からも「世界でもマコを止められる選手はいないとずっと言い続けてきた」と一目置かれる存在だ。
富樫勇樹「比江島がキャプテンなので不安です(笑)」
コート上では頼りになる存在だが、コートを離れると年下から容赦なくイジられる愛されキャラ。アジア杯予選に臨むチームでは中学時代以来となる主将に任命され「冗談だと思った」と戸惑った。
パリ五輪で主将を務めた富樫勇樹(31歳)は「比江島がキャプテンなので不安です」と苦笑い。練習前の円陣でかけ声が小さく、ムードメーカーの川真田紘也(26歳)から「フニャフニャと何を言っているか分からない。はっきり言いなさい」と突っ込まれた。
日の丸を背負うラストマッチの覚悟で臨むモンゴル、グアムとの2試合。クラブ、代表を通してプロ入り後、初めて主将マークを巻いて大一番を迎えるが「富樫や(渡邊)雄太のようなキャプテンにはなれない。プレイで引っ張りたい。最後なので楽しんで悔いの残らないようにしたい」と気負いはない。
集中力が研ぎ澄まされた時の比江島は誰にも止められない。
Bリーグでも日本代表でも何度も“比江島タイム”と呼ばれる爆発力あるプレーを続ける時間帯を目の当たりにしてきた。集大成となるラストダンスからも目が離せない。
比江島慎/Makoto Hiejima
1990年8月11日福岡県生まれ。6歳からバスケを始め、京都・洛南高校から青山学院大学に進み、4年時の2012年に日本代表初選出。2013年にアイシンシーホース三河(現:シーホース三河)に加入。Bリーグでは2017~2018シーズンにMVP。オーストラリアのブリスベン・ブレッツを経て、2019年に栃木ブレックス(現・宇都宮ブレックス)に加入。W杯は2019、2023年大会、五輪は2021年東京、2024年パリ大会に出場した。191cm、88kg。