PERSON

2023.10.26

努力の棋士・永瀬拓矢、10歳下の藤井聡太を「目標」と言い切る潔さ

対局のネット中継が普及し、棋士たちの熱き戦いを多くの人が知るようになった。一方で、棋界を10年以上取材してきた新聞記者・村瀬信也氏は、カメラに映らない光景や対局室のマイクが拾わない言葉から、彼らが胸に秘める闘志や信念に接してきたと語る。将棋界を牽引する7名の棋士が現在の活躍に至る軌跡を、2022年刊の村瀬氏の著書『将棋記者が迫る 棋士の勝負哲学』より振り返る。第5回 永瀬拓矢。【藤井聡太ら他棋士の記事を読む】※情報は2022年1月26日発売時のもの

「将棋しかできなかった」少年時代

永瀬は2009年、17歳で四段昇段を果たした。相手の攻めを根絶やしにするような受け将棋で知られ、2012年には新人王戦で優勝するなど着実に実績を残してきたが、挫折もたびたび経験している。

名人戦につながる順位戦では、最も下のクラスであるC級2組を抜け出すのに6期を要した。デビュー当初、公式戦でアマチュアに敗れる屈辱も味わった。その黒星の後、発破をかけた鈴木大介に1対1の練習対局「VS」を申し出て、鍛錬を重ねた話は語りぐさになっている。

永瀬の成長を語る上で欠かせない存在がいる。子どもの頃から幾度となく対戦してきた、2歳下の佐々木勇気だ。当時から「天才少年」として注目を集めていた佐々木は2004年、プロの登竜門である小学生名人戦で優勝を果たす。小学4年での優勝は、渡辺明に続いて2人目の快挙だった。永瀬は同じ大会で、ベスト4にも進めなかった。

2019年、叡王を獲得し、王座挑戦を決めた永瀬を取材する機会があった。持ち時間6時間の順位戦を戦った翌日の午前にもかかわらず、永瀬は疲れを感じさせない表情で待ち合わせ場所に現れた。1時間半を超す取材の中で、VSや研究会を毎日のように行っていることや「対局は3日に1局が理想です」という言葉を聞き、人一倍の努力の積み重ねを改めて感じたが、印象に残るのはやはり佐々木とのエピソードだった。

「自分が子どもの頃、一番の才能の持ち主は佐々木勇気氏でした」

あえて「氏」という呼称を使うところに、独特な関係性がうかがえた。

永瀬は自身の幼い頃のことを包み隠さず話してくれた。水泳や習字を習ったが、なかなか上達しなかったこと。小学生の時、宿題をやっていないと教室に居残りをさせられ、「将棋をする時間が少なくなる」と感じたこと……。入学した高校をほどなくして退学したのは、奨励会でプロの一歩手前の三段になっていたにもかかわらず、学校側が理解してくれなかったからだという。

「自分は将棋しかできなかった。でも、佐々木勇気氏は、書道がうまくて勉強もできるんですよ」

向こうは自分より将棋が強く、勉強もできる。それに比べて自分は──。そんなコンプレックスが、来る日も来る日も将棋盤に向き合う原動力になったのだろう。一方で、苦い経験を嫌な顔一つせず語る姿に、今やトップ棋士となった自分の中に秘めたる自信が垣間見えた。

少年時代のライバルを追い越し、一流の証しとも言えるタイトルをつかんだ永瀬。そこに猛烈な勢いで追いかけてきたのが、10歳下の藤井だ。

「現状は藤井さんの方が強いと思います」

2017年、永瀬と藤井は公の場で初めて対戦した。

インターネットテレビ局「ABEMA」が企画した非公式戦「藤井聡太四段 炎の七番勝負」。史上最年少でプロ入りした中学2年の藤井が若手やトップ棋士ら7人と戦うこの企画で、永瀬は2人目の対戦相手として登場した。永瀬は居飛車党だが、この日は「ゴキゲン中飛車」を採用。「相手の得意な形ではなく、自分の力が出やすい展開にしよう」と考えたからだった。勝負重視のこの姿勢は実を結び、先輩の貫禄を見せつける結果となった。

収録当時、藤井は公式戦でまだ無敗だった。学ラン姿の藤井が初めて敗れる姿をスタジオで目の当たりにした私は、「やはり、タイトル戦に出るような棋士の方が一枚上手か」という印象を受けた。

だが、当の永瀬本人の受け止め方は違った。藤井の想像以上の強さを肌で感じたのだ。藤井は、抜群の終盤力の持ち主として広く知られていたが、実際に将棋盤を挟んでみて、実は受けも得意で丁寧な将棋だと気づいたという。

「悪い手をほとんど指さない。勢いだけでなく、本当に強いんだ」

その後、永瀬が声をかけ、2人はVSを行うようになる。ある時は東京で。ある時は藤井が住む愛知で。コロナ禍に伴う自粛期間中はネット対局で切磋琢磨した。

2020年の棋聖戦挑戦者決定戦は、両者にとって公式戦での初対戦だった。観戦記を担当した勝又清和(かつまたきよかず)は、こう述懐する。「永瀬君が勝つと思っていました。いよいよ『永瀬の時代』が来るんだな、と」。だが、実際には、ここで勝利を収めた藤井がタイトルを次々と手にして、その急成長ぶりを広く印象づけることになる。

その年の8月、王位獲得を果たした藤井の強さについて永瀬に尋ねた。永瀬は「歴代トップの才能を持っているのに、満足するところがない」とたたえた上で、こう語った。

「現状は藤井さんの方が強いと思いますが、追いつかないといけない。藤井さんという目標に向かって進める自分は幸運だと思います」

電話越しの取材だったが、年下の棋士を「目標」と言い切る潔さと飽くなき向上心がひしひしと伝わってきた。

※「第6回 斎藤慎太郎」に続く

【別の棋士の記事を読む】

永瀬拓矢/Takuya Nagase
1992年神奈川県生まれ。安恵照剛(やすえてるたか)八段門下。2004年、奨励会入会。2009年に17歳でプロ入り。2012年、第2期加古川青流戦と第43期新人王戦で優勝。2019年に第4期叡王戦で勝利し、初タイトルの叡王を獲得。同年、第67期王座戦で王座を獲得し、二冠に。2021年、第79期順位戦でA級昇級。同年、第69期王座戦で勝利し、3連覇を達成する。将棋に向かうストイックな姿勢から「軍曹」の異名を持つ。

村瀬信也/Shinya Murase
1980年東京都生まれ。早稲田大学将棋部で腕を磨き、2000年の学生名人戦でベスト16に。2003年、朝日新聞社に入社。2008年に文化グループ員になり、2011年から将棋の専属担当に。大阪勤務を経て、2016年、東京本社文化くらし報道部員になり、将棋を担当。名人戦や順位戦、朝日杯将棋オープン戦を中心に取材。Twitter: @murase_yodan

TEXT=村瀬信也

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