44歳、小野伸二が引退を決断。天才と呼ばれ、喝采を浴び続けた男の光と影。知られざる小野伸二を余すところなく書ききった初の自著『GIFTED』より、一部抜粋してお届けする。6回目。 #1/#2/#3/#4/#5
娘との二人暮らし
ご飯はどうするか。稽古は何時か。
小学5年生と暮らすのは初めてだ。というより子どもと二人で暮らすこと自体が初めてで、何もかもが手探りだった。
ウエスタン・シドニーから移籍して結んだコンサドーレ札幌との契約は2年半。次はどこに行こうか、なんてアッキー(小野伸二の代理人・秋山祐輔)と話をしていた。
J1に昇格が決まり、役割を果たした。試合にたくさん出ることはできなかったけれど、次に行くタイミングだった。
昇格を決めたときの札幌の盛り上がりや、チームメイトの姿を見て、「昇格を手助けできるようなチームはないか」と考えるなどもしていた。
そんなとき、次女の里桜が北海道の劇団四季に合格する。
まさか、と思った。こんな機会、滅多にない。娘と暮らすことなんてほとんどなかった。
アッキーに言った。
札幌との契約、2年くらい延ばせないかな?
僕が初めてアッキーにお願いした「延長」の逆オファーだった。
J1昇格が区切り
本を書くんだから本音を書こうと思っている。
コンサドーレ札幌と初めに結んだ契約は2年半だった。6月に移籍していたから、「半」がついている。実質3シーズンの契約だった。
札幌はすごくいい街で、何度も書いているように人が優しく、温かい。勝っても負けても支えてくれたサポーターや、まだサッカーに興味を持っていない人たちに、コンサドーレ札幌を知ってもらいたいという思いが僕のモチベーションのひとつでもあった。
だからJ1昇格を決めて、役に立ったかどうかは別として、区切りなのかな、と考えていた。あの熱狂、あのみんなの喜びは、すごかった。
そして、違う地域で同じような経験を「させてあげたい」。
関東は行った、中部も行った。シドニーも行った。次は、四国かな?
そんなふうに考えて、アッキーにも相談していた。すでにキャリアを終えた同世代の選手も多くなっていた。簡単に選べる立場ではなかったけれど、できるだけ新しい挑戦をしたいと思っていた。
それが一変したのが、娘・里桜の劇団四季入りだった。オーディションに受かった、と聞いたときは「まさか」と耳を疑った。でも、こんなチャンスは滅多にない。
僕が札幌に住んでいる偶然も重なっていた。(中略)
札幌で迎えた子どもと二人の生活は、改めて「母親」のすごさを教えてくれた。だからこそ、父親としての役目を果たす。北海道に残る決断の裏には、新しい僕の一面があった。