PERSON

2023.12.05

【小野伸二】1998年フランスW杯、股抜きからのシュートはベストな選択ではなかった!?

44歳、小野伸二が引退を決断。天才と呼ばれ、喝采を浴び続けた男の光と影。知られざる小野伸二を余すところなく書ききった初の自著『GIFTED』より、一部抜粋してお届けする。2回目。 #1

フランスワールドカップに選出され、第3戦のジャマイカ戦に登場。力みもなく、軽々とプレーしていたのが印象的だった。©JFA/アフロ

準備不足

「準備、できてなかったらしいな」

岡田(武史)さんが笑いながら僕に近寄ってきた。

何と答えていいかわからず、でも内心「クソッ」って悔しい思いがあった。

フランスワールドカップ。トゥールーズでアルゼンチンに敗れ、前日はランスでクロアチアにも負けた。2戦全敗で僕たち日本代表にグループリーグ突破の可能性はなくなっていた。

最後のジャマイカ戦まで5日間ある。

昨日の試合のやり取りが思い返された。後半になり70分を過ぎた頃だったか、フィジカルコーチのフラビオが声を掛けてきた。

「伸二、アップの準備をしておけ」

城さんとの交代だという。

「はい」

そう答えて、緩めていたスパイクの紐を結び直した。その瞬間だ。フラビオが言った。

「いや、伸二、いい。戦う準備ができていない選手は使わない」

──え?

フランスはものすごい暑さで、蒸して仕方がなかった。スパイクが熱を吸収して暑い。だから僕はスパイクの紐を緩めていた。戸惑いながらも、でもとりあえずウォーミングアップに向かおうとすると、フラビオはそれも手で制した。

結局、そのままベンチから出ることもできず、試合終了のホイッスルを聞いた。

準備って、そこ? そこなの? ……でも、そこなのか。そうだよな。

うーん、でも靴、脱いでるわけじゃないし……。

モヤモヤしていた思いが、岡田さんの言葉で再び蘇ってきた。

その日の練習は試合に出ていた選手はリカバリー、出ていなかった選手はコーチや監督も混じったミニゲームだった。

僕は、岡田さんとフラビオを“股抜き”してやった。

サプライズだったフランスワールドカップ

初めてのワールドカップは3戦全敗。

僕は最後のジャマイカ戦に後半79分から出場した。

クロアチア戦にも出るチャンスがあったけれど、スパイクの紐を緩めていたことが“準備不足”と取られ、出ることができなかった。

あのときは「なんで?」と思ったけれど、今、考えるとそういう細部も大事なんだと思う。フラビオはこの3年後に浦和レッズにやってきた。お世辞抜きでめちゃくちゃ優秀なフィジカルコーチで、このシーズンの僕のフィジカルコンディションは彼抜きでは語れない。のちに書くけれど、大きなケガをしたあとだった。

僕がフェイエノールトに移籍してすぐにフィットできたのは彼がレッズにいたからといっても過言ではない。

レッズ時代、フラビオに冗談で「あれは信じられなかった」と伝えた。

フラビオも大笑いをして「すまない」と言った。

それにしてもフランスワールドカップは僕にとってサプライズだった。

まず選ばれると思っていなかったこと。

選んでもらって日本代表選手たちのレベルがめちゃくちゃ高かったこと。

そして、その日本代表の選手が、全く歯が立たなかったこと。

アルゼンチンにはバティストゥータ、オルテガにベロン。テレビで観たフィオレンティーナやサンプドリアの選手がいて、クロアチアのスーケルはまさにゴールゲッターだった。

これ、どうやって勝つんだよって正直に思った。日本代表のメンバーのレベルに驚いていたのに、世界ははるかにそれを超えていた。

世界、という点では慣れているつもりでいた。小学校時代は韓国を中心とした交流試合、中学時代はアメリカ遠征、そして高校は、オランダなどで試合をした。U-17の日本代表としてエクアドルに行ったこともある。

