駅中やコンビニなどでよく見かける、モバイルバッテリーのシェアリングサービス「ChargeSPOT」。その運営会社であるINFORICHの創業者・秋山広宣は、かつてプロ野球選手の登場曲に楽曲が使用された人気ラッパーだった!? 異色の経歴を持つ秋山が、業界トップにまで上り詰めたその驚きの経歴とは−−。【第1回】
1億総スマホ時代の救世主
今や“1億総スマホ時代”と言っても過言ではないほど、日常生活に欠かせない存在となったスマートフォン。しかし、その最大の欠点のひとつが、バッテリーの消耗の早さにある。
就寝中に十分に充電したのに、夕方頃にはバッテリーが20%以下になってしまい、モバイルバッテリーで充電したいが自宅に置き忘れてしまった…。そんな悲しい経験をしたことがある人も多いのではないだろうか。
「僕も10代の頃から携帯電話の充電切れに悩まされてきました。モバイルバッテリーを、どこでも借りられて、どこでも返せる。そんなサービスがあれば、スマホストレスがなくなるのに。そんな発想から『ChargeSPOT』は生まれました」
そう語るのは、モバイルバッテリーのシェアリングサービス「ChargeSPOT」を展開する起業家・秋山広宣。2015年に設立した自身の会社INFORICHを、わずか7年で上場企業にまで成長させた実力派経営者だ。
2018年にサービスを開始した「ChargeSPOT」は、今では日本国内だけで設置台数4万台を超え、アプリの累計ダウンロード数は約600万。1ヵ月のレンタル件数が195万回以上と、業界トップクラスのシェア率を誇っている。
その人気の秘密は、何と言っても使いやすさにある。駅中やコンビニなどに設置されたバッテリースタンドからQRコードを読み取れば、いつでも簡単にモバイルバッテリーのレンタルが可能。
またアプリに表示されるマップから、近くのバッテリースタンドやその使用状況などを検索できるうえ、モバイルバッテリーを差し込むスロットに空きがあれば、どこのバッテリースタンドからでも返却ができる。
まさに“スマホ時代の救世主”と言える、時代に先駆けた革新的なサービスだ。
客家としての父親からの教育
香港出身の父と日本人の母を持つ秋山は、1980年に香港で生まれ育った。
当時、不動産や金融関係の仕事をしていた父は、漢民族の一派“客家”の血を引く一族の末裔。政治家や実業家を多く輩出してきた一族の歴史に誇りを持ち、秋山にも幼い頃から起業家を目指すよう教育していたという。
「中国語では、“労働”のことを『工』って言うんです。そして、より広い意味で“ビジネス”を指す時は、『生意』って漢字を使う。ただ働くだけの『工』だと、2画目の縦線が1画目の横線を出ない。でも、より広い視野で商売をする『生意』は、『生』という字の縦線が2画目の横線から突き出ている。
それで、父からよく『お前は誰かの下でただ働くのではなく、自分次第でどこまでも上に向かって伸び続けることができる“生意”を目指しなさい』と言われながら育ちました。誇り高き客家として、人々を導くような仕事をしなさいって」
そんな秋山の家庭では、父の仕事が一族のファミリービジネスだったこともあり、毎週、日曜日になると親族を家に集めて、お互いに仕事の情報交換をしていたそう。
家族や一族の団結力の大切さも、父から教わったことのひとつ。さまざまな人種や国籍を持つ人々が行き交う香港だからこそ、民族や文化などのエスニシティに誇りを持って行動する。
そう父から教わった秋山は、今も香港に住む親族とのネットワークを活かしながら、INFORICHの事業を世界に拡大させている。
香港から福島県に移り住んだ小学生時代
その後、秋山は10歳の時に両親に連れられ、母親の実家があった福島県に移住。アジア経済の中心地である香港を離れて、人口約35万人のいわき市に住みはじめた。
しかし、さまざまな人種や国籍を持つ人々が行き交う香港から、山々に囲まれた福島県いわき市に移り住んだ秋山は、それまでのライフスタイルとの変化に大きな戸惑いを覚えたという。
「多様な文化が交わる香港では、世界のトレンドの最先端が集まっていたので、遊ぶものがいっぱいありました。それに比べると福島県は遊べることが少なく、小学校の友人と自然の中でエアガンなどを使って遊ぶくらいでした」
当時は、マイケル・ジャクソンが『Bad』などのヒット曲をリリースしていた時代。香港の若者たちの間では、ヒップホップやストリートダンスなどのカルチャーが流行していた。
一方、福島県で生活していた秋山には、海外の最新トレンドを知るすべがなかった。旧正月や夏休みで香港に帰るたびに、地元の友人たちに人気の音楽やスポーツを教わっていたという。
「その頃、今のビジネスのエッセンスが養われたんだと思います。当時は、香港の方が圧倒的に新しい情報があったので、日本にはまだ広く知られていないカルチャーがいっぱいありました。
なので、日本に帰ってくると『向こうでは、こんなものが流行っていたよ』って、学校の友達に紹介していて。ある意味、情報の“輸入”のようなことしていました」
幼い頃から、英語、日本語、広東語の3ヵ国語を話していた秋山。だからこそ、国や言語に関わらず多くの情報に触れることができた。異なる文化の間に立ち、それぞれの言葉で意味やニュアンスを紹介する。それは、今の仕事でも同じこと。
日本を超えて海外にもChargeSPOTを展開している秋山の経営者としての起源は、香港から福島県に移り住んだこの頃の生活の中で生まれたのかもしれない。
※2回目に続く。