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2024.01.09

藤原ヒロシとの意外な関係性! 「ChargeSPOT」起業家が人気ラッパーを辞め、香港でコンサル会社を起業した理由

19歳で経験した重度のうつ病と厳しい闘病生活。そんな逆境の中でラッパー「日華」としての活動をスタートさせた起業家・秋山広宣は、プロ野球選手・岩隈久志の登場曲に楽曲を提供する人気アーティストに! 秋山が29歳で音楽活動を辞め、香港でコンサルティング事業を立ち上げた理由を語った第3回。【第1回】【第2回

ラッパー絶頂期に迎えた2回目のどん底

プロ野球選手・岩隈久志の登場曲に代表曲『NO.1』が起用されたことで、ラッパー「日華」として大きな注目を集めていた起業家・秋山広宣。しかし、ラッパーとして絶頂期を迎えていた一方で、自分の人生の方向性に悩んでいたという。

「29歳の時に、初めての娘が生まれて。当時は、プロのラッパーとして活動していたのですが、正直そんなに稼げていなかったんです。そしたら、ちょうど所属していた芸能事務所との契約が満期を迎えて。

いつまでもラッパーとしての生活は続けていられないので、これからは自分でビジネスを始めようって考えたんです。それまで一緒に仕事をさせていただいていたタレントのいとうせいこうさんや、アーティストの仲間たちも背中を押してくれて。それで、思い切って事務所から独立することにしました」

秋山広宣/Hironobu Akiyama
1980年香港生まれ。10歳の時に福島県いわき市に移住。2007年、ラッパー「日華」としてメジャーデビューし、同年にタレントの雨宮朋絵と結婚。代表曲「NO.1」が、プロ野球選手・岩隈久志の登場曲に採用される。2012 年にコンサルティング会社を設立した後、2015 年にINFORICHを起業。現在、モバイルバッテリーのシェアリングサービス「ChargeSPOT」は、国内の設置台数約4万台を誇る。

その後、大手事務所を退社した秋山は、個人としての活動をスタート。しかし、すぐには仕事が見つからず、大きな焦りと不安に苛まれながら辛い日々を送っていたという。

「当時は、本当にきつかったです。まさに人生2回目の“どん底”でした。次の仕事が見つからず、3ヵ月くらい妻の給料で生活していた時期があったくらい。でも、そんな時に改めて自分が持っているリソースを考えてみたんです。

自分には香港にいた時の人間関係と、20年間培ってきた日本でのネットワークがある。その人脈を使って香港で仕事をしたら、日本の人々の役に立てるんじゃないかって」

そう考えた秋山は、それまでラッパー「日華」として身につけたブランディングの知識と経験を活かし、2012年にコンサルティング会社を設立。家族で香港に移り住み、日本企業の通訳やコーディネートなどの仕事を始めた。

日本と香港を繋ぐ“架け橋”になる

「なにせ香港には20年ぶりに帰ったので、まずは人脈のネットワークの点を繋いでいくことから始めました。点と点を繋ぎ合わせた線が“面”になった時、香港で日本企業の海外事業展開をサポートする受け皿になれると思って」

香港で生まれ育った秋山は、香港人である父方の親戚や香港のエンタメ業界で働く友人などの人脈を使い、コンサル事業のための新たなネットワークを構築。日本のメディアや飲食業界の香港進出する足がかりとなるシステムを作り上げた。

すると日本企業の食品・飲料・調味料の大手総合メーカーの香港進出や、ファッションコーディネートアプリのアジア展開、江戸前鮨の香港店の開業など、幅広い業界からコンサルティングの依頼が殺到。口コミや紹介もあり数多くの仕事が舞い込むようになったという。

「2019年から藤原ヒロシさんが率いるデザイン集団『fragment design』と、ChargeSPOTのコラボレーションバッテリーを展開しているのですが、藤原ヒロシさんと知り合ったのも、実はこの香港でのコンサル事業がきっかけでした。

