対局のネット中継が普及し、棋士たちの熱き戦いを多くの人が知るようになった。一方で、棋界を10年以上取材してきた新聞記者・村瀬信也氏は、カメラに映らない光景や対局室のマイクが拾わない言葉から、彼らが胸に秘める闘志や信念に接してきたと語る。将棋界を牽引する7名の棋士が現在の活躍に至る軌跡を、2022年刊の村瀬氏の著書『将棋記者が迫る 棋士の勝負哲学』より振り返る。第6回 斎藤慎太郎。【藤井聡太ら他棋士の記事を読む】※情報は2022年1月26日発売時のもの。
藤井、渡辺を破り王座戦挑戦へ
斎藤は2012年、18歳でプロ入りした。本筋を追究する王道の将棋で頭角を現し、2015年度から2年連続で勝率1位賞を獲得。2017年には、棋聖戦で9連覇中の羽生善治に挑戦し、敗れたものの着実な成長ぶりを印象づけた。
2018年。再び、タイトル挑戦の好機を迎える。王座戦の挑戦者決定トーナメントで準決勝に進出したが、そこには年下の強敵が待ち受けていた。当時高校1年の藤井聡太だ。
2017年に公式戦29連勝という新記録をデビューから無敗で打ち立てた藤井は、一躍「時の人」となる。その後、「いつタイトル戦に出てもおかしくない」と目されるようになっていたが、まだ伸び盛りの若手である斎藤にとっても、ここで後輩に負けるわけにはいかない。注目の一戦は、双方の鋭い攻めが飛び出す展開になり、最後は斎藤が制した。藤井は対局後、「敗れたのは自分の力不足」と振り返った。
勢いに乗った斎藤は挑戦者決定戦で渡辺明に勝ち、五番勝負で中村太地を破る。幅広い世代の棋士が覇権を争う中、その存在感を強くアピールする結果となった。就位式では、師匠の畠山鎮と並んで写真に収まる姿が印象に残った。
翌年の初防衛戦。斎藤は挑戦者の永瀬拓矢に3連敗を喫し、タイトルを1年で手放す。だが、立ち直りは早かった。敗戦の2日後のB級1組順位戦で勝利すると、その後も白星を積み重ね、9勝3敗でA級昇級を達成。順位戦参加9期目でのA級入りは渡辺や豊島将之を上回るスピード出世で、大きな痛手を負った直後とは思えない快挙だった。
どんな棋士にも、いつかは不振の時期が訪れる。タイトルを取るようなトップ棋士が調子を崩し、年間成績が負け越しになるまで落ち込んだ例も少なくない。だが、斎藤はデビュー以来、毎年好成績を収めており、年間勝率が5割どころか、6割を割った年度がない。なぜ、常に安定した成績を残せるのか。普段、どんな気持ちで対局に臨んでいるのか。飛躍に接して、そんな疑問がふつふつと湧いた。
好成績を維持できる理由とは
「8勝1敗は実力以上の結果です。それを良い自信に変えたい。過信になってはいけませんが、良い気持ちで臨めればと思っています」
2021年3月。東京・将棋会館でインタビューに応じた斎藤は、第79期名人戦七番勝負を控えた心境をそう語った。
前月末、「将棋界の一番長い日」として知られるA級順位戦最終9回戦5局が静岡市で行われた。競争相手の広瀬章人が豊島に敗れ、斎藤の名人挑戦は早々に決まったが、対局中の本人はそのことを知るよしもない。名人3連覇の実績を持つ佐藤天彦の粘りを振り切って勝利をつかみ取った時、時計の針は午前0時15分を指していた。
インタビューで改めてこの一戦について尋ねると、苦笑いを浮かべてこう語った。
「あの時は普段以上に慎重でした。早い段階から手が伸びず、終盤は慎重にやりすぎてかえって危なかったです」
挑戦を目前にしていただけに、いつもとは違う心理状態だったようだ。
王座戦での挫折についても聞いた。なぜ、タイトルを取られた後にすぐに立ち直れたのか。
「同じ相手に0-3という成績は、その瞬間はショックが大きかったです。でも、1日経って振り返ると、純粋に実力が及ばないと思うところもありました」
そして、こう続けた。
「タイトルホルダーになって、理想を持ちすぎて窮屈なところがありました。柔軟さがなかったと思います。課題が見つかったので、崩れずに済んだのかなと」
「西の王子」。そんな異名を持つ斎藤は、絵に描いたような好青年と言える。こちらの質問に対する受け答えは納得のいくものだったが、こうして文字にしてみると「優等生の模範回答」という印象を与えるかもしれない。
だが、同時にこう思う。将棋に対して、そして対戦相手に対してここまで謙虚に向き合い、地道な努力を積み重ねられるからこそ、勝ち続けられるのではないか。負けて嫌気が差し、努力を怠っていては好成績を維持できるはずもない。名前の1文字でもある「慎ましさ」が平常心を保てる理由なのではないか──。そんな想像が働いた。
最後に、「名人戦で、どんなところを見て欲しいか」を尋ねると、こんな言葉が返ってきた。
「タイトル戦なので、立ち居振る舞いや真剣に臨む姿を見せたいです。しっかり準備をして臨みたいです」
将棋の内容だけでなく、「自分の姿」をどう見られるかを意識しているところに、トッププロならではの矜持がうかがえた。
※「第7回 佐々木勇気」に続く
斎藤慎太郎/Shintaro Saito
1993年奈良県生まれ。畠山鎮(はたけやままもる)八段門下。2004年、奨励会入会。2012年に18歳でプロ入り。2015年度、2016年度の2年連続で勝率1位賞を受賞。2017年に、第88期棋聖戦でタイトル初挑戦。2018年、第66期王座戦で初のタイトル獲得を果たす。2020年、第78期順位戦でA級昇級。2021年、A級初参加で名人への挑戦権を獲得。詰将棋愛好家としても知られている。ファンからの愛称は「西の王子」。
村瀬信也/Shinya Murase
1980年東京都生まれ。早稲田大学将棋部で腕を磨き、2000年の学生名人戦でベスト16に。2003年、朝日新聞社に入社。2008年に文化グループ員になり、2011年から将棋の専属担当に。大阪勤務を経て、2016年、東京本社文化くらし報道部員になり、将棋を担当。名人戦や順位戦、朝日杯将棋オープン戦を中心に取材。Twitter: @murase_yodan