毎年のように海外で試合をしていたけれど、どの大会よりレベルが高かった。まあ、当たり前なんだけれど……俺って、まだまだなんだ、って改めて痛感した。

記憶にある第3戦、ジャマイカ戦はとても楽しかった。ワクワクして、いい意味で緊張せずに「絶対に点を決めてやろう」って思ってピッチに入れた。

最初のボールタッチはよく覚えている。右サイドの相馬(直樹)さんからもらったパスをワンタッチで相手の股を抜いた。そのまま左足でミドルシュートを打ったのだけれど、あれは個人的にはベストな選択ではなかった。

明らかに左サイドでフリーのゴンさん(中山雅史)がいた。あそこが見えていなかったのか、ってすごく情けない思いが今でもある。

世界のトップを肌で感じる

ただ、この18歳でワールドカップのメンバーに選ばれ、試合にも出させてもらったことはすごくその後の人生にポジティブな影響があった。

誤解を恐れずにいえば、サッカーが大好きで、何より試合が楽しみな僕にとって、ワールドカップだから、オリンピックだから、みたいな試合の優劣はない。どれも楽しみで仕方がないもの。それが偽らざる本音だ。

だからワールドカップに出たことが重要だったわけではない。

この歳で、本当に世界のトップの、もっともっとうまい選手の存在を教えてくれたこと、そういう経験、肌で感じるものこそが大事だった。

初めての日本代表での試合は1998年4月1日だった。

フランスワールドカップに向けた韓国代表との親善試合があって、その試合に途中から出場した。

浦和レッズでのプロ1年目が始まって1週間と経たないうちの代表招集で、試合出場。どんな話をしたのか、どんな心境だったのか多くは覚えていない。

でも、すごい選手たちとサッカーができることに胸いっぱいだった。

よく「18歳ですぐに日本代表に選ばれるなんてすごい」みたいなことを言われたけれど、当時は17歳のイチ(市川大祐)がすでにスタメンで出ていた。

だから自分がすごい、と思うことはなかった。

そういえば、あのとき食事のテーブルはカズさん(三浦知良)のところにつけ、って言われた。スーツをビシッと着て、ヴッフェなのに「俺、レアステーキで」ってシェフを呼んでオーダーをしていた。

すげえ、日本代表にもなるとヴッフェでもオーダーできるんだ……って感激した。それはカズさんだけだった、というのはもう少しあとになってわかることだ(笑)。

とはいえ、この代表招集があったからといって、ワールドカップに行ける、とは全く思っていなかった。

だから、その1カ月後に行われるワールドカップ代表メンバー発表をどこで聞いていたのかすら覚えていない。そもそも、あの当時は今のような代表の発表のやり方はなかったんじゃないかな……。

その頃の僕はレッズを絶対に優勝させてやるって意気込んでいて、調子も良かった。そこにワールドカップがやってきたことは、これもまた運命的だった気がしている。

TEXT=ゲーテ編集部

PICK UP

STORY 連載

MAGAZINE 最新号

2025年1月号

シャンパーニュの魔力

最新号を見る

定期購読はこちら

バックナンバー一覧

MAGAZINE 最新号

2025年1月号

シャンパーニュの魔力

仕事に遊びに一切妥協できない男たちが、人生を謳歌するためのライフスタイル誌『ゲーテ1月号』が2024年11月25日に発売となる。今回の特集は“シャンパーニュの魔力”。日本とシャンパーニュの親和性の高さの理由に迫る。表紙は三代目 J SOUL BROTHERS。メンバー同士がお互いを撮り下ろした、貴重なビジュアルカットは必見だ。

最新号を購入する

電子版も発売中!

バックナンバー一覧

SALON MEMBER ゲーテサロン

会員登録をすると、エクスクルーシブなイベントの数々や、スペシャルなプレゼント情報へアクセスが可能に。会員の皆様に、非日常な体験ができる機会をご提供します。

SALON MEMBERになる