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2022.12.03

【稲本潤一】2006年W杯ドイツ大会を振り返る。なぜ、ほどけたチームの一体感を回復できなかったのか

1999年アフリカナイジェリアで行われたワールドユース(現U-20 W杯)で準優勝に輝いたサッカーU-20日本代表チームを構成した’79年生まれの世代は、日本サッカー界でゴールデンエイジ(黄金世代)と呼ばれ、Jリーグはもちろん欧州サッカーシーンでも活躍してきた。そしてそのゴールデンエイジがチームの中心となり、飛躍する大会と期待を集めていたのが2006年W杯ドイツ大会だった。しかしグループステージ敗退を喫している。一体ドイツで何が起きたのか? ゴールデンエイジの一員であり、2002年のワールドカップ日韓大会で2ゴールを決める活躍をした稲本潤一選手が今だからわかったことを語る。

稲本潤一

2得点したものの、その後の2試合で途中交代。悔しさが残る2002年日韓大会

――2002年W杯日韓大会、ベルギー戦、ロシア戦での稲本潤一選手のゴールは今も多くの日本人にとって、強い印象を残したシーンです。
「ありがとうございます。今思うと、日本でワールドカップが開催されることは、本当に特別なことですが、当時はそういう意識はありませんでした。1999年にワールドユース(現U-20W杯 )、2000年のシドニー五輪、その2年後にワールドカップという感覚だったので、ワールドカップの価値や日本開催という意味を深く理解できていなかったのかもしれません。でも、だからこそ気負うこともまったくありませんでした。若かったというのもあると思うんですけど(笑)。とりあえずはやってやろうということしか思っていなかったですね」

――稲本選手は日本代表のグループステージ突破に大きく貢献したと思いますが、決勝トーナメント1回戦のトルコ戦で敗れて、日本の敗退が決まりました。
「トルコが強かったかといえば、正直そこまでではなかったという印象なのに、あっさりと負けてしまった。そのことが強く心に残った大会でした。ベルギー、ロシアの2試合で結果を出せたんですけど、続くチュニジア戦、そしてトルコ戦では前半で交代させられていたんです。その悔しさもありました。だから、次の2006年ドイツ大会に対しての意識は強くなりましたね」

――日韓大会前の2001年英プレミアリーグの強豪アーセナルへ移籍。その後はプレミアリーグのフラムやカーディフ、ウェスト・ブロムウィッチに所属しながら、2006年のワールドカップを迎えます。
「それぞれのクラブで試合に出て、経験も積み、コンディションも良くて、年齢的にも一番脂がのっている時期でしたが、代表ではそれほど試合に出らなくて、その葛藤のなかで迎えたのが2006年のワールドカップでした」

――しかし、その初戦のオーストラリア戦では終盤に失点を重ねて1-3と敗れてしまいます。稲本選手はベンチでしたね。
「負け方が負け方だったので、チーム内のショックは大きかった記憶があります。チームの一体感みたいなものがそこでほどけた感じがありました。まだ2試合残っているし、先に行ける可能性もあったのに、切り替えて、モチベーションを上げて、『次の試合へ』というムードでチームが進まなかった。一体感とか一致団結してひとつになっていこうという感じはしなかったですね」

――稲本選手ご自身はどういうふうに受け止めていましたか?
「まだ1試合終わっただけだという気持ちももちろんありましたけど、まずは試合に出たいという気持ちが大きかった。チームのために何をすべきかということを考えるモチベーションではなかったですね。僕も含めて、代表選手はみな、チームのために闘う気持ちはあったと思います。でも、本当に100%そうなのかと言えば、そうじゃない面はあったと思います。個性の強い選手が多かったし、試合に出ていない選手のなかには『なんで出られないんだ』という気持ちを抱えた人も少なくなかった。控え選手のなかには、『(試合に出ている選手より)自分のほうがうまい』と考える人もいたかもしれません。それはいつの代表でも同じこと。そこで多少我慢しながらやるわけですが、あのドイツ大会のチームでは献身的になれる選手が少なかったのかもしれません」

――途中出場したクロアチア戦はスコアレスドロー、グループステージ最終戦のブラジル戦ではスタメンで出場しましたが1-4と敗れて、予選敗退になりました。
「ブラジル戦ではコテンパンにやられてしまい、力の差を突きつけられた。そのショックは大きかったですね。同時にチームがひとつになれなかったことが大きな心残りになりました。その後もことあるごとに思い出していました」

