真打昇進からわずか4ヶ月で寄席のトリを務め、テレビ番組「笑点」のレギュラー大喜利に女性初の出演を果たした落語家の蝶花楼桃花(ちょうかろう ももか)に特別インタビュー。第2回。
小朝師匠の第一印象は“大きな赤ちゃん”
「初めて師匠である小朝の高座を見た時、大きな赤ちゃんが出てきたのかと思いました。キューピーちゃんのような尖った髪型に、ピンク色の“産着”のような羽織と着物。思わず『かわいい!』と心のなかで叫んでしまったんです(笑)」
25歳で落語家を目指して入門した蝶花楼桃花(ちょうかろう ももか)は、師匠である春風亭小朝の第一印象について、当時を振り返りながらそう語った。
かつて先輩落語家たち36人を抜いて真打昇進という異例の実績を残し、テレビ番組「笑ってる場合ですよ!」や「オレたちひょうきん族」などに出演していた春風亭小朝。そんな小朝と蝶花楼桃花の出会いのきっかけは、市民ホールで行われた落語会でのことだった。
出演者のひとりとして出ていた小朝を、名前やテレビでの活躍こそ知ってはいたが、実際に落語会で小朝の古典落語を聞いた時、その独自の世界観に一気に惹き込まれたという。
「いざ高座を語り始めると、言葉が淀みなく出てくる。しかも、その言葉のすべてが頭の中にすっと入ってきて。気が付けば大笑いしていました。『なんだこの人は!』と驚いたのを覚えています。
他にも師匠方が出ていたのですが、師匠の小朝だけスポットライトを浴びているようで。色白なのもあると思うんですけど(笑)。ひとりだけ輝いて見えたんです! それからは、師匠の独演会ばかり見に行くようになりました」
各地で催される小朝の独演会に訪れるなかで、次第に「この人の弟子になりたい」という気持ちが芽生えたという蝶花楼桃花。小朝を師匠に選んだのには、もうひとつの理由があったのだとか。
「当時、まだ珍しかった女性を弟子として育ててくれそうな先進性、そして芸に惚れ込み生涯付いていけるカリスマ性、その2つを兼ね備えている師匠を考えると、私のなかで小朝以外に選択肢はありませんでした。
初めて師匠の落語を聞いた時、どこか“新しい”という印象を持ったんです。古典落語のはずなのに、師匠の感覚でアレンジを加えると、現代人にも刺さるようになる。この師匠なら生涯をかけて付いていけると確信しました」
楽屋に突撃した弟子入り志願の“舞台裏”
その後、春風亭小朝への入門を決意した蝶花楼桃花だが、弟子入り志願をする際にも、さまざまなエピソードがあったという。
「師匠小朝に入門しようとは思ったものの、どうやったら弟子入りできるかわからなくて。小朝師匠が出演する独演会を調べて、いきなり突撃することにしたんです(笑)。ちょうど昼の部と夜の部の2回公演の独演会があったので、その合間の時間なら会えるかもしれないと思って」
独演会の昼の部が終わった瞬間、舞台裏に向かった蝶花楼桃花。楽屋口で「関係者以外立ち入り禁止です」と言われるなか、スタッフに「弟子入りです!」と説明。20代女性の弟子入りに戸惑うスタッフを後目に、「頼もう!」と叫ばんばかりの勢いで、春風亭小朝への面会を申し出た。
「ちょうど師匠が昼食を食べていて、楽屋口で30分くらい待ちました。そしたら、肌着にサンダル姿で『ごめんね、ごめんね』と迎え入れてくれて。いきなり『君、落語やりたいの?』って、“ぷっ”と笑われたんです。内心では『笑われた!』と思いながら、『弟子にしていただけないでしょうか』と直談判。
そしたら、『ちょっと話を聞こうか』と舞台袖のパイプ椅子に連れて行かれ。師匠から『君はなに、名人とかになりたいの?』と聞かれて、『名人は目指しません。私はただ落語がやりたいんです』と、カッコ付けずに素直に答えたんです」
学生時代に“落研”で経験を重ねていても、一度や二度は断られることが多いという落語家の弟子入り。ましてや小朝のような、有名な落語家ならばなおさらのこと。
蝶花楼桃花も「何回か断られるだろう」と思いつつ、「断られても、毎日来てやる!」と意気込んでいたという。しかし、小朝からの答えは意外なものだった。
「舞台袖で何十分か話をしたんです。そしたら、師匠が突然マネージャーに、『この子、取るよ』と言われて。私が『え、取ってもらえるの?』と驚くなか、マネージャーさんから『明日から、現場に来てください』と言われて。突如として弟子入りが決まりました(笑)」
次の日、関内ホールでの独演会に参加した蝶花楼桃花は、楽屋に入るなり前座名を言い渡され、前座としての修行生活をスタート。一夜にして落語家としての道を歩みだすことに。
「入門した日が“世界平和記念日”だったことから、平和の象徴である鳩にちなみ“春風亭ぽっぽ”という前座名になりました。姓名判断などを見ながら、師匠が一晩で考えてくださって。
初日から『ぽっぽ、着物の畳み方を教えるよ』と、着物の片付けや太鼓の叩き方を教えていただき、兄弟子たちからも『ぽっぽ!』と楽屋の指導をしてもらい。なので、師匠に本名で呼ばれたことが一度もないんです(笑)」
厳しい修行生活のなかで見出した喜び
春風亭小朝に入門した蝶花楼桃花は、それから兄弟子たちと一緒に修行生活を開始。落語の稽古や師匠の付き人としての仕事に励んだ。
朝食づくりだけでなく、師匠の寄席や独演会への同行など、朝から晩まで動き回っていたという蝶花楼桃花。当時は、プライベートの時間が1ミリもなかったという。
「ほぼ365日と言っていいほど、毎日が修行なので自由な時間は皆無でした。親友の結婚式にも出席できず、友達に『死んだんじゃないか』と噂されていたくらい(笑)。四六時中ずっと働いていたので、誰とも連絡ができなかったです」
そんな時、蝶花楼桃花の心の支えになっていたのが、ともに真打を目指した同期の前座仲間たちだった。
「私には、三遊亭律歌師匠という同期がいるんです。落語協会に履歴書が提出されたのが、2時間くらい早かったから“お姉ちゃん”。でも、ほぼ“双子”のような存在で。
よく夜中にスーパー銭湯で待ち合わせをして。お互いに愚痴を言い合ったり、泣いたりしながら髪の毛を洗い。一緒にサウナで汗を流してから、『じゃあね』とそれぞれの稽古場に帰っていく。これが私たちにとって束の間の休息でした」
高座では観客からヤジを飛ばされ、楽屋では師匠たちから厳しい一言をもらうことも。しかし、そんな辛い修行時代を送りながらも、蝶花楼桃花は日々の生活に喜びを感じていたという。
「人生を棒グラフにするなら、師匠小朝に入門してからはずっと登り坂。20代前半の時は、『表現をする仕事がしたい』という夢をどう実現できるか悩んでいて。そこから救い出してくれたのが落語でした。大好きな落語に携わることができる生活は、私にとって本当に幸せなことなんです」
落語界の厳しい修行生活を問題視する意見も多く存在する今、従来の師弟の関係性のあり方も見直されつつある。
だが、尊敬する師匠のもとで“落語家”として認められる日を目指し、突き進んできた蝶花楼桃花にとって、苦しい修行生活は“夢の通り道”だったのだろう。