『⽔曜どうでしょう』のミスターであり、映画監督、クリエイティブオフィスキュー会⻑でもある鈴井貴之氏。そんな鈴井氏が12年前に住まいを構えたのが北海道・赤平の森の中。ともに暮らす犬たちのリーダー・ネイマール(ゴールデンレトリバー 7歳 オス)の視点から、その暮らしを紹介する。2023年10月4日発売の新刊『RE-START 犬と森の中で生活して得た幸せ』の一部を再編集してお届けする。【鈴井貴之氏の記事】
『水曜どうでしょう』は不良番組だった
お父さんを知る人のほとんどは『水曜どうでしょう』という番組も知っていると思う。30年近く前に北海道で始まったテレビ番組なんだって。知らない人はネット検索してね。いっぱい情報が出てくるとお父さんは言っていたよ。
ローカル番組でありながらDVDを何百枚も売り上げ、サブカルの世界ではちょっとした人気番組になったんだって。レギュラー放送はもう20年も前に終わったけれど、数年ごとにスペシャル企画が放送されて、いまだに再放送を含め全国のどこかで放送されているみたいだね。少なくとも地元北海道では今でも毎週放送されている。ボクも何度か見たことがあるけれど何が面白いのかはさっぱり分からない。まあボクは犬だからね。
その番組についてお父さんは言う。
昔とは違う。
それはね、番組に携わる4人(出演者、スタッフ)が無名であった頃は無謀な企画を立ち上げ、それを番組にしてきたらしいんだ。その破天荒さ、いい加減さ、適当さが番組の魅力だったらしいけれど今はそうもいかないんだって。
「番組の広がりと反比例してやれることに制限が生まれた」
サイコロを振ってアポもない深夜バスに乗るなど今はできないみたいだよ。どこへ行ってもSNSで拡散されて、企画に支障をきたす。
「博多駅前でサイコロを振れば人だかりができてしまうだろう」
とお父さんは寂しげな目をして言っていた。
昔とはもう違うのだ。
そうお父さんは繰り返した。分かっていてもファンは昔の姿を望むよね。
僕らも変わったし、時代も変わった。
お父さんはこの『水曜どうでしょう』のことを話すのを躊躇する。それはもうあの頃とは時代や背景が変わってしまったからなんだって。
社会も人も歳をとるし変わる。
昔は無鉄砲で若気の至りで無茶をしたみたい。でも人は歳を重ね分別がつき落ち着いていく。テレビ番組も同じなんだって。出演者、スタッフも歳をとる。社会もまた規制が増えたり価値観が変わったりする。昔のようには行かない。それは当たり前のことだとお父さんは言う。
若かりし頃、ヤンチャだった人がいい歳になってもヤンチャのままだとどう思われますか? 「あいつは変わってなくて素敵だな」と思われますか? 違うよね。「いつまでもバカだな」です。
若い頃は無茶をよくした。
誰も支持していなかった小さな番組のスタート当初、無茶をしても笑い話で終わった。それを見てくれた人に面白いとされ、番組を作っていた人々も面白いと思っていたみたい。でも多くの人に支持されるようになると社会性を問われ、無茶はできなくなる。モラルを問われる。ボクはよく分からないけれどコンプライアンス? そういうものを意識すると面白味はなくなる。常識やモラルからかけ離れてはいけないけれど
時には、境界線をギリギリ越えてアウトになるかもしれない。
そこに面白さが生まれていたとお父さんは言っていた。でも今はもうアウトになることは避けなければならない。アウトにならないよう安全策を考える。
昔で言うなら、学校の先生の言うことを守る優等生でなきゃならない。そこに面白味は少ないんだって。それよりも校則違反をして先生から目をつけられている不良の方が面白かったそうだよ。そうお父さんは自分の青春時代を思い返していた。
『水曜どうでしょう』は不良番組だった。
東京を中心とした学力優秀、品行方正の優等生番組が蔓延(はびこ)る中、ローカル局制作のバラエティ番組は不良になるしか目立つ道はないとお父さんは考えていたみたい。
「地方でもほとんどが中央キー局の番組が放送される。1つのチャンネルという教室ではみんなお金持ちで品の良い華やかな東京からの優等生ばかりだった。その中で貧乏な地元の自社制作番組を作るにはギリギリ校則を破る不良になることで存在感を示すしかなかった」
んだって。
「でも、その不良の行動が予測不能で面白く捉えられて、一気にクラスの人気者になってしまった。そのまま校則を破ったりクラスを盛り上げたりしていればよかったのだろうけど、クラスだけではなく学校全体の人気者に祭り上げられてしまった。そうなると校則違反を続けてはいられなくなる。大きな世界に入るとモラルも意識しなければならない」
だから、
破天荒ではいられなくなった。
このことに早くから気づけばよかったんだけれど、人は、
有頂天になると大事なことを見失う。
調子に乗っちゃったんだね。ホイホイと煽(あお)られてしまえば我を見失ってしまう。