2010年W杯日本代表チームの意識

――2006年W杯後には、トルコ・ガラササライ、ドイツ・フランクフルトと移籍し、フランス・レンヌを経て、2010年には川崎フロンターレで日本復帰を果たしました。
「2010年のワールドカップというのは、自分のなかでの目標として捉えていたし、ガラササライでも、フランクフルトでもある程度チームに貢献できる結果を残していました。ただ、レンヌでは僕が退場した試合で、代わりに出た17歳ぐらいの選手にポジションを奪われる形になり、試合に出られなくなった。環境面を考えればレンヌにいたほうがワールドカップのためには良いという考えもありましたが、試合に出られないという現実ではダメだろうと思い、川崎への移籍を決めました。身体が動くうちに日本でプレーしたいという気持ちもあったので」

――当時の川崎フロンターレは2009年シーズン2位、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)準優勝と頭角を現し始めていましたね。
「そうですね。(川島)永嗣や(中村)憲剛がいて、強いチームというイメージがありました。僕が日本でプレーしていた2000年までの川崎はJ1に昇格したばかりで、これから強くなっていくという勢いというか、上昇ムードみたいなものがありましたね。ユース時代からプレーしていたガンバ大阪以外の場所で復帰するのは面白いチャレンジだというふうにも感じていました。そもそも、僕はヨーロッパで2年に1回は移籍していたので、チームを移ることに抵抗はないし。でも、結局川崎には5年間、キャリアのなかでもっとも長く在籍しましたが、フロンターレで良かったと思っています」

――20代前半で日本を離れて、30歳で復帰したわけですが、稲本選手を見る周りの目に変化はありましたか?
「ヨーロッパに行く前は若手だったのに、帰ってきたら、ベテランという位置づけだったので、当然周りの僕に対する扱いや視線というのも違いましたね。ヨーロッパのチームでは、若手だろうとベテランだろうと、年齢に関係ない感じで、どれだけ試合に出られるかを競い合う環境だったので、新鮮だと感じる一方で、僕自身も自然と俯瞰してチーム全体を見るようになりました。そういうふうにならないといけないと思えたんです。ただ僕は『俺が全部引っ張るよ』というタイプでもないので、重責だとかプレッシャーという感じはまったくなかったですね」

――20代を過ごしたヨーロッパでは、選手の生存競争が激しいといわれます。そういう環境だからこそ、成長できた部分もあると感じます。けれど、30代との生き残り方は違うのかもしれませんね。
「ヨーロッパでは自分のプレーに集中することしか考えていなかったかもしれません。同じポジションの選手からどうやってスタメンを奪うのかということしか考えていなかった。今思えば、もっと広い視野を持っていても良かったと感じます。まあ、バランスの問題なのかもしれません。でも、それは20代にしかできない燃え方だったと思うし、今それをやれと言われてもできませんから」

――日本代表は、岡田武史監督のもと2010年南アフリカW杯を迎えました。そのメンバー入りも果たしました。
「全力で試合に出るパフォーマンスをするつもりでしたし、常に試合に出たいという気持で、事前合宿に入りました。でも、先発じゃないなとわかったんです。2006年はモチベーションを上げるのに苦労しました。でも、2010年はチームのために何かしようと強く思えるようになったんです。マイナスなことを言わずに、常にポジティブな思考を持つようになりました」

――2006年W杯ドイツ大会のことがずっと心に残っていたと言われましたが。
「ドイツ大会以降、代表で活動しながら、2006年のことを考える機会は多かったんです。もう同じ失敗を繰り返したくないと」

2回目に続く。

稲本潤一/Junichi Inamoto
1979年生まれ。小学生時代から注目を集め、中学進学と同時にガンバ大阪ジュニアユースに加入し、ユース時代にはトップチームでの出場を果たした。’95年にはU-17世界選手権にも出場し、’99年ワールドユース、2000年シドニー五輪と世界大会に出場。’02年、’06年、’10年のワールドカップメンバーでもある。’01年にはイングランドプレミアリーグアーセナルへ移籍。その後、イングランド、トルコ、ドイツ、フランスと渡り、’10年川崎フロンターレでJリーグ復帰。コンサドーレ札幌、SC相模原を経て、’22年から南葛SC所属。

TEXT=寺野典子

PHOTOGRAPH=松岡健三郎(南葛SC)

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