昔から藤原ヒロシさんの大ファンで。藤原ヒロシさんが香港に来た時に、僕が通訳やらせてもらったことがあったんです。そうしたら日本と香港の通訳が必要になるたびに、お声がけいただけるようになって。それが今の仕事に繋がったんです」

2023年11月に展開された藤原ヒロシが率いるデザイン集団『fragment design』とのコラボレーションバッテリー第2弾。fragment designのボルトマークと「ChargeSPOT」のCマークをプリントしたデザインが特徴。

幼い頃から英語、広東語、日本語の3ヵ国語を話し、さまざまな国の人々とコミュニケーションを取ってきた秋山。だからこそ、ただ通訳するだけではわからない、言葉の意味やニュアンスを伝えることでより深い理解を与えることができた。

そんな秋山ならではの能力を活かしたコンサルティングは、企業だけでなく個人からも人気があり、さまざまなイベントやメディアの取材にも呼ばれるようになったそう。

「2014年に、とある有名デザイナーさんの25周年を記念した、特別なオークションがサザビーズ香港で開催されたんです。その時、僕が通訳をやらせてもらって。

そうしたら、香港の雑誌のインタビューが入っていて、別の人が通訳をされていたんです。でもその通訳が直訳に近かったので、細かいニュアンスなどが伝わらず、自分が代わりに言葉の意味やニュアンスを説明して。

通訳ってただ言葉を知っているだけでは伝わらない。その情緒的な感覚を摑まないと人々に訴えかけられないと思うんです。そういった微妙なニュアンスを言語化できたことが、多くの先輩方とのご縁を太くしたきっかけでした」

ビジネスに限らずコミュニケーションを取るうえで、一番大切なことはニュアンスを伝えること。そう語る秋山は、ラッパーとして3ヵ国語を巧みに操りながら、自らのメッセージを音楽で表現してきた。

そんな秋山だからこそできた、香港と日本を繋ぐコンサルティング事業だったのだろう。

コンサル事業の成功とINFORICHの誕生

その後、横浜FC香港や福岡県香港駐在事務所など、数々の企業のコンサルティングを任された秋山。しかし、さまざまな企業のプロジェクトをサポートしているうちに、どこか物足りなさを感じ始めたという。

「コンサル事業としては成功していたのですが、手がけてきたプロジェクトがどんどん発展していって、最終的に手離れしていくのを見ていると、どこか寂しさを感じている自分がいて。

やはり自分は実業が好きなので、経営者として自ら立ち上げた事業を展開してく方が向いてるんじゃないか。そう考えてコンサルティング事業の次は、自分たちの商品やサービスを作り出せる会社を起業しようって思ったんです」

その頃、秋山が海外事業室長としてコンサルティングを手がけていたゲーム会社IGNISが、日本の東証マザーズへの上場に成功。大株主のひとりだった秋山にとって、それは新たな会社を立ち上げる大きな足がかりとなった。

2015年、秋山はIGNISの株を資金に、現在の会社「INFORICH」を起業。日本初となるSNSと連動させたフォトプリントサービス「FOTOfwd」(後の「PICSPOT」)を300以上のイベントやレジャーランドに導入させるなど、開業から数年で大きな実績を残した。

「INFORICHという名前は、“インフォメーション”に“リッチ”である、つまり情報に富んでいる会社にしたいという想いから名付けました。時代のトレンドやニーズを摑み、実際にサービスや商品として形にしていく、それが我々が目指す企業のあり方です」

現在、アジアの3つの地域に4つのグループ会社を持つINFORICH。さまざまな国や地域で事業を展開するグローバル企業として規模を拡大しているからこそ、日本だけでなく海外の情報も視野に新しいサービスを生み出していける。

そんなグローバル企業としての強みを活かした経営で、秋山はこれからも世界を舞台にビジネスを拡大させていく。

※4回目に続く

TEXT=坂本遼佑

PHOTOGRAPH=古谷利幸

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