経営者、アスリート、教育者、歴史上の偉人など、成功者と呼ばれる人は困難に直面した時にどのように考え、行動してきたのか。それを知ることはきっと、一度きりしかない人生を自分らしく生きるための学び・教訓となるはずだ。学校では教えてくれない、人生で本当に大切なこととは? 『毎週1話、読めば心がシャキッとする13歳からの生き方の教科書』より、一部を抜粋・再編集して紹介する。第3回の語り部は、落語家・桂歌丸(かつら うたまる)。【その他の記事はコチラ】
小学校4年生で将来の道を決める
私は昭和11年生まれですが、小学校4年生の時に噺家になろうと決意しました。
戦後の何もない時代で、笑いに飢えていたわけですよ。唯一あったのがラジオ、そこで週2回くらい寄席の番組がありましてね。昭和の名人たちが聴衆をドッと笑わせている。それを聞いて、「ああ、これだな」「俺の進む道は噺家以外にない」と思いました。もう一途でしたね。あとは何にも考えなかった。
私は3歳の時に父親を亡くし、母親とも離れて暮らしていたものですから、祖母に育てられたんですね。それで祖母に「小学校を卒業したら噺家になりたい」と言ったら、「みっともないから中学だけは行ってくれ」と。それで嫌々学校に通っていましたが、宿題もやらずに落語に夢中になっていましてね。結局、卒業を待たず、中学3年の時に噺家になっちゃったんです。
古今亭今輔(ここんてい いますけ)師匠のところに入門したのは、昭和26年の11月でした。で、翌年の4月1日から正式に落語芸術協会の会員になり、前座となったわけです。
その頃は前座が舞台脇で時間を調整する役をしていましたので、この人に長くやってもらいたいなと思ったら、「師匠、すみません。時間がちょっと余ってますから」と言うんです。そうすると、長くやってくれますのでね。で、逆にこの人に長く喋られると終わるのが遅くなるからという場合には、こっちで時間を詰めちゃう。
大事なのは、この先に光があると信じ続けること
それから、どうしても聞きたい噺ってあるじゃないですか。だけど、やってくれるかどうか分かりませんので、しょうがないから「あのー、お客様が師匠に○○をやってもらいたいと言っていますけども」と。すると、「そうかい」と言って、やってくれる。本当はお客様ではなくて、自分が聞きたいだけ。それでじーっと聞いていました。
しかし、いまはそういうことをする前座さんっていないですね。とにかく決まったことをきちんとやっていくという人が多い。つまらないなと思いますけどね。
また、堪え性もあまりないですね。だから、若い前座さんたちに最初に言うことは、「辞めるんだったらいま辞めろ。いま辞めないんだったら生涯続けろ」。それだけです。
私なんかも随分苦しい思いをし、貧乏もしましたけれども、やっぱり辞めようと思ったことはなかったですね。いま苦しいけれども、この先に光があるとずっと思っていました。
ただね、若い方々の批判ばかりするつもりはなくて、若い方々の噺を聞いていますと、すごい勉強になりますね。「なるほど。こういうやり方もあったのか」とか、「私だったらこうやるな」とか。そういう気づきがあります。
だから、私はトリで喋ることが多いですけど、できる限り最初から楽屋にいて、みんなの噺を聞くようにしているんです。未熟な方は未熟な方で魅力がありますよ。