アスリート、文化人、経営者ら各界のトップランナーによる新感覚オンラインライブイベント「Climbers(クライマーズ)」。その第4弾が、5月13日から3日間にわたって開催され、35人の仕事人が出演し、ビジネスパーソンを大いに熱狂させた。今回、将棋棋士の羽生善治さんによる特別講義を一部抜粋して掲載。すべての講義を聴くことができるアーカイブ配信はこちら。※5月17日〜5月31日18時までの無料限定公開。【短期集中連載「Climbers 2022 – 春 –」はこちら】
のんびりしていたデビュー当時の将棋界
将棋が現在のルールになったのは約400年前のことです。当時は家元制度が設けられ、伝統芸能のような世界でした。でも、将棋は茶道や華道と違って、勝負がつきます。徐々に家元制度から実力を優先するようになっていったんです。
私が棋士になった36年前は、将棋界全体がのんびりとしたムードでした。データや定石、セオリーなどを重視することはなく、それぞれの局面において正しい選択をしていこうという意識でした。将棋には、莫大な「手」が存在します。無限の世界なのだから、すべてのデータを集めることなど不可能という考えだったのです。
ですから、私もデビュー当時は、対局前に作戦を考えることもなかった。「今日はざるそばにしようか、かつ丼にしようか」くらいの軽い感覚で試合に臨んでいましたね。
ネット将棋の登場でレベルが格段に上がった
平成になると、そんなのんびりとしたムードが大きく変わりました。コンピュータ上に将棋のデータベースができて、過去の棋譜など、莫大なデータを簡単に集められるようになったのです。多くの棋士が、それまで重視していなかった「データの力」に気づきました。データ重視の棋士と対戦すると、データの力がボディブローのように効いてくるんです。
さらにネットの普及により、将棋のレベルが底上げされましたね。昭和の頃は、大会や道場、練習相手が多い都市と地方の間に大きなレベル差がありました。でも、ネット上で気軽に対局できるようになって、地方のレベルが急激に上がった。やる気と情熱があれば、いくらでも練習できるんですから。
それにともなって、将棋の指し方も変化していきました。新たなアイデアが出てくるようになったんです。というのも、以前の指し方は「正当かつ王道」がよしとされた。風変りな指し方をすると、ほかの棋士から冷たい目で見られました。でも、ネット上では、基本的に匿名。「この指し方、おもしろいんじゃないか」という実験が気兼ねなくできるようになりましたね。
ひとつ具体例をあげると、高飛車がブームになりました。高飛車って、横柄な態度を示す悪い意味の言葉ですよね。将棋でも高飛車という指し手は、悪い指し方とされていました。でも、ネット上で多くの人が試してみたところ、意外に使える戦法だなと。こういう思わぬ進歩っておもしろいですよね。
AIで進化する令和の将棋
令和に入ってからは、AIの時代になりました。将棋の世界でも20年以上前からAIの研究がスタートしていましたが、ここに来て急速に進歩しています。将棋って、「2手目」が重要だといわれます。自分が指し、相手が指し返して、それを受けて再び自分が指す。自分が指す1手目と3手目とは異なり、2手目は相手が指します。この2手目をどれだけ予測できるかが、勝負のカギになります。2手目を読み違えると、たとえ100手先まで読んでいたとしても、すべてが無駄になってしまうこともあります。
100手先まで読むことについては、計算能力や処理能力にすぐれたAIに分があるといわれますが、2手目の読みはAIも苦手にしていた。でも、最近は判断の精度がぐっと高まってきています。
人間が指す将棋は、美意識が高いといわれます。それに対して、AIの将棋は美しくはないものの、盲点や死角を見つけるのがうまい。異なる個性があるんですよ。私は人間とAIの発想の両方を吸収しながら、さらに実力を高めていきたいと思っています。
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