『どうでしょう』は所詮田舎者の集まり。
不良になって目立つしか道がなかったのに、大きな世界に誘われたものの方向を見失ってしまった。北海道弁で言うと、
おだっちゃった。
“調子に乗った”ということみたい。
「本来、王道とは違う脇道を歩いてきた。脇道だからこそ、誰も知らない別世界を発見できたはず。それなのに大きくなり王道を歩くようになってしまった。脇道にはもう戻れない。王道は何人もが歩んできた道だ。正直目新しいものはない。王道にいては『どうでしょう』の良さは見出せない。ありがちになってはいけない」
とお父さんは考えているみたい。本来の脇道に戻るべきなのだ。だけれども今さら、元へは戻れない。それはどうしてなのか? お父さんもその答えは持っていないみたい。小さなクラスでバカをやっていた頃にはもう戻れないんだって。
昔とは、もう違う。
そうお父さんは笑った。
2004年に放送された『ジャングルリベンジ』。
レギュラー放送でも行ったマレーシアのジャングル、タマンヌガラ国立公園に再び行くという企画だったんだって。ボクは犬だから詳しくは分からないけれどね。レギュラー放送は終わっていたけど久しぶりに会った4人はまだ王道じゃなく脇道を右に左に自由に歩いてたってお父さんは嬉しそうに話してくれた。ロケを終えて宿泊してたロッジに戻った時、疲れ果てた大泉さんはベッドで眠り、お父さんを含めた他の3人はテラスでビールを飲んだみたい。そこでお父さんは話したらしいよ。
「この番組はスタート当初と違って大きくなった」
「これからいろんな人たちがこの番組を利用しようと近づいてくる」
「でもそれに乗っかってはいけない」
「営利目的に走ったらこの番組は終わる」
「4人で『どうでしょう』であることを忘れてはいけない」
「4人揃わなければ『どうでしょう』ではない」
「4人でやるならなんでも良いんだ」
「テレビ番組じゃなく絵を描いて個展を開いても、それが『どうでしょう』だよ」
お父さんが言うには『水曜どうでしょう』はもう、
過去の栄光を横目に下っていく存在。
らしい。ただしそれは否定ではなく過去の『どうでしょう』は素晴らしかったという自負があるんだって。それはおこがましいけれど黒澤映画や小津安二郎の映画のように捉えられるべきと思っているみたい。古いけれど今見ても面白い。それはあるよね。だからといって今後に期待されてもそれは違うらしい。だって、
もう昔とは違う。
今もなおファンは新作を熱望する。でも状況は変わってしまったんだって。それでも作品は続く。潔くやめるのも手らしいけれど、こうして変わっていく姿を見せるのも運命であると思っているらしい。醜く老いる。それは、
「一生どうでしょうします」
というスローガンを番組として打ち立ててしまったからなんだって。だからお父さんは醜く朽ちていく姿も1つの責任としてお送りしようと腹を括ったんだって。
「人は上へ上へと目指すけれど、それによって本質を失うこともある。自分はそうではない。状況や周りが変わろうとも自分の本質だけは見失いたくない。ごめんなさい。所詮、僕はベータな選択(※)をする天邪鬼なんです」
「あの番組を僕は愛している。そして支持してくれた方々への感謝、それは今も変わらない」
「これから先のことは正直分からない。老いて衰え、それでもやり続けるのは賢明なのか? これから先も指示してくださる方々の期待に応えられるのか? ただ、どこかで傍観しようとしている自分がいるのも事実だ」
「これからも旅? 企画? は続けるかと思う。ただし、それはどこかでベータな選択が良しと思われる条件が揃うことなのかもしれない」
普通に考えれば醜態を露わにはしたくはない。
ならばピリウドを打つ。
でも続けるのはなぜか?
今の僕には明確な答えはないが、
支持してくれる人がいるからだ。(僕は蔓延る『藩士』という言葉は使わない)
その人々を無視して個人的見解で「辞める」とは言えない。
その方々と共に老いていく。
それが今思う答えなのかもしれない。藩士ではなく同志だと思う。
『水曜同志でしょう』
これからもよろしく。
※ビデオデッキが誕生した時、VHSではなくベータマックス(ベータ)を選択したように、マイナーになっていくものを選んで゙゙゙゙゙゙゙しまうという意味。
鈴井貴之/Takayuki Suzui
1962年北海道⾚平⽣まれ、ʼ90年に札幌で劇団「OOPARTS」⽴ち上げ。その後、構成作家・タレントとして『⽔曜どうでしょう』(HTB)などの番組の企画・出演に携わる。映画監督として『銀⾊の⾬』などこれまで4作を発表。2010年からOOPARTSを再始動、現在6作の舞台公演を⾏っている。
ネイマール/Neymar
鈴井家の犬たちのリーダー。ゴールデンレトリバー(7歳 オス)。新刊『RE-START 犬と森の中で生活して得た幸せ』では「語り部」として登場している。