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2024.01.03

藤井聡太、渡辺明、豊島将之ら最強棋士7名の勝負哲学とは?【まとめ】

棋界を10年以上取材してきた新聞記者・村瀬信也氏の著書『将棋記者が迫る 棋士の勝負哲学』より、将棋界を牽引する7名の棋士が現在の活躍に至るまでの軌跡を振り返った短期連載をまとめてお届け。※2023年10月掲載記事を再編

棋士まとめ
※写真はイメージです

1.約7年追ってきた将棋記者が語る、天才棋士・藤井聡太の異次元の強さ

藤井の取材を続けていて、折に触れて考えることがある。「なぜ、この若さでここまで強くなれたのか」ということだ。

抜群の読みの速さと正確さは、幼い頃から数え切れないほどの詰将棋を解くことで培われた。勝敗に直結する終盤の力は、奨励会員の頃から既にプロレベルに達していたと言っても良い。小学6年の時に、棋士も参加する詰将棋解答選手権で初優勝を果たしたのがその証しだ。

今や人間をしのぐほどにまで強くなった人工知能(AI)の長所も、うまく採り入れた。棋士が実戦で想定される局面をAIで下調べしてから対局に臨むのは今や当たり前だが、藤井は奨励会三段の頃から研究に活用するようになった。明快な結論が出にくい序中盤の感覚や大局観が磨かれたという。

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2.棋士・渡辺明「AI研究して戦えるのは45歳まで」

「負けました」

午後7時14分。藤井聡太が指した100手目△3六桂を見た渡辺が、そう告げて頭を下げた。藤井の史上最年少でのタイトル初防衛と九段昇段が決まった瞬間だった。

渡辺がタイトル奪還を目指して藤井に挑んだ第92期棋聖戦五番勝負。2021年7月3日に静岡県沼津市で指された第3局は、接戦のまま終盤戦に突入した。渡辺の攻め駒が藤井の玉に迫ったが、その切っ先を見切った藤井が絶妙手を放って突き放した。スコアは3勝0敗。藤井の完勝だった。

「いろいろあったが、終盤はわからなかった」。対局直後、渡辺はそう語った。残りの持ち時間が少ない中、気づいたら投了に追い込まれ、シリーズも決着──。急展開していく現実のスピードに、頭の中の整理が追いついていないように見えた。

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3.絶対王者・羽生善治が27年ぶりの無冠に終わった日、将棋記者は何を見たのか?

「また、和服を着て対局する可能性はありますか」

すぐ近くにいる他社の記者がそう尋ねた瞬間、私はボールペンを動かす手を止め、羽生善治の顔を見つめた。

2019年3月2日。前日に静岡でA級順位戦最終局を戦った羽生は、東京・有楽町で開かれた鹿児島の伝統工芸品「本場大島紬(ほんばおおしまつむぎ)」の贈呈イベントに出席した。鹿児島とは、羽生の祖父の出身が種子島という縁がある。七つのタイトルの永世称号の資格を得る「永世七冠」を達成した地も鹿児島だった。

この日、贈られたのは、共に絹100%で織られた緑の着物と深緑の羽織。鹿児島県の知事が羽織を着せると、羽生は「軽いですね」と驚きの声を上げた。冒頭の質問は、その後の囲み取材で飛び出した。

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4.豊島将之、藤井聡太の“壁”から無冠へ――4年前に語った危機感とは?

飛躍の契機となったのが、人工知能(AI)との出合いだ。

2014年、棋士とAIが対戦する「電王戦」に出場したのを機に、AIを用いた研究に力を注ぐようになる。後の朝日新聞の取材では、「自分の将棋とは隔たりがあったが、最近、うまく重なるようになってきた」と手応えを語っている。新しい技術をうまく活用して飛躍を果たしたさまは、まさに「新時代の棋士」と呼ぶにふさわしい。

一方で私は、豊島のストイックな姿勢と信念の強さに凄みを感じる。他の棋士との練習将棋をスッパリとやめ、 AIの手が映し出されるモニターと向き合う日々。人間とは違い、AIは助言をくれたり、話し相手になったりはしてくれない。だが、孤高を極めた先に、トンネルの出口はあった。それまでに味わった苦悩は、本人にしかわからない。

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5.努力の棋士・永瀬拓矢、10歳下の藤井聡太を「目標」と言い切る潔さ

永瀬は2009年、17歳で四段昇段を果たした。相手の攻めを根絶やしにするような受け将棋で知られ、2012年には新人王戦で優勝するなど着実に実績を残してきたが、挫折もたびたび経験している。

名人戦につながる順位戦では、最も下のクラスであるC級2組を抜け出すのに6期を要した。デビュー当初、公式戦でアマチュアに敗れる屈辱も味わった。その黒星の後、発破をかけた鈴木大介に1対1の練習対局「VS」を申し出て、鍛錬を重ねた話は語りぐさになっている。

永瀬の成長を語る上で欠かせない存在がいる。子どもの頃から幾度となく対戦してきた、2歳下の佐々木勇気だ。当時から「天才少年」として注目を集めていた佐々木は2004年、プロの登竜門である小学生名人戦で優勝を果たす。小学4年での優勝は、渡辺明に続いて2人目の快挙だった。永瀬は同じ大会で、ベスト4にも進めなかった。

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6.「西の王子」斎藤慎太郎がデビュー以来、年間勝率6割を維持できる理由

斎藤は2012年、18歳でプロ入りした。本筋を追究する王道の将棋で頭角を現し、2015年度から2年連続で勝率1位賞を獲得。2017年には、棋聖戦で9連覇中の羽生善治に挑戦し、敗れたものの着実な成長ぶりを印象づけた。

2018年。再び、タイトル挑戦の好機を迎える。王座戦の挑戦者決定トーナメントで準決勝に進出したが、そこには年下の強敵が待ち受けていた。当時高校1年の藤井聡太だ。

2017年に公式戦29連勝という新記録をデビューから無敗で打ち立てた藤井は、一躍「時の人」となる。その後、「いつタイトル戦に出てもおかしくない」と目されるようになっていたが、まだ伸び盛りの若手である斎藤にとっても、ここで後輩に負けるわけにはいかない。注目の一戦は、双方の鋭い攻めが飛び出す展開になり、最後は斎藤が制した。藤井は対局後、「敗れたのは自分の力不足」と振り返った。

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7.藤井聡太に初黒星をつけた男・佐々木勇気、伝説的勝利の裏側とは

「この将棋、勝てるかもしれない」

藤井聡太と対戦していた佐々木勇気は、胸の高鳴りを感じていた。

2020年6月25日。佐々木と藤井は、第79期将棋名人戦・B級2組順位戦の1回戦で顔を合わせた。舞台は東京・将棋会館。戦型は両者が得意とする角換わりで、強気の攻め合いの末に、ギリギリの終盤戦に突入していた。

87手目。先手の佐々木は残り33分の持ち時間のうち23分を費やして、7一に銀を打った。後手の玉は「詰めろ」で、もう受けが難しい。あとは、自分の玉が詰まなければ──。

だが、佐々木が抱いた希望はあっさりと打ち砕かれた。藤井は先手の玉に王手をかけながら目障りな歩を取り除き、一転して自陣に金を打ちつける。いつのまにか後手の玉は安全になり、先手は敗勢に追い込まれていた。

対局後のインタビューは別室で行われた。感想を問われた佐々木は、こう話した。

「攻めを余されて負けるとは思わなかった。読みにない手を多く指された。新しい感覚を感じた」

その表情に表れていたのは、悔しさではなく驚きだった。

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TEXT=ゲーテ編集部

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