PERSON

2023.10.28

藤井聡太に初黒星をつけた男・佐々木勇気、伝説的勝利の裏側とは

対局のネット中継が普及し、棋士たちの熱き戦いを多くの人が知るようになった。一方で、棋界を10年以上取材してきた新聞記者・村瀬信也氏は、カメラに映らない光景や対局室のマイクが拾わない言葉から、彼らが胸に秘める闘志や信念に接してきたと語る。将棋界を牽引する7名の棋士が現在の活躍に至る軌跡を、2022年刊の村瀬氏の著書『将棋記者が迫る 棋士の勝負哲学』より振り返る。第7回 佐々木勇気。【藤井聡太ら他棋士の記事を読む】※情報は2022年1月26日発売時のもの。

B級2組順位戦の対藤井戦

「この将棋、勝てるかもしれない」

藤井聡太と対戦していた佐々木勇気は、胸の高鳴りを感じていた。

2020年6月25日。佐々木と藤井は、第79期将棋名人戦・B級2組順位戦の1回戦で顔を合わせた。舞台は東京・将棋会館。戦型は両者が得意とする角換わりで、強気の攻め合いの末に、ギリギリの終盤戦に突入していた。

87手目。先手の佐々木は残り33分の持ち時間のうち23分を費やして、7一に銀を打った。後手の玉は「詰めろ」で、もう受けが難しい。あとは、自分の玉が詰まなければ──。

だが、佐々木が抱いた希望はあっさりと打ち砕かれた。藤井は先手の玉に王手をかけながら目障りな歩を取り除き、一転して自陣に金を打ちつける。いつのまにか後手の玉は安全になり、先手は敗勢に追い込まれていた。

対局後のインタビューは別室で行われた。感想を問われた佐々木は、こう話した。

「攻めを余されて負けるとは思わなかった。読みにない手を多く指された。新しい感覚を感じた」

その表情に表れていたのは、悔しさではなく驚きだった。

「私たちの世代の意地を見せたかった」

2人の初対戦は2017年7月2日にさかのぼる。「公式戦29連勝」という新記録を打ち立てた藤井に佐々木が土をつけた、あの一戦だ。

竜王戦の挑戦権を争う決勝トーナメントの2回戦。連勝記録のみならず、「スーパールーキーのタイトル挑戦なるか」という点でも大きな注目を集めた。報道陣がひしめき合う特別対局室で駒を並べ終えた佐々木は、扇子を手にしながら藤井に鋭い視線を飛ばす。並々ならぬ気合が見て取れた。

先手を握った佐々木が採用したのは、激しい戦いになりやすい相掛かり。当時の藤井にとって、まだ経験の少ない戦型だった。練りに練った作戦が功を奏した佐々木の指し手が冴え渡る。藤井は持ち前の終盤力をなかなか発揮できないまま、追い込まれていく。

午後9時31分、藤井投了。佐々木が大仕事をやってのけた瞬間だった。対局後に発した「私たちの世代の意地を見せたかった。壁になれて良かった」という言葉は、多くの人に鮮烈な印象を残した。

一躍、時の人となった佐々木だが、自身もかつては「天才少年」としてその名が知られる存在だった。小学4年の時に小学生名人戦で優勝。四段になったのは高校1年の10月で、16歳1カ月でのプロ入りは当時5番目の年少記録だった。

その後も、若手棋戦の加古川青流戦で優勝し、棋王戦では挑戦権獲得まであと一歩に迫った。藤井の連勝を止めたのは、まさにトップ棋士への階段を登ろうとしている時のことだった。

藤井を破った佐々木には、テレビを始め様々な取材の依頼が殺到した。しかし、佐々木はそのほぼ全てを断ったという。私も取材を申し込んだが、丁重なおわびと共に断りのメールが届いた。取材を受け始めるとキリがないし、藤井戦に臨んだ思いは自分の言葉で伝えたいという思いもあったようだ。本人の口から直接聞くことはできなかったが、秘めたる思いの強さは十二分に感じられた。

どうすれば昇級できるのか

藤井戦の勝利で、さらなる飛躍を遂げると思われた佐々木だったが、その先には挫折が待ち受けていた。

2018年3月、4期目となる第76期C級1組を9勝1敗の成績で終えたが、リーグ内の順位の差で昇級を逃したのだ。その時に昇級したうちの1人は、子どもの頃から何度も対戦を重ねてきた2歳上の永瀬拓矢だった。「今度こそ昇級」と思われた第77期は5勝5敗。同じクラスに上がってきた藤井は、昇級には届かなかったものの9勝1敗の好成績を挙げていた。

「才気にあふれ、常に前向きな棋士」。対局以外でも何かと言動が目立つ佐々木に対して、私はそんなイメージを勝手に抱いていた。だが、本人によると、負けた後は、気持ちをなかなか切り替えられない時があるのだという。1年を通して安定した力を発揮することが求められる順位戦を勝ち抜くには、その課題を克服しなければならない。

「どうすれば勝ち続けられるのか」「どうすれば昇級できるのか」。その答えを必死に探し続けたであろうことは、想像に難くない。

【藤井聡太ら7名の記事を読む】

佐々木勇気/Yuuki Sasaki
1994年埼玉県生まれ。石田和雄(いしだかずお)九段門下。2004年、渡辺明以来の小学4年での小学生名人戦優勝を果たす。同年、奨励会入会。2008年、当時最年少記録の13歳8カ月で三段に昇段。2010年に16歳でプロ入り。2013年、第3期加古川清流戦で棋戦初優勝。2016年度の最多対局賞、2017年度の升田幸三賞を受賞。公式戦29連勝中の藤井聡太に初黒星をつけたことでも話題に。

村瀬信也/Shinya Murase
1980年東京都生まれ。早稲田大学将棋部で腕を磨き、2000年の学生名人戦でベスト16に。2003年、朝日新聞社に入社。2008年に文化グループ員になり、2011年から将棋の専属担当に。大阪勤務を経て、2016年、東京本社文化くらし報道部員になり、将棋を担当。名人戦や順位戦、朝日杯将棋オープン戦を中心に取材。Twitter: @murase_yodan

TEXT=村瀬信也

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