フロイト、ユングと並ぶ「心理学三大巨頭」の一人、アルフレッド・アドラー。「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と断言し、その悩みを解決するシンプルかつ具体的な方策を提示するアドラーの心理学は、ビジネスをはじめ幅広い分野に活用されている。人と社会について本質を鋭く突くアドラーの言葉こそ、混迷の時代を生きる私たちの生きる道標になるはずだ。『超訳 アドラーの言葉』より、一部を抜粋・再編集して紹介する。【その他の記事はコチラ】
体罰はしてはいけない
あらゆる体罰に対して、私は反対の立場をとることを知っていただきたい。
私は、相手に変化を促すときも、その子の児童期初期の状況を知ろうとし、「説明」や「説得」を用いる。私とは逆のやり方、つまり子どもを叩いたりして、どんないい結果が得られるというのか。
この子が学校で失敗したからといって、それが彼を叩く正当な理由にはけっしてならない。この子が文字を読めなかったのは適切な教育を受けてこなかったからであり、彼を叩いたとしても教育効果は望めない。この子が「失敗したら叩かれる」と学ぶだけで、不快な状況から逃げるために、学校をズル休みするといったような学習しか生まれない。
「叩く」という状況を、子どもの視点から見てみるといい。そうすれば、これは「つらい、苦しい」という感情を増やすだけだということがわかるだろう。
誰でも、どんなことでも、達成できる
アドラー心理学の見解は、「誰であっても、どんなことでも、達成できる」だ。
これは民主的な宣言であり、なおかつ優秀な子どもたちにとっては、肩の荷を下ろすような見解だ。
優秀な子どもたちは、いつだって大きな期待をかけられ、特別な存在であるべきだとも思い込んでいる。そんな子に対して指導者が、「誰であっても、どんなことでも、達成できる」と信じ、それを示せば、優秀でありながら、謙虚な性格の子どもに育つだろう。
彼らは、自分の成果は、努力や幸運のおかげだと思うことができる。そのまま努力すれば、不可能なことはないと思える。
しかし、たとえ環境や能力が不足していたとしても、教師が正しい方向に教育すれば、成果を出すことができるのだ。
夫婦のどちらも服従してはいけない
夫婦とは、「仕事」と「交友(仲間)」の共同作業である。その中において、どちらかが服従するということがあってはならない。
二人の関係がまったくの対等ということは、一つの理想にすぎないかもしれない。
だが、それがどのくらいできているかを見れば、一人の人間として文化的な進歩を遂げているか、理想の状態からどのくらい離れているのか、どこが間違いなのかを知るためのものさしにはなるだろう。
自分に対して適切な信頼をもつ
ためらい、足を止め、自信なさげに周囲をうかがい、疑い、息づまってしまったり、途方に暮れてしまっている子どもがいる。そのような子どもたちは、自分に対する適切な信頼をもっていないのだ。
これは、さまざまな観点から子どもを見ていくとより理解できる。まず、自分に対する評価が他の場面ではどのように表れ、働くのかを見てみたい。
子どもがどのような場面で自信があると感じるか、自信がないと感じるのか。自分に価値があると感じているのか、劣等感をもっているのか。現時点での状況はもちろん、その子どもの過去の状態と比較する必要がある。
このようにして、子どものライフスタイルがどのように発達したかという線を見ていくことが大切だ。
安易な道を進もうとしてはいけない
教育困難な子どもというのは、問題に立ち向かう勇気をもつことができないのだ。教育困難な子どもは、建設的な努力をすることで自分の居場所を確保する勇気をもっていないということもできる。
子どもというのは、安易な道を歩もうとするものだ。その道の上では勇気をもたずとも「自分には力がある」と思うことができるからだ。
叱る親は子どもの勇気をくじく
アドラー心理学を学ぶ人ならば、子どもを育てる際には、厳しく育てても、甘やかして育ててもいけない。
親として必要なのは、子どもを理解しようとすること、間違った道にそれないように見ていること、子どもが問題にぶつかったときは、それを解けるようにサポートし、共同体感覚をもつ(社会のために尽くせる人間である)ように勇気づけること、だ。
経験から学ぶのが最もいい
子どもを育てるには、「経験から学ばせる」のが一番いい(もちろん常識の範囲内だが)。
これは、子どもたちが自らの行動を、「親や先生にダメと言われたから」というのではなく、物事の論理や現実の状況から導き出すようにするためだ。