テレビ東京『ウイニング競馬』などで活躍する冨田有紀アナウンサー。SNSでも反響を呼ぶ入社4年目、期待の次世代エースだ。新人のころ『モヤモヤさまぁ~ず2』に出演した際、独特の空気感から“トミタイム”と命名され、世間では不思議系の印象がある彼女の素顔に迫った。インタビュー前編。
きっかけは小学生のころに観覧したイベント
スタジオに到着した彼女は、ゲーテのスタッフひとりひとりに、背筋を伸ばし、頭を45度下げて丁寧に挨拶をしていた。
「こういう取材とか撮影の機会がこれまであまりなくて……慣れていないので、よろしくお願いします」
テレビ東京「ウイニング競馬」などで活躍する冨田有紀アナウンサーの第一印象は「生真面目」。入社4年目でありながら、新人アナウンサーのような初々しさを感じさせる。
撮影中も終始、緊張気味。だが、モニターに映った自分自身の写真を見ると、「プロが撮るとこんなふうになるんですね!」と嬉しそうな表情を見せた。
出身は茨城県。小さいころに憧れたのは、自分の日常をキラキラと彩ってくれる職業だったという。
「いちばん古い記憶だと、幼稚園のころケーキ屋さんになりたかったです。今もそうですけど、ケーキを買ってもらえるのは特別な日で、日常に彩りを与えてくれるじゃないですか。だから漠然と憧れの気持ちを抱いていたんだと思います」
アナウンサーを目指すきっかけになったのは、小学生のころに観覧したあるテレビ局のイベントだった。
「夏休みに東京に連れて行ってもらったんですけど、いつもテレビで観ている世界がそこにあって、たくさんの人が集まっていた。その賑やかさに圧倒されつつも、テレビってすごいなって思ったことを覚えています。茨城に帰ったあとにテレビを観たらアナウンサーがそのイベントの様子をレポートしていた。それがすごく楽しそうだなと思ったんです」
令和の時代らしからぬ“苦学生”
それは、小学生なら誰もが抱くような憧れだったのかもしれない。だが、大学への進学を考え始めた高校生のころ、アナウンサーという職業が具体的に眼の前に現れる。
「外国語への憧れがあって、英語が好きだったんです。あと東京へ出てみたいなという思いも持っていた。そうしたらそのときお世話になった先生から『アナウンサーにでもなったらどうだ』と言っていただいて。たぶん先生は軽い気持ちでおっしゃったんだと思うんですけど、私は小学校のころに観たイベントのこととか思い出して、アナウンサーになるためにも東京の大学に行ってみたい!ってなったんです」
無事、志望していた上智大学に合格したものの、4年間は茨城県の実家から東京・四谷の上智大学に通学する日々。毎日往復約5時間かけて東京へと通った。
「ラグビー部のマネージャーをやっていたので、本当に時間に追われていました。始発で出発して朝練に参加して、部活の遠征費を稼ぐためにアルバイトをして。アルバイトは少しでも外国語に触れられたらいいなと思って、たくさんの外国人の方が来店する焼肉屋さんで働いていました。大学の授業が厳しかったので、常磐線では膝の上に電子辞書を乗せて勉強していました」
令和の時代らしからぬ“苦学”の日々を乗り越え、憧れのアナウンサーとして華々しくデビュー! とはいかなかった。
テレビ東京に入社してからも苦難の日々が待っていた――。
[後編に続く]