PERSON

2023.10.25

豊島将之、藤井聡太の“壁”から無冠へ――4年前に語った危機感とは?

対局のネット中継が普及し、棋士たちの熱き戦いを多くの人が知るようになった。一方で、棋界を10年以上取材してきた新聞記者・村瀬信也氏は、カメラに映らない光景や対局室のマイクが拾わない言葉から、彼らが胸に秘める闘志や信念に接してきたと語る。将棋界を牽引する7名の棋士が現在の活躍に至る軌跡を、2022年刊の村瀬氏の著書『将棋記者が迫る 棋士の勝負哲学』より振り返る。第4回 豊島将之。【藤井聡太ら他棋士の記事を読む】※情報は2022年1月26日発売時のもの

AIと向き合い続けた孤独の日々

飛躍の契機となったのが、人工知能(AI)との出合いだ。

2014年、棋士とAIが対戦する「電王戦」に出場したのを機に、AIを用いた研究に力を注ぐようになる。後の朝日新聞の取材では、「自分の将棋とは隔たりがあったが、最近、うまく重なるようになってきた」と手応えを語っている。新しい技術をうまく活用して飛躍を果たしたさまは、まさに「新時代の棋士」と呼ぶにふさわしい。

一方で私は、豊島のストイックな姿勢と信念の強さに凄みを感じる。他の棋士との練習将棋をスッパリとやめ、 AIの手が映し出されるモニターと向き合う日々。人間とは違い、AIは助言をくれたり、話し相手になったりはしてくれない。だが、孤高を極めた先に、トンネルの出口はあった。それまでに味わった苦悩は、本人にしかわからない。

2018年、地道な努力はついに実った。第89期棋聖戦五番勝負で10連覇中の羽生善治を3勝2敗で破り、初タイトルを手にしたのだ。実に5回目のタイトル戦での栄冠だった。余勢を駆って王位も獲得すると、翌年には名人位3連覇中の佐藤天彦に4勝0敗で勝利。平成生まれの棋士として初めて名人の座に就くと共に、史上9人目の三冠となった。

約2カ月後。名人戦七番勝負第1局が指された「ホテル椿山荘東京」で、就位式が開かれた。新名人の晴れ舞台に集まった約480人の中には、恩師である土井春左右(はるぞう)と桐山清澄の姿もあった。

細身で少年の面影を残す豊島は、「きゅん」の愛称で知られる。だが、紋付きはかまに身を包んで謝辞に立つ姿は、いつもより大きく見えた。思うように結果を出せなかった日々を振り返った後、こう続けた。

「心が折れそうになった時もありましたが、支えてくださる方、応援してくださる方のおかげで努力を続けていくことができました」

鍛錬を重ねる過程で、自分のやり方に確信を持てなかった日もあっただろう。ファンへの感謝の言葉を聞いて、度重なる困難を乗り越えられた理由がわかった気がした。

乾杯の発声には、桐山が立った。

「昨年の順位戦の大詰めで、本当にあと一歩というところで挑戦権を逃した彼の胸中は、言いようのない苦しさがあったと思います。その影響を心配しましたが、今年の5月、名人のタイトルを獲得してくれました。私にとっても思い入れのあるタイトルですので、うれしく思っています」

名人挑戦の経験を持つ桐山が「乾杯!」と声を上げてグラスを掲げると、場内は盛大な拍手に包まれた。

藤井に完敗し、三冠から2年で無冠に

タイトルを巡る勝負の一方で、豊島はここ数年、ある棋士との対決でも注目を集めていた。史上最年少の14歳2カ月でプロ入りした藤井聡太だ。

藤井はデビュー間もない頃からトップ棋士とも好勝負を演じてきたが、豊島には公式戦でなかなか勝てなかった。2017年の初対戦から豊島が6連勝。タイトル挑戦を目指す当時の藤井にとって、壁と言える存在だった。

だが、当の豊島は、藤井の目覚ましい成長を肌で感じていた。今も印象に残る言葉がある。豊島が2019年に名人を獲得した時のことだ。対局の翌朝の合同インタビューで、12歳下の藤井について問われた豊島は、こう語った。

「彼が25歳の時に自分は37歳。自分が相当うまくこれからの時間を過ごしていかないと、彼の全盛期と戦うのは難しいかなと思っている」

2人が大舞台で相まみえるのは、その2年後のことだった。

2021年。豊島は第62期王位戦七番勝負で挑戦を決めた。相手は、前年にタイトルを獲得した藤井だった。両者がタイトル戦で顔を合わせるのは、これが初めて。並行して進行した第6期叡王戦五番勝負では藤井が豊島への挑戦権を獲得し、約3カ月にわたる「十二番勝負」が繰り広げられることになった。

1月に第14回朝日杯将棋オープン戦で初黒星を喫したものの、豊島にとって藤井は依然として相性のいい相手である。好勝負が予想されたが、ふたを開けてみると際立つのは藤井の強さだった。

王位戦第1局は豊島が勝ったものの、その後は藤井が4連勝してタイトルを防衛。叡王戦は2勝2敗のフルセットにもつれ込んだが、最終第5局を制した藤井がタイトルを奪取した。豊島が保持するタイトルは竜王のみとなった。

そして10月。豊島に藤井が挑戦する第34期竜王戦七番勝負が開幕した。豊島にとってまさに正念場と言えるシリーズだったが、結果はタイトル戦で初の4連敗。屈辱のストレート負けを喫した豊島は、三冠から2年で無冠となった。

「実力不足を痛感したので、実力をつけていかないといけない」

敗れた第4局の対局後、豊島はそう語った。2年前に語った危機感が早くも顕在化した形だが、ここまで厳しい現実が待ち受けていることは豊島自身もイメージしていなかっただろう。この先、藤井と互角に戦っていけるのか──。豊島が直面している試練は、これまでより一層厳しいものと言えるのかもしれない。

※「第5回 永瀬拓矢」に続く

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豊島将之/Masayuki Toyoshima
1990年4月30日生まれ。愛知県一宮市出身。桐山清澄(きりやまきよずみ)九段門下。1999年、奨励会入会。2007年に16歳で四段に昇段し、平成生まれ初のプロ棋士に。2014年、第3回電王戦で将棋ソフトと対局し勝利。2018年に第89期棋聖戦で初タイトルを獲得すると、2019年には史上4人目の竜王・名人の同時保持者となる。タイトル獲得は竜王2、名人1、叡王1、王位1、棋聖1の通算6期。棋戦優勝は4回。ファンからの愛称は「きゅん」。

村瀬信也/Shinya Murase
1980年東京都生まれ。早稲田大学将棋部で腕を磨き、2000年の学生名人戦でベスト16に。2003年、朝日新聞社に入社。2008年に文化グループ員になり、2011年から将棋の専属担当に。大阪勤務を経て、2016年、東京本社文化くらし報道部員になり、将棋を担当。名人戦や順位戦、朝日杯将棋オープン戦を中心に取材。Twitter: @murase_yodan

TEXT=村瀬信